ダックのパパママストア

商店街に有る、パパママストア。
  何を売る店? 今日は、何をお探しですか....? 商店街で起こる色々なこと。

先週は、初めての事が~

2017-05-29 16:38:33 | 社会

先週は、商売よりも、色々やることが多く、20日の土曜は、小学校区の〇町ブロック青少年育成会役員総会。

21日の日曜日には当市の中心商店街を駆け抜ける、市制70周年「中心市街地ランニングフェスタ」が市役所を発着点に、約180名の方々が参加され、一般ランナー、仮装を楽しまれる方、普段は走れないメインストリートを疾走していただいた。

 

 

当商店街も給水所をもうけ、スポーツドリンクの提供やら、力走する姿を撮影し、今、空き店舗を利用して展示して、希望者には最大3枚まで写真をさし上げる「参加記念写真プレゼント」を実地中。多くの方にご覧いただきたい。

23日は当商店街総会、集まる人数も縮小なのだが懇親会のコンパニオンは、例年通り5名。まあ~2次会へ流れるメンバーは何時も同じ顔ぶれデスナ。

24日は、「民生委員制度創設100周年記念大会」に参加して、地域住民を見守る民生委員の方々のご活躍を拝聴して、いただいた資料の中に、「和顔愛語」(わげんあいご)の短冊があり、何処かにお貼りいただいて、春風をもって人に接していただきたいとの事。

また、26日は市保健自治会総会があり、地区活動費の交付を受け、27日は市自治会連合会通常総会があり、出席して参りました。

来賓祝辞は、100周年記念大会は市長も壇上に並ばれたが、こうも続けば副市長代読と云うことになる。

祝辞の中で、ふれあう心 よりそう笑顔 好きです新発田 陽だまりのまち 今日もやさしい 風が吹く

今年出来た市歌の 一節を取り、「虹の橋をわたって」作詞は、当市出身 たか たかし 作曲・編曲 若草 恵 歌 芹 洋子を紹介されていました。

詞にある様に、あの虹の橋をわたって 大空高く 舞いあがれ・・ 大空高く 舞いあがれ・・  となれれば良いですネ。

昨日は、当地区の小学校の運動会がありました。

孫の運動会は残念ながら、生では見た事はないんですが、地域の子供達のエールの交換、一生懸命走る姿、子供達のはつらつとした姿を見て、少子化と言えど元気が伝わって来ました。

まあ~、一つ一つの事柄を丁寧に紹介すれば、ブログも何話にもなるのだろうが、今年は役柄が増えて、初めての事が多く、あせらず、じっくり、じっくりと行きますかネ。

 新発田市歌 『虹の橋をわたって』

http://www.city.shibata.niigata.jp/view.rbz?cd=21263の中の添付ファイルをクリック

 

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講習記念:誘 笑 笑 ?

2017-05-20 16:10:51 | 社会

運転免許を22歳の時に取り、免許証の更新に何度通ったか、そのたびに警察やら教習所で、最近の道路事情やら法令の改正点などを学び、事故の悲惨、事例の教訓が有り、安全運転を心がけましょうの言葉で会場を後にする。

それで事は足りていると思いきや、「高齢者講習を受講しないと免許証の更新はできません。」何時しか?そんなハガキの届く歳がやって来る。

久々に自動車学校に行き、講師の話を聞き、15分ほどの運転教習を受け、動体視力、夜間視力、視野測定の検査後、後で読んでくださいと、高齢者講習用教本のパンフレット、「いつまでも安全運転を続けるために」の本、述べ2時間ほどの教習を受けて、県公安委員会の高齢者講習終了証明書を頂いて来るのだが、下記のコピーも添えられていた。

講習記念:誘 笑 笑 ?

