ダックのパパママストア

商店街に有る、パパママストア。
  何を売る店? 今日は、何をお探しですか....? 商店街で起こる色々なこと。

いざ長岡へ

2013-11-28 14:56:03 | 社会

ひと筆申上候。の書き出しの文面を見て、姿勢の正しさから来るのか、毛筆の乱れの無い進み具合を見て、ぶれない凛とした精神を感じるのでございます。

2度のアメリカ生活、9ヶ月に及ぶ欧米視察で国際的視野を身につけた。科学・技術の急速な発展を目のあたりにして、石油と飛行機の重要性に開眼した山本五十六。その記念館を訪ねて参りました。

三国同盟に徹底的に反対し、海軍軍縮会議予備交渉出発にあたって、自室に西郷隆盛の遺訓「正道を踏み、国をもって倒るるの精神なくんば外国交際は全かるべからず」の書幅を掲げ、郷土の友人反町栄一につぎのように語っている。

「私は河井継之助が小千谷談判に赴き、天下の和平を談笑のうちに決しようとした、あの精神をもって使命に従う。軍縮は世界平和、日本の安全のため、必ず成立をさせねばならぬ」と。それに反し、自らの意志とは違った方向に流れて行く時勢を率直に慨嘆している遺品も残されている。

来場者がポツリポツリでは有りますが、次から次へとやって来る。近くの五十六の生家も見て参りました。

それと河井継之助記念館も立ち寄って参りました。ここもそんなに大きくはないのですが、訪ね来られる方々が平日にもかかわらずおられます。人気があるんですね。

長岡の街を久々に訪ねれば、駅と商店街につづく、大きな連絡通路は、雪吹雪から人々が守られ、エスカレーター、エレベーターが完備していて、通路には道案内のプレートがあり分かりやすい。

我が町の市役所が新築成るのだが、その参考にも成っている「シティホールプラザアオーレ長岡」も見て参りました。ここは連絡通路から、3階のフロワーにつながっていて、駅のホームから直接来ることが出来る。

フロワーには女性の案内人がいて、私達みたいな、おのぼりさんでも困ることは無い。

普通市役所には案内人など居ませんよね、新鮮な驚きでございました。上記の記念館も、ここで案内をいただき行って来たと云う訳です。

軽食の場はあるようですが、社員食堂の様なものは無く、みんな街へ出て、食堂街の活性化につなげようと云う事なのだろう。

昨日の午前中は長岡巡りでございましたが、2時前には店に戻り営業です。

実は、一昨日の午後1時過ぎに、商店街有志4人と長岡の奥座敷、蓬平温泉に出かけて参りました。若手経営者から、「たまに温泉でもいかがですか」とお声がかかり、メンバー全員が火曜日ならと、あの悪天候の中、出かけてきたと云う訳です。

宿の隣、商売繁盛の神様「高龍神社」へ、4年前に訪れた時は、急な階段を登らず、エレベーターで上がったせいか、御利益がチト.....さすれば、急階段をとは行かず、やはりロートル組はエレベーターで御座いました。若手が一人階段を登っておりましたが、苦しげです。

お参りをして、くじを引けば吉。大でも小でもありませんでした。

宴会には、新潟に移転した経営者も合流して、ついつい見境無く呑んでしまいますネ。

つるつるした良いお風呂で御座いました。

おみくじを見れば、吉は大吉より良しと云う人あり。

よくよく見れば、◆いままでけわしき山路こゆるともすえは花さく野辺にいずらん

 

 

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ウエストサイドストーリー

2013-11-21 14:45:52 | 社会

ウエストサイド物語が1960年台に世間を賑わしていた事は、少年ながらポスターなどを眺め知ってはいたが、何かミュージカルとか云って、ダンスが主体の映画で、あちらから新しい息吹が、徐々に吹き込み始めた時代だったが、米国の文化といえど、幼少の私には興味が沸かなかった。

