ダックのパパママストア

商店街に有る、パパママストア。
  何を売る店? 今日は、何をお探しですか....? 商店街で起こる色々なこと。

何かズレ始めたか?

2018-06-27 18:30:08 | 社会

近頃のニュースは、女児虐待とか奪った拳銃で警官を撃ったとか、知らぬ男同士が女性を拉致したとか、実はわざと子供に車でぶつかったとか、テイタラクな事件が多いデスナ。

精神が鍛えられてないのか、道徳心の欠如か?昔はこんな人間は居なかったですよネ。

戦後どうも考え方が欧米化したのか、個人主義が正しい、自由ダッと叫び、共に生きると云う日本の良き伝統文化を否定して、道徳心は教わらず、あの寺小屋で姿勢を正しく筆を持つ子らの姿は、何処へ行ったのか?

どうもこの頃のマスメディアの論調は、自由に生き何処が悪いと云う論説で、今日の新聞を見れば、小学校の教員志願者は激減の見出し。

教員の大量退職などを受けて、採用数を増やしたが、志願者は増えず、出願倍率が過去最低の1.2倍に落ち込んだ。

子らに、正しく強くの心を十分に説いて来たのか?今の学校に育った若者が興味の持てない場所になってしまったのか?

ある方のブログに、下記のコメントがあった。

お天道さまというのは、天照大御神ですが、いつでもどこでもお天道さまが見ていらっしゃるというのは、古くから言い慣らされた言葉ですが、実はその意味は、神様という別な存在があって、その別な存在が私達を見ているということではなくて、私達自身が、神様の胎内にあるということですから、もうぜんぶまるわかりになっている、ということです。

悪いことをするということは、神様の胎内で癌細胞をつくるようなものです。
それを神々が喜ばれるなんていうことは、絶対にないということは、むしろあたりまえすぎるくらいあたりまえのことと理解できます。

では良いこととは何かといえば、胎内にある私達が健康でスクスクと育つこと。
自分の役割を認識して、その役割をしっかりと担って生きること。

そういうもろもろの知恵を、古事記は「隠身」という一語で示しているのです。
いやはや、古代の日本人の知恵って、すごいと思います。

これは、古事記は「この世のすべても、あの世のすべても、過去も現在も未来も、それらはすべての神々の胎内にある」ということを「隠身」という語を三度も繰り返し説いています。
これはすごいことですと紹介されていたところの一部を抜粋。

こんな心があれば、あれもこれも起こらない事件だったのでしょうネ。

これらは昔の人々が供用された事柄だ。

そんな事言ってみても、自分もこの所おかしいいのです。

ウオーキングなども年々力が入り、毎日歩いていたのだが、酔っぱらってつい転倒してからは、腕を振れば肩が痛く、ひざにも違和感ありで、ウオーキングは中止している。

毎日運動していて自分は元気だと勘違いして、60代、70代、80代ともなれば、一度転んでしまうと、若い時と違っておかしくなる。

アルツハイマー型認知症と同じく、足元がふらつき寄れる。

この歳になり初めて体力、人間力のなさに気付くので御座います。

そんな身体でありますが、そろっとアヤメも咲く頃と先週の朝、久々に五十公野公園に行き歩いて参りました。

入口付近には、開花状況を知らせる表示があり、普段は3分咲きとか、7分咲きとか満開とあるのだが、行った22日の朝は「見頃」と表示されていた。

 

ハテ?見頃とは...

あやめ園といっても、アヤメよりも花菖蒲が多く植えられているのです。

チョト言われて来た事とズレが出ているのか?梅雨もドシャ降りになり、地球も磁場の狂いか地殻変動が度々起き、気温差も大きく、世界を見れば、大統領が牢獄に閉じ込められる国とか、大統領の発言が世界の耳に残る話題に。

商店街は相変わらず人影がなく、首相の発言は景気は良いのだと...

この世の中、どうも何かズレ始めたか?

