私が小さい頃、例えて言えば、木のミカン箱位の大きさの張りぼてに、ひごに木製の車を4つ付けて、その上に金魚の形をしたボンボリの乗った小さな曳き車と一緒に、ハッピを着て鉢巻をした白黒写真がアルバムに残っている。
それを経済成長が華やかしき頃、伝統文化も盛り上げようと、各町内で大型の金魚台輪を製作して、子供たち皆で参加する風物を作りあげる。
繁盛記には、各町内の金魚台輪が子供たちの声と共に、そろってメーンストリートをパレードした時代も御座いました。
それも何時しか町内の子供たちの数も減り、メーンストリートのパレードは思い出となり、我が町内も、金魚台輪の町内曳き廻しは、今年が最後とか...。
そんな中、今年初めてまつりパレードに、昔懐かしい子供たちの、灯りを燈した金魚台輪を曳く、パレードがありました。
そのパレードの数日前に、町内会長から我が町内の台輪の「お囃子の最後の練習があるから」とお呼びが掛かり、まつり文化の音色を聞いて参りました。
丁度その日は、新たの場所、ライトアップされたお城の櫓をバックに、十数年ぶりに旧市内の夜空に、花火を打ち上げる日でしたが、残念ながら花火は見る事が出来ませんでしたが、私がおまつりに係わっていた頃よりも、お囃子に若いメンバーが多く加わっていて、驚きました。
我が組の旋律に乗った、笛、三味線、締太鼓の音色が響き渡る。こう云う気運があればこそ伝統文化もすたれる事はないのでしょう。お囃子の練習の合間には御年長たちと一献飲み交わす。
後から、台輪の頭取や取締数人が加わり、木遣りを披露。朗々とした声が響き渡ります。
私が係わって居た時よりもはるかに上手い若者が多い!
長老に聞けば、歌を志していた人が地元に帰って来ていて、息づきや、発声練習の基本から指導をしてくれているのだそうだ。
そんな宴席の中、隣席の御年長と、頭取が金魚台輪を今後如何するか?PTAが難しいと言うのであれば、まつりの若衆の会合の席で話し合ってみますと言っていました。
素晴らしいですネ、若い人たちも地域の文化を大切に思っています。
上は、当町内の数年前の金魚台輪 町内曳き出しで集まられた時の、記念撮影前の一コマ、参加者は残念ながら年々減少しています。