海外ミュージカル作品を上演する劇団としては、草分の劇団四季にも早くから取り上げられ、今では世界中で知られる傑作ミュージカルの一つと言われている。

家内が市の広報か何かを見て、すぐ入場券をもらって来てと言ったのは、今から2ヶ月程前のことだった。

新発田中央ロータリークラブ20周年記念事業で、劇団アラムニーに寄るミュージカル公演ウエストサイドストーリーが当地に来ると言うのだ。早速公民館へ駆けつけたが、入場整理券の割り当て分はもう無く、後援の商工会議所へ行きもらって来ました。

その公演が先日あり、全席自由席の為、家内と早めに出かけたつもりでしたが、一階二階席会場はほぼ満席に近い状態でしたが、運良く二階席に座る事が出来ました。
時間が経つにつれ3,4階席と埋まっていきます。

パンフレットを見ると、アラムニーは2000年に旗揚げされたミュージカル専門のアマチュア劇団とある。「多くの人にミュージカルの素晴らしさを伝えたい」というモットーのもと、活動を続けていて、群馬県を中心に活動し、毎年2月から3月にかけて無料でミュージカルの公演を行っている。

“alumnae”とは、ラテン系からできた英語で「卒業した女の子たち、同級生」という意味です。
メンバーは群馬県内の女子高校の卒業生を中心にしており、それぞれの学業や仕事に励みながら、「高校を卒業して一歩大人になったからこそできる、新たなミュージカルの可能性」を求めて、大好きなミュージカル制作に取り組んでいます。

私たちは毎年入場料を取らずに公演を行っています。
そこには、老若男女を問わず多くの人に、私たちの愛するミュージカルという舞台芸術を見てほしい、身近にミュージカルを感じて欲しいという団員の願いが込められていますとあるのだが、物語が始まる前に、劇団員が登場して、観客に向かい「この物語を知っている方」はと挙手を求め、「聞いた事はあるが良くは分からない」という方にと言って、あらすじを紹介してくれるのです。そして結末は劇を見てのお楽しみと云う訳だが、懇切丁寧に説明してくれて、ダンス中心に進む劇だが、この年に成って初めて、物語の内容が良く理解出来たたという訳です。

劇中‘トゥナイト’とか‘マリア’とか、有名な曲が歌われ進むのだが、一般の歌の唄い方とは違い、ミュージカルは何か朗々としている。

今回の団員は全員学生なのだそうだ。男役もすべて女性で、カッコ良く、宝塚劇団が来たようでした。

ウエストサイドストーリーの公演を十分楽しんだ後、来春公演のロミオとジュリエットの一部のステージが、もっと見たかったんでありますが30分程有りました。

先に演じたウエスサイド物語は、シェクスピアの戯曲「ロミオとジュリエット」を参考に、当時のニューヨークの社会的背景を織り込んで出来たと聞いて、いい勉強になりました。

フィナーレにこの続きは、どうぞ皆様、来年群馬までお越し下さいと挨拶があり、会場からは拍手喝采でございました。

 

 

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まんじゅう屋さん

2013-11-15 18:15:05 | 商店街

数年前に、立てなくなり車椅子での生活の、親戚のおばさんを、息子さんの案内で、老人ホームへ見舞いに行った時、「俺誰だかワカルケ?」と息子さんが話しかけるが、「ハテ何方だったろう?」の答え。何方が行かれても、ほとんどがそんな答えなのだそうだ。

「コレ、誰だかワカルケ?」お会いしたのは数年ぶりか、名前を言っても仕方がないので、私の住んでいる地名を「○○○ダッ」と言う。昔、聞いたことの有る地名が急に出て、ハッとしたのか目の色が一瞬変わった様に私には見えた。

私の母も、晩年病床に臥していて、ある時、病室を訪ねると、動じない私を見て、「お前見えねケ」と母が言う。何がと聞くと、何もない壁の方を見て人が居ると言う。「誰も居ないガネー」と私も、母の視線の方へ移動して壁の前に立ち、ホラネと両手を広げて振ってみせる。

