ダックのパパママストア

商店街に有る、パパママストア。
  何を売る店? 今日は、何をお探しですか....? 商店街で起こる色々なこと。

まつり

2016-08-31 13:10:20 | 社会

私が小さい頃、例えて言えば、木のミカン箱位の大きさの張りぼてに、ひごに木製の車を4つ付けて、その上に金魚の形をしたボンボリの乗った小さな曳き車と一緒に、ハッピを着て鉢巻をした白黒写真がアルバムに残っている。

それを経済成長が華やかしき頃、伝統文化も盛り上げようと、各町内で大型の金魚台輪を製作して、子供たち皆で参加する風物を作りあげる。

繁盛記には、各町内の金魚台輪が子供たちの声と共に、そろってメーンストリートをパレードした時代も御座いました。

それも何時しか町内の子供たちの数も減り、メーンストリートのパレードは思い出となり、我が町内も、金魚台輪の町内曳き廻しは、今年が最後とか...。

そんな中、今年初めてまつりパレードに、昔懐かしい子供たちの、灯りを燈した金魚台輪を曳く、パレードがありました。

そのパレードの数日前に、町内会長から我が町内の台輪の「お囃子の最後の練習があるから」とお呼びが掛かり、まつり文化の音色を聞いて参りました。

丁度その日は、新たの場所、ライトアップされたお城の櫓をバックに、十数年ぶりに旧市内の夜空に、花火を打ち上げる日でしたが、残念ながら花火は見る事が出来ませんでしたが、私がおまつりに係わっていた頃よりも、お囃子に若いメンバーが多く加わっていて、驚きました。

我が組の旋律に乗った、笛、三味線、締太鼓の音色が響き渡る。こう云う気運があればこそ伝統文化もすたれる事はないのでしょう。お囃子の練習の合間には御年長たちと一献飲み交わす。

後から、台輪の頭取や取締数人が加わり、木遣りを披露。朗々とした声が響き渡ります。

私が係わって居た時よりもはるかに上手い若者が多い!

長老に聞けば、歌を志していた人が地元に帰って来ていて、息づきや、発声練習の基本から指導をしてくれているのだそうだ。

そんな宴席の中、隣席の御年長と、頭取が金魚台輪を今後如何するか?PTAが難しいと言うのであれば、まつりの若衆の会合の席で話し合ってみますと言っていました。

素晴らしいですネ、若い人たちも地域の文化を大切に思っています。

上は、当町内の数年前の金魚台輪 町内曳き出しで集まられた時の、記念撮影前の一コマ、参加者は残念ながら年々減少しています。

300年の伝統 「あおり」勇壮 城下町新発田まつり台輪奉納 - 新潟日報 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

御柱祭

2016-08-23 03:37:47 | 社会

日曜日は、地元諏訪神社の御柱祭があった。始まりは12年程前に信州諏訪大社から御柱を拝受賜ったのが最初で、今回で3回目となる。

1回目の時は、丁度父の葬儀と重なり眺めることは無かったが、2回目、今回と市中曳き廻しの模様を眺めて来ました。

  

来春オープンする市役所新庁舎前にパレードがさしかかる。

 新発田総鎮守・諏訪神社は長年この地を守り、市民の心の支えとなってきました。その神様の御霊を入れたお神輿や天高くそびえ立つ御柱は、それぞれ郷土の誇りとして多くの市民に愛されていますと、今度のJC理事長は語っていて青年の心意気を感じ頼もしい。

経路には、子供たちの「安兵衛太鼓」演奏、高校生のブラスバンドなどが道中を盛り上げる。しかし、御柱御一行の休憩時間での演奏はなく、出発時での演奏では、せっかくの演奏を聞きいる人々は立ち去り減ってしまいますよ。

ブラスバンド部の楽器を持つ控えの生徒からは、「エェ、もう終わり?」と隣の生徒と話す小声が聞こえて来る。

たった2曲の演奏では準備の割には気の毒、そこで「アンコール!アンコール!」と叫んできました。

すると他からも「アンコールの声が上がり、全員参加のパートでもう1曲を高らかな活きよいで奏でていました。

 

  

各町内を廻って来た御柱は、次の町内に木遣りと共に引き渡せられます。

最初に拝受した時、御柱に白無垢を纏わせて来た事に、信州諏訪の方々も大変感激し、木遣りの方々も同行され、お祝いして下さいましたと伝わっている。

それを大勢の市民が出迎えた事は言うまでもない。今年の「御柱祭」ではないが平成22年夏、御柱祭りがユーチューブでも紹介されています。

  

最初に、諏訪の方々の木遣りを聞いた時、余りにもかん高い声でビックリしたのです。我が町にも伝統の木遣りが有り伝統では負けないつもりでいるのだが、如何してあんなにかん高いのか?