           人生につまずくのが18歳 小石につまずくのが81歳

          心がもろいのが18歳 骨がもろいのが81歳

          恋に溺れるのが18歳 風呂でお溺れるのが81歳

          道路を暴走するのが18歳 逆送するのが81歳

          知らない事が多いのが18歳 忘れたことが多いのが81歳

          餅を噛み砕けるのが18歳 餅を噛んだら入れ歯が砕けるのが81歳

          ヘアスタイルを変えられるのが18歳 変えようにも変えるものがないのが81歳

          東京オリンピックに出たいと思うのが18歳 東京オリンピックまで生きたいと思うのが81歳

          自分探しをしているのが18歳 自分の家に帰れなくなり探しているのが81歳

          自動車の免許証が取れるのが18歳 自信がなくなり返納するのが81歳

          偏差値が気になるのが18歳 血糖値が気になるのが81歳

〇〇〇〇自動車学校

 

18歳&81歳のこの話は、全国的にも有名な話しのようですが、さらにここに付け加え、文章をつづられている方もおいでの様ですが、旨い事言いますよね。

チョッと笑っちゃいますネ。 

 

 

 

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アルビレックス応援go!

2017-05-15 18:06:41 | 社会

昨日は、家内の弟夫婦に誘われ、サッカー、アルビレックス新潟のホームグランド、ビッグスワンスタジアムへ行き、アルビレックスを応援して参りました。

お客様の中には、J2時代から応援されていて、晴れてJ1昇格を期に、応援に熱が入るのかシーズンパスも毎年用意して、友や家族で応援して来たと話される方もいたが、年月が経てば、事情も変わるのか?

家内の弟夫婦も、かつては、親や、子供達も連れて応援していた様だが、チケットが4枚あるのだが、子供も大人になって行かないとかの返事で、我が家にチケットが回って来たと云う訳です。

家内から「貴方、明日サッカーの応援に行く?」と声がかかる「エェッ~アルビー?、でも一度も応援に行ったことも無いし、良い機会だから、行ってみる」と返事。

しかし、対戦相手は勢いの有る「浦和レッズ」、勝てそうもないヨナ~、J2に降格すれば、まず応援には行かないだろうナー。

しかし、生の試合を見るのは、どんな雰囲気なのか楽しみで有ります。

家内は応援と云うよりもスター選手に興味が有る様で、浦和レッズの日本代表は「だ~れ?」と問いかける。

PM2:00試合開始だが、11時半頃、私達を弟夫婦が向かいに来る。スタジアムにも飲食コーナーはある様だが、「如何します?」と聞かれたが、中々手間取るみたいなので、途中スーパーにより、お弁当を用意。

飲み物はペットボトルは良いが、缶ビールとか缶に入ったモノは、持ち物検査ではねられるのだそうだ。

早く出発したつもりでいたが、高速道路から、野球場やビッグスワン近くの駐車場を見れば、結構車でいっぱいになっている。

また、高速道路を降りれば、スタジアムに向かう道路は渋滞状態。

「いや~スゴイもんですネ」と言えば、帰りは、もっとすごい渋滞だそうだ。

ビッグスワン近郊の駐車場はどこも満車状態。ようやくいくつ目かの駐車場にたどり着く。駐車券はコンビニで予め用意との事、警備員が入場通路に半券をもぎに来る。サァ~ここから向うの会場まで歩きます。

私は今、1か月20万歩にチャレンジ中で、歩くのは、嬉しいのだが、小さい子供達も親と同じアルビのユニフォームで、元気に歩いています。

スタジアムには、入れるゲートがチケット事に定められていて、そちらまで移動します。

初めて見るビッグスワンスタジアムはデカイ~デス!サポーターの応援席は、アルビレックス、レッズどちらも整然とした応援で、素晴らしいですネー。

家内の弟夫婦はビールを買って来てくれたり、つまみやらチョコレートなど、次から次と出してくれて、恐縮デス。楽しみ方を知っているんデスネ。

スポンサーのアピールや、色々なセレモニーが終わり、試合開始です。

試合早々、なんと!アルビの鈴木武蔵選手が先制ゴール。私の席の角度で見た時は、オンゴールか?とも思いましたが、スクリーンに映像が流れる。割れんばかりの歓声が上がる!