母も、おかしいと云う気持ちも有るのだろうが、自分には見えるんだよねと言って、ベットの上で、腕を伸ばし払おうとするのか腕を振る。

強い薬の副作用か、衰えから来るのか?幻想と現実の狭間の葛藤でも、幻の方が強ければ、中々脳裏から消し去る事は難しい。

それを、強く否定しても、しかたがない。かえって心に強く残りはしないか?それを人々は、老いぼれたとか、もうろくしたとか、ボケたとか、認知症なだと言うのだろう。

数日前に、近所の隠居した御年長の奥様が、ヒョイと当店を訪れた。

「イヤァー○○さんお久しぶりデース、お元気でしたか」。

「誰か居るろっか?」と、辺りを見渡し「オッカネガッター」と言う、「如何しました?」

車でお父さんと出かけたら、見ず知らずの男にぼったぐられた(追いかけられる)と云う。話を聞いているうちに、そこが近所の場所に変わって、近くの○○さんがじっとこちらを見てるのだと云う。話をうなずきながら聞いていたが、落ち着いたのか買い物袋から、饅頭を包んだ大きな包み物が出てきた。

何処の饅頭屋だったか、歩いていて美味しそうだったので買って来たと言う。今日は私方の、じいちゃんの記念日だと言い、私にもくれると云って、箱に入れず、綺麗に包まれている包装紙の真上から切ろうとする。「オッカ様、うちはいいですケ、持って帰って下さい」と言うのだが、無雑作に切ろうとするので、綺麗に解いて饅頭を「じゃー1個頂きます」と言うと、奥さんもいるもの、もう一つ取れと云われ、色違いを一つづつ頂いた。

老夫婦二人の生活には、饅頭は20個位有ったか?チョト多いのでは...それを包み直し、買い物袋に入れると、そこには手付かずのトイレットペーパーに、羽織るものと洗面バックが入っていた。買い物するのに普通トイレットペーパーは持って行かないよナ。

どちらから帰ります?と聞くと、裏口から出ると言うので案内して行くと、裏の駐車場の車を見て、「アッ、白いマスクした人がいる」と言って、後ずさりする。「誰も居ませんがね、アレは、座席のかっこうデスガネ」。心配なので家の入り口まで送って行った。

翌朝、自宅の仏壇をお参りして帰って来ると、店の住居の入口の中で、家内がオッカ様の背中をさすって「○○さん皆が居るから大丈夫ですヨ」と励ましているところだった。

「お早うございます、如何なさいました?」話を聞くと、心配して、息子さんもちょこちょこ来る様になり、お母さんが行く病院だから、俺が探すと言って、○○病院と云う一番綺麗な病院を探してくれたのだそうだ。

「それは、よろしゅうございました。じゃーたまに行ってみなされば良いですがね」と、

話が昨日の饅頭の話になり、美味しかったですヨと云うと、こんないっぱい、お前ご飯代わりに食べれと、旦那さんに言われたのだそうだ。

孫達も遊びに来て、饅頭が美味しいと仏壇に供えたものも無くなり、私が食べようと思った時、何も無かった事があったのだそうだ。

饅頭屋さんに買い物に行って、支払いの時、何処を探してもサイフが無い。

「申し訳ない、私サイフ置いて来たみたいだワ」包装されたのを目にし、「今回取り止めにしてもいいですか」と言ったら、饅頭屋さんが、「良いデスガネ、家に帰えって、置いてから来てもいいし、食べてからでもいいですよ」と言うのだそうだ。

電話番号を2回聞かれたそうだ。間違わないで答えているので、「しっかりしていなさるガネー」と言われたと云う。

お客様を気遣い励ましてくれている。

 当市にも、名の有る饅頭屋さんが何軒か在る。御年長のお客様も職業柄多いのだろう。

こんな話を聞くと、商売屋の人柄が見えてくる。

旦那さんからは「度々すみません」と、先日電話を受けていたが、朝方「家のお邪魔してたでしょうか」と、電話がかかって来た。

「今日は、お越しになっていませんが....」

 

 

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雨の秋山郷

2013-11-06 17:43:32 | 社会

蛇淵の滝

今年の秋は、紅葉を楽しみたいと言っていた家内と、連休の最終日に、秘境秋山郷に行ってまいりました。

何も知識も持たぬ私達は、気楽にバックひとつで、町の停留場からバスに乗り出かけられると、9月の初めに、小型バスで行く、『ふるさと案内人とめぐる紅葉の秋山郷』の日帰りツアーを見つけ、申し込んでいたと云うわけです。