 新潟ドローン空撮 しばたあやめ園まつり

思い出のあやめ園 

 

 

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このところの日々

2018-06-19 14:20:33 | 社会

この所、飲み会が続いている。

何も財布にたんまり入れ込んで出かける訳はでなく、当地域を護る神社が町内に有り、お昼過ぎの準備に、午後6時からの宵宮祭にと出かけて行く。

神様も公会堂内に祀られる時代となり、昔賑わした屋台夜店も無くなったが、十数年位前からだろうか当地の大祭の山車、台輪運営の若手が、近くの空地を利用して炉を組み、焼そばをふるまう様になり、お参りに来た方々への心ばしかのおもてなしである。

私達のテーブルにも振舞れる。これが大したもんデス。美味い! 年々美味くなる。 

町内の役員が宮司に挨拶がてらお酌をしたり、お参りに来て上がり込む町内の方々と、乾き物をつまみながら一献傾ける。

町内の人々との交流の場となる。

翌日の午前中は祭礼があり、出席出来る役員が集まり2日間に渡り、玉串を奉奠する。

その夜は直会(なおらい)が有り、役員同士の懇親の場であり、町内会の意思疎通の場が提供される。

その翌日は、久々に中学時代の同期の集まりで、初めて「〇京庵」に行って参りました。

入口は少し奥まった所にあり静けさがあるのだが、各部屋からは話声が聞こえ、大そう賑やかそうでした。

 

残念ながら欠席者もあり総勢5名だが、次から次と料理も運ばれれば、人数が減ってもテーブルは満杯になり色とりどりの皿が並ぶ。

久々に二次会に誘われ「ニューパブ・〇国」へ。

店内は我々と年代が近い方々のグループが、大勢ステージでカラオケを楽しまれておりました。

皆さん上手いですねー。カラオケ同好会かな?みんな新しい演歌を歌いますね。

今から頼めば10番目とか、私も一曲、古い演歌を歌って来ました。

日曜日は家内と「市民コンサート“2018”」に行き、地元の優れた演奏やら声楽を聴いて参りました。

S・Mさんのピアノ独奏、さくらさくら、浜辺の歌、荒城の月は、見事なアレンジで素晴らしいですネー。

自分の世界に編曲したフレーズがとても心地よく、この方はモダンジャズの世界も良いかもしれないです。

当地を代表する「花嫁人形」の曲にもチャレンジして頂き、ピアノ独奏で聴いてみたいデスネ。

昨日の夜は、商店街の役員会。本来であれば会議の後、一献となるのだが、何時ものメンバー2人が欠席で、「今回はやめるかね?」の一言で、「そーダネー」の撤退であります。マァ~商店街の現状を見れば遊んでばかりではいられませんナ。

家に帰り、息子が父の日のプレゼントで送ってくれた、何ともフルーティーなグランドキリンを家内と共に頂くので御座います。

 

 

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寺びらき

2018-06-11 18:19:08 | 散歩道

 

城下町には、お寺の佇まいがズラリと並んで建ち並ぶ所がある。

当市にも歴史を刻むその界隈があり、その道すがらを行くときは、漠然と眺めていて、宗派の違う寺院を次から次と訪ね歩く事はなかったが、今回、寺の境内や本堂を自由に拝観できるイベント「しばた寺びらき」が土、日の2日間開かれた。

座禅や写経などの体験のほか物販や、飲食のブースもあり、家族連れでにぎわっていました。
寺びらきは2015年に初めて行われ、今回は参加する寺院も増え、二日間で11寺院が参加した。

今年で4回目の催物。気軽に足を運ぶきっかけにしてほしいと、若者たちが町おこしの為に動き始めたのだ。

頂いた、“しばた 寺・美楽喜、TERA BIRAKI 2018 ”のモダンなパンフには、“お寺を感じる体験会いろいろ”とあり、

新発田には沢山のお寺があります。お寺は手を合わせる場であり、人々が集う交流の場。そして、どのお寺にもさまざまな物語があります。

そんな新発田の寺町に、素敵なモノと人が集まります。

あなたが触れる身近な物語から、またひとつ、新しくも懐かしい物語が始まりすと、各寺院での催しが紹介されていました。 

私も家内と出かけ、数寺訪ねて参りました。

ある寺には、書が多く飾られていて達筆な「安貧」の額装も飾られていたが、住職の話では「貧」の字の「分」の部分は刀で真っ二つに切るを意味していて「貝」の字は財を表すと、それを出来ぬのが「貧」という文字になると言ったか、出来るのが「貧」と云ったか?