鈴木武蔵みたいな若手を出せばと思っていた私の想いに狂いは無い。

弟の奥さんとハイタッチであります。ヘェ~こんなに盛り上がるのかと思いきや、喜びもつかの間、前半6分過ぎ、同点ゴール挙げられ、あれよあれよの内に6得点を許す。

試合を観ていて分かりました。アルビの選手がゴール真近に攻め入るんですが、接触のファールを狙い、倒れ込むのです。審判の手は上がりません。そんな事が何度かありましたね。良い形になっても選手が100の力で攻め込まづ、7~8割の力しか出さなかったと云う事ですネ。

これじゃ~、強豪には勝てませんね、積極策もイマイチで、皆人任せ。そんな雰囲気がチーム内に漂っているのです。

そこがチョット残念でございました。今日の新聞を見れば、「新潟 悪夢の最下位転落」の見出し。浦和は首位浮上とある。

昨日の入場者数は30,864人チョットした市並みの人口数ですね。このスタジアムは、かつては4万を超える入場者数も集めた事もありました。

 

帰りは人々で会場周辺は溢れるのですが、 負けたとは云え、何か応援に行って清々しい感動が有るのです 。

それは、人々が淡々と云うか、整然と順番を待つんです。これが日本の文化と云うものでしょうか。

サッカーの試合は、外国からは、乱闘騒ぎが有るとか、順番を待たず割り込むとか、そんなニュースが度々飛び込んできますが、日本は周りのゴミを拾って帰るサポーターが海外では話題になる。私達も座席の周りを見て参りました。

試合の時間ばかりでなく、行き帰りの時も含めて時間を考える。その余裕を持てなくては楽しめません。

家に着いたのは、丁度、大相撲結びの一番の時でございました。

サッカーの試合を初めてスタジアムで見て、試合の時間だけではなく、行き帰りの時間も十分見当てる心が日本の文化を広めるか。

そこに気づかされ、充実感を味わえました。

今週の土曜日の試合から、日本代表だった、呂比須ワグナー氏がアルビレックスの新監督として、采配を振るう。

気持ちを新たに、100%の力で突き進め!!

 

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脳ミソの話

2017-05-11 15:51:10 | 社会

チョット題目が、学者でもないのに大き過ぎませんか?

一般人は余り脳ミソの事は、話題にはしませんよネ。

私が中学か高校生の頃、リーダーズダイジェストの雑誌だったか何かで、今新たに判明した事柄などが載った「脳」についての特集記事があった。

研究は第二次世界大戦の日本人捕虜などを人体実験に利用して、色々データーの集積もしていた様だ。

戦争で銃で頭など撃たれ、脳が損傷しても中心部を外れれば、後遺症が有っても何とか生き延びる人達も居た。

脳自体も表面部分の組織よりも損傷が免れる脳の奥深く、脳の中枢には何をつかさどるブイがあるのか?脳細胞表面のブイの研究は進んんでいたが、その一番奥に有るもの?それが解明された記事だった。

それは人間の生存に一番係わるブイなのか、人間の本質が表れるブイなのか?

脳の色々な話が載っていたのだろうが、一番印象深かったのか、後の記載は何も覚えてないが、其の事柄だけは今でも覚えている。

脳が考えると云う根本をなすものは、人間の本能なのかそれは脳の中心には「恍惚と怒り」を携わるブイが有ると云うこと。

人間の行動と考え方はそこを基盤になりたっているのか?

脳を走る神経細胞にプラスマイナスの電流が流れるのか?ドーパミンが出るのか?