あいにく、前日から雨、雨、雨でございます。しかし、ノーテンキな私達は、バスに乗ってしまえばこちらのものと、前日、当市で行われていた旧全国観光みやげ品展示即売会「全国うまいもん横町」で、明日の朝食用にと、奈良の柿の葉寿司をゲットし、道中あまりお金を使わなくとも良い様に、熱いコーヒーとお茶をポットに入れ、チョコレート、ガム、アメなどを用意して出かけるのでございます。

小型バスと言えど、そこは観光バスと思っていたが、座席幅がやはり狭い。メタボ対策の遅れを気にする二人だが、24人満席でバス2台の出発、人気があるんですネ。

関越道から十日町へ出て、松之山美人林へ。ブナの林がまっすぐ空に大きく伸び、その高さは圧巻です。運良く雨も小雨になり、歩いていても大きな木々の葉のおかげか、雨が当たりません。40分ちかく並木道を散策して、森林浴を楽しんでまいりました。

年金問題で話題になったニューグリーンピア津南で、(新米コシヒカリ釜炊き御膳)の昼食。隣はゴルフ場が広がり、当施設も巨大な宿泊施設。今は第3セクターの運営とか?

こんな山奥では、観光バスなどには大いに来てもらいたい所だ。

ここから、ふるさと案内人と一緒に出発。秋山郷の入り口、見玉不動尊に向かいます。ここにも、平家が広めたと云う不動尊が祭られ、滝の横を登れば、崇高な霊場。杉、栃の大木に囲まれた趣は別世界でございました。

車窓から対岸の中腹を見れば、何か洞窟風呂が有るという逆巻温泉の一軒宿、川津屋が見える。ここは吉川英治が投宿し、代表作、新平家物語の執筆を始めた所だそうだ。

また、見倉集落まで来れば、ここを訪れた江戸時代後期の文人、鈴木牧之が、当時、雪深い魚沼や秘境秋山郷の生活を書き伝える「北越雪譜」を刊行し大評判となる。秋山郷を初めて世に紹介した。

くねった山道を行けば、車のすれ違いはハラハラする。マイカーで景色を見ながらゆうゆうドライブなど出来そうもない。ここまで来ると、小型バスでの観光に、乗客全員納得です。

ふるさと案内人が、「その曲がった所で、右にギリギリ寄せ止めて下さい」と、運転手に道中、何度か指示を出す。

右側は断崖絶壁で、車内からは「危ないから寄るな!寄るな!」の声。反対側の席の人は、下が見えないから、立ち上り覗きこもうとする。「傾くから立つな!立つな!」の声。よくよく考えれば帰り道は、反対座席の人も見えるわけだが、紅葉の中津川渓谷の、大パノラマを眺望して車内は大興奮。

紅葉と云っても黄葉が九割方で、今年は紅葉が少ない様だ。バスガイドさんの話では、雪が積もる頃紅葉も深くなると。

秋山郷の一番奥の集落まで行って参りました。高齢化が進み、集落も三軒だけの地域もあり、20年前に廃校に成った小学校は教室を改良して宿泊施設に。

びっくりしたのは、アワやヒエが主食だったが米を食べたいその一心で、急傾斜地にお城の様に石垣を組み、田の面積を広げた石垣田。こんな風景を見るのは初めてで関心しました。

大赤沢から、150段ほど階段を下った所にある蛇淵の滝は、大昔蛇が住んでいたと言う荘厳な滝だが、展望台の大きさが畳二枚あるか無し、一目見たら次の人に場所を譲り帰る事に。

前倉橋は、苗場山の溶岩が昔、ここまで流れ来ていて、柱状摂理と、紅葉の岸壁が絶景でございました。

中津川渓谷のつり橋、見倉橋も見たかったんでありますが、雨が降り足元が危ないと云う事で中止に、最後はニューグリーンピア津南に戻り、一風呂浴びて帰って参りました。

 ●日本国内で最後の秘境と言われている所。皆さんも天気の良い時、一度訪ねて見ませんか?

 

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