「安」の字は屋根の下に女性がいると云う事で、奥様を大切にと言われて参りました。

またある寺では、葵の紋と菊の紋章の額に「瑠璃山」とあり、新発田の殿さまがこの門前を通られる時は、下馬され、礼されたと云う話もあると。

 

色々な云われや話も面白いが、上杉謙信に仕え、上杉景勝に滅ぼされた戦国武将、新発田重家が眠る、歴史ロマン溢れる古刹に行き、初めて墓参りをして参りました。

今回は数ヶ寺の参道でしかなく、まだまだ訪ねたりませんが、こんどは宗派により、壁を背にし座し、又は壁に向かいて座す、本物の座禅を体験して見たいですね。

当地の文化をたどる良い刺激の時を頂いた、催し物で御座いました。

 

 

 

 

 

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ドクダミ茶

2018-06-05 14:00:07 | 社会

前々から、歳をとると今日は何をするの?と問われ、何もなければ自分で考えて何かするようになる。
これはボケ防止の狙いか?

若い時は「別に・・・。」と答えて気にも留めずにいたが、我々の年代になると時間を有効に使わねばアッと言う間に時間が飛んでゆく。

自宅の小さな畑には家内が枝豆、ミニトマト、ピーマンなどなど色々植えている様だが、葉っぱを見てこれは何々とキッチリ答えられるだけの知識がない。

好きな方は、育ち具合を観て、次はこうこうと動作が続くのだろうが、私の場合は水やりくらいはやるが、みんな家内任せ。

そんな畑回りと花壇の近くの軒下に今年もドクダミそうや、ミントが群生している。

永年そのまま放置していたが、近所の方がドクダミ茶を作るのか、刈らせてほしいと来られた事が有り、どうぞ、どうぞと刈ってもらった事があったがその後はなく、私も数年前にドクダミ茶作りに挑戦した事がある。

ドクダミには解毒作用が有り、色々な薬効・効能が有ると言われている。また原爆が落ち焼け野原になった広島に、戦後いち早く咲いたのがドクダミそうの花だったという話がある。

しかし、当店に来るお客様の中で、味がイマイチなのか飲んでみたいと言う人はいませんネ。

麦茶と混ぜて飲んだ事も有ったが、私も翌年以後は作らずだったが、群生しているドクダミそうを見て、今年は刈り取り今一度ドクダミ茶作りに挑戦してみる事に。

 

 数時間だが、刈って水洗いをして軒下に乾す。

今夜は、近所某氏のお通夜である。ドクダミの匂いがしてはとシャワーを浴び喪服に着替える。

めずらしく同期が向かいにやって来た。出かければ次々と町内から通夜に向かう方々と出会う。

私より二歳年上の方のお通夜。もう何十年前になるだろうか若い時一度、故人と飲み屋街を二人で、はしごした事がある。穏やかな心やさしい面持ちの方だった。似たような年代も多く、通夜振る舞いは話が盛り上がる。

それで終われば良いのだが、久々の同期との一献。つい誘われその気になって、駅前のコンビニでワンカップを仕入れ、ベンチに座り二人であ~だ、コ~ダの論戦で盛り上がり、またワンカップを買い話が続けば、駅前に停車していたタクシーが全ていなくなる。

よく覚えていないのだが、それから飲み屋街へ誘われて、つい足元もふらつけばアッ!ドデン、イテテテ。

「罰があたったのよ。」は家内の弁であります。

ドグダミ茶は、たしか二日酔いに効くらしいのだが、さて?それでは手遅れか。

 

 

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