脳内伝達物質が、どちらかに向かって行ったり来たりするのである。

「恍惚か怒りか」を何も考えずとも本能として捉えているのか、それがモノの基準なのか、突き詰めて行くと、それが脳の本官か、判断基準か?面倒ですが、そんな事を思っていた時期が有りました。

今日はその観点ではなく、別の脳のお話です。

私は11年前に一度入院した事がある。

朝、犬の散歩に公園を訪れた時、曇り空を眺めると、空にプツプツと黒い玉が浮かんで見える。

アレ?と思い、片目づつつぶって見ると、左目に黒い点がいくつも浮いて見えるが、痛みなど何もない。早速、眼科に行き診察を受けたら、「網膜剥離」と言われ、そく新潟の病院を紹介され手術を受ける事になった。

黒い玉は裂け目から出た血液の結晶なのか、それが光をさえぎり黒く見えたのだろう。

手術はマイナス何十度かの冷凍凝固術を使い剥離した膜を貼り付ける。網膜は地と二重構造で出来ていて、それに隙間があると機能しないそうで、眼球の外側からシリコンスポンジの様なもので切れた所を上から押しあてる。

まぁー枕みたいなモノをあてがい接触面の隙間を無くす。冷凍と言えば凍った窓ガラスに指など触れればくっついちゃう事が有りますよね。素人流の説明をすると、そう云う事だった様です。

二度入院して20日間位の入院だったでしょうか、退院して処方箋で眼鏡を作って、眼球の形態を保つ為なのだろう眼圧を保つ薬をもらい、一週間に一度づつ検査に新潟まで通いました。

何回目かの検査の時、眼圧が上がり過ぎている、今までの薬は全部破棄してくださいと言われ、危険だったのか、別の薬を飲み続ける事になる。

本来なら2~3日に一度位づつ診たほうが患者の異変に早く気付くのだろう。

ある日、歩いている時、何気なく電信柱を片目づつで見てみた。両目で見ている時は気付かなかったが、右目は真っ直ぐに見えるが、左目で見ると電信柱が、腰を振った様に曲がって見える。

眼鏡をかけ両目で観ているぶんには、何も問題は無い。家の障子の枠もみんな曲がって見える。左目は、映画で云えばスクリーンが歪んでいる状態。急に眼球の圧が下がりヨレヨレになったか?

時が過ぎ、新潟の病院から地元の眼科医に代わり、月に一度位の経過検査を受けていたが、それも何時しか安定して眼科医通いも終わり、モノを見るのに何も困る事も無く数年が経った時。

ある異変に気付く事になる。

これは人間が生きて行く上での能力なのだろう、私も網膜が切れたからといって、目が見えなくなった訳ではない。眼が損傷してもチャント病院までたどり着いている。

手術をした眼は今でも電信柱は曲がって見えるが、以前に比べれば和らいでいる。では、網膜の剥がれなかった右目はどうかと云うと、片目で見れば、今は左目と逆方向に曲がって見えるのです。

これは、あらゆる面で脳が年月をかけ命令を出し続け、身体のバランスを整える為に、神経細胞の網の目模様を創り直していたのだろう。

眼鏡をかけなくても、両サイドの目で見た電信柱(物体)は、脳で合体して真っ直ぐに見える様、修正されているのです。

古代より、生存能力では自然に脳が行う行動なのだろうが、それに比べ文明が発達し眼鏡も有る時代だが、

さて、この世の生き方として、人生の中で人間の意志は、どれくらい補正、修正が出来るのかね。

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狐の嫁入り

2017-05-05 14:06:45 | 社会

今年のゴールデンウイークは、孫達の到来が無い、初めての年となる。

長女夫婦は、長男が所属する少年野球チームの試合が有り、その応援に近所の同僚家族と共に、家族同志が応援。

子供らに声援を送るので来れないと、娘からTELがあったと家内から聞いていたが、「来週の休みには来るかしら?」と残念そう。

息子家族は、お正月に行ったから、今度は〇〇〇に行くとかで来ないと、マァー、ガンバっている様で、成果の上がらぬこちらはホット?するのでありますナ。

孫達もだんだんと大きくなれば、個々の生きる世界も広がり、ジジィちゃん、ババァちゃんなどの声は、何時まで聞こえてくるのかネ。

そんな事で、我が家のゴールデンウイークは、ロートル二人で如何するか?「ねぇー、狐の嫁入り行列でも行ってみない?」と家内から声がかかる。

そういえば、話には聞いているがまだ一度も見た事が無い。この機会を逃すと行く機会が、今後あるのか?天気も良い様だ。

車はダメ、電車で行こうと云う。若い時、父のドライブでお客さんと共に、阿賀野川ラインをドライブして、麒麟山へ行ったことが有る。阿賀町津川に位置する、標高191mの山。

