1日1話・話題の燃料

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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

9月14日・赤塚不二夫の逆説

2016-09-14 | マンガ
9月14日は、歌手の矢沢永吉が生まれた日(1949年)だが、マンガ家、赤塚不二夫の誕生日でもある。

赤塚不二夫は、1935年、中国の古北口(現在の北京市北東部)にある官舎で生まれた。本名は赤塚藤雄。父親は満州国の国境警察隊の特務警察官だった。藤雄は、6人きょうだいのいちばん上だった。
藤雄の父親は職務として現地の抗日ゲリラと日々戦っていたが、一般の中国人には人間的に接し、食べ物を分けあい、賄賂を受け取らなかった。バカボンのパパのモデルはこの父親だという。戦後、日本へ引き揚げてくる際、藤雄のきょうだいのかなりが病気や栄養失調で亡くなった。
奈良で育った藤雄は、小学生のころから貸本屋のマンガを読むようになり、手塚治虫のマンガを読んで感激し、マンガを描くようになった。
18歳で上京し、工場勤めをしながら、マンガ雑誌に投稿を続けた。投稿したマンガが、石森章太郎(石ノ森章太郎)や、つげ義春の目にとまり、それが縁で、21歳のとき、描き下ろし単行本「嵐をこえて」でデビュー。しかし、売れない日々が続いた。彼は尊敬する石森についていく恰好で豊島区南長崎のアパート、トキワ荘に引っ越した。
トキワ荘は、手塚治虫、藤子不二雄の二人、寺田ヒロオらが住み、園山俊二やつのだじろうが出入りしていたマンガ家の卵の巣窟で、赤塚の母親も一時そこのまかない役として住んでいた。売れない赤塚は、何度も挫折しそうになりながら、その都度、石森や寺田に励まされ、マンガを描きつづけた。
マンガが、貸本の時代から、雑誌の時代、テレビアニメの時代へ移行する飛躍期に居合わせた赤塚は27歳のとき、マンガ雑誌に「おそ松くん」「ひみつのアッコちゃん」を連載しだし、一躍人気マンガ家となった。その後「もーれつア太郎」「天才バカボン」などを描き、赤塚の作品はテレビアニメ化され、日本全国に知れ渡る大ヒットとなった。
40歳のころ、ジャズピアニストの山下洋輔が九州福岡で見つけてきたおもしろい男、タモリを無理やり上京させ、自分の家に居候させた。赤塚はタモリをテレビに出演させ、いっしょにエログロのパフォーマンスをおこない、タモリを強力に売り出した。
赤塚はアルコール依存症、食道がん、硬膜下血腫、脳内出血など、さまざまな重病をくぐり抜けた後、2008年8月、東京の入院先で肺炎のため、没した。72歳だった。

「天才バカボン」がマンガ週刊誌に連載中だったころ、こんな回があった。1ページ大のコマが大きくあり、バカボンの顔がアップで描かれ、ふきだしに「ねえ、パパ」とある。
次のページは、バカボンのパパの顔のアップのひとコマで「なんだい、バカボン」。
こんな調子で4ページか6ページ続いた後、急にコマ割りが小さくもどって、
「ああ、だめだ。等身大マンガに挑戦しようと思ったが、話がぜんぜん進まない」
いろいろなことを試みる人だった。
「vagabond(さすらう者)」に由来する「天才バカボン」は深い逆説を秘めた作品である。

ギャクマンガを地で行くハチャメチャな女好きな赤塚はいったん外出するといつ帰ってくるかわからない人で、尊敬する手塚治虫の娘(手塚るみ子)が証言している。
「私、赤塚先生にホテルに誘われたことあるもん」(「朝日新聞」2008年7月6日)
(2016年9月14日)



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