山を登るとは思わず当時、下駄ばきで付いて行き、元気よく登ったせいか下山の時、下駄が岩に当ったか、パカッと片方が割れてしまい、残念だった思い出が有る。

下駄で山など登りませんヨネ。

津川へは今までの人生で1~2度位か?車で訪れた事がある程度で、今回のように町中を歩き廻るのは初めてであります。

羽越線で新津駅に出て、磐越西線で津川駅まで、普段乗らぬ路線の旅も、車窓からの眺めは何か懐かしい。

越後平野の田んぼには、水が引かれ田植えが始まって、所々に農作業をする人達が見える。

今、色々電車も新しくなり、機会は少ないが電車に乗るたびに、新しい車両を目にする事になる。
今までは、座席がベンチ式やら、向かい合う座席は、新幹線を除けば、両サイド2人掛けが普通だが、驚いたのは、私達が座った席は二人掛けの席でも、反対側は一人掛けで向き合っている。其のぶん通路に足も大きく出ず車内も広く感じる。

若い時は、地方を走る電車は、都会を引退した、お古の様な気もしていたが、今は新しいワンマンカーの車両が増えてきた。

車内に車掌の「つぎは〇〇〇~」と駅名のアナウンスが流れる。

五泉駅を出て山間地に近づけば、「サルワダ~」「サルワダ~」猿和田駅と、なるほどこの辺は猿が昔から居たのかと、「つぎはマボロシ」「マボロシ・・」エッ!幻?駅名を見れば「馬下駅」(マオロシ)。

車掌の声が割れ、よく聞き取れないのだ。流れる駅名を聞けば、その地の生業が感じられ、駅舎を眺めるのも風情があって面白い。

トンネルをいくつか抜け、阿賀野川の広大な川幅を見ながら電車は走る。約1時間半程の車窓の旅で御座いました。

津川の駅は、駅員総出で顔には狐のメークで御出迎い。「つがわ狐の嫁入り行列みどころマップ」をもらい、サァ~ここから阿賀野川に架かる「きりん橋」を渡り、20分前後歩いて、対岸の津川の町中へ。

駅には午後3時頃に着き、行列は5時頃からの始まりで、花嫁が旅立つ住吉神社をまずは、お参り。

津川では雁木を「とんぼ」と呼んでる様だが、町の家々の玄関先の土間の部分にひさしをかけ、雁木がつくられていて、雪の多い地域、私有地も公共のものとして利用する「雁木発祥の地」の碑が町角に立てられていた。

イヤ~町中は結構な人出でございます。外人の観光客も多く、顔には狐の体験メークで、皆さん楽しそうであります。

イヤイヤ外人ばかりでは有りません、総合案内所では、メークの順番待ちに男女問わず、多くの方が、まだ並んでおりました。

 

観光施設「狐の嫁入り屋敷」に寄り、のども渇き、ビールに麒麟山酒造のカップ酒を、麒麟山を眺めながらいただき、館内では狐火をテーマにした映画を見て、お祭りのいわれを知ることが出来ました。

住吉神社前では、花嫁行列の旅立ちを見て、子狐たちがお祝いの踊りをして、仲人さんが出迎えると云う場所に移動(仲人役は、新潟県両副知事がお勤め)最後はイベント広場に移り、結婚の儀、川舟で花嫁・花婿が対岸の麒麟山に向かう途中まで眺め、最終電車で家路へ。

 

 

帰途後、歩数計を見れば1万3千歩を遥かに超えている。結構歩きますネー。

良い経験となりました。まつりの様子は下記、記事をご覧下され。

 

狐の嫁入り行列の流れ 

 狐の花嫁 夕闇に映え 阿賀 嫁入り行列写真あり

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