そこで、諏訪の長老のおともに来られていた女史にお聞きした。「みなさん、あんなにかん高い声なんですか」と、

そうしたら女史の言うのには諏訪では、木遣りの事を鳴く(泣く)と云うのだそうだ。だからみなさん、よりかん高く訴える。

より信州の山々に響き渡れと云う事か。

なるほどネー。聞いてみなくちゃ分かりません。

翌日の朝6時過ぎ、御柱の建立された姿を眺めて見ようと、自宅のナス、トマトを少々収穫の後、写真を撮ろうと出かけて見ました。

御柱前には宮司親子が御柱の手入れをされている所で御座いました。

神殿にお参りせねばと思い階段を上るが、ズボンをはき替えていて何処を探してもアッ!サイフが無い。

つい、お賽銭をあげる真似をして参拝。

階段を降りながら宮司親子に会い「おはようございます」と挨拶を交わす。

しばらくすると、賽銭箱方面からガラガラ~と音がした。振り向くと宮司が賽銭箱近くから立ち去るところだった。

イヤハヤまだまだ、信心が足りませんナー。

 

6年に1度の新発田御柱祭(BSN新潟放送)ニュース

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年のお盆

2016-08-15 16:14:23 | 社会

今月に入り、東京から「〇〇君が墓参りに来てその時、皆と飲みたいと言ってるけど都合如何?」と、某女史からTELがあった。

中学の時の同期である。同級会ほどの呼びかけはしないのだが、今回は担任の先生もお呼びして、数人での飲み会。

女性群が都合のつく方がいなく、段取りをした某女史もその日は、7時半より習字教室を開かれていて、6時からの宴席には1時間余りだが顔を出されて行かれた。

歳をとると、どうも悪酔いしたり、気の利かぬ事が起こるのか?久々に会った記念に、マスターに写真を撮ってと声をかけたのが、段取りをしてくれた某女史が引き上げた後だった。

サァーサァー大失敗。するとめったに会わない同期から、私が悪酔いして終点まで電車に乗って行った話しなどが出て来る。

こう云う話は、よく合う人達には私も体裁が悪く、余り話をした事はないのだが、めったに会わぬ同期には、気を許すのか、近況を語ってしまうのか?数年前に一度あった事がまた話題になる。

集まった中には、息子同士が中学生の時、野球でバッテリーを組んでいた同期もいて、その息子さんの

お姉さんがこの度、スウェーデン人と結婚してスウェーデンに住むと、風の便りで聞いていた。

御仁に聞けばそれは嬉しいよーと答えていたが、結婚式はあちらで8月15日、1年で気温も20度位をキープできるのは、北欧では今の時期しかないとの事。

「何人で行くの?」と聞けば、御親族20人で出かけるそうだが、旅費は一人いくら掛かるのかまでは聞かなかったが、名古屋や東京へ出かけるのとは訳が違う。

めったに行ける所ではなく、何日か滞在して来るようだが、私の知っている人に、こう云う人も居るとはネー。

搭乗券もまとめては取れなく、先に行った息子夫婦から気温も12℃位しかなく、羽織るもの1枚余分にとTELがあったそうだ。

知人の話しでは、スウェーデンは税金も多く負担する様だが、福祉の国で、日本から帰国した彼は、国が仕事を紹介してくれて、こんどは税関職員として働く様だ。また仕事が気に入らなければ国が仕事をまた探してくれるのだそうだ。

彼女も向うの国籍がとれれば、そう云う事になるのだろうとの事。酷寒の地であっても、暖を取る燃料は国の統制下で部屋は暖かい。

さて、話は変わるが数日前に娘夫婦がお盆休みでやって来た。

今月は東京でも会っているのだが、孫3人の仕草を見ていると、それぞれの発達があり面白い。

小さい頃は余り言葉も話せずじっと見つめ合うとか、ダッコするだけ。

それが末娘も3才半も過ぎれば、昨年と違い、「じじちゃん、お手てつないで」とか「じじちゃん、こっちでままごとしょう」とか、口もたっしゃになり、行動と笑顔も増える。

さて、数日前に結婚式に スウェーデンに飛び立った彼も、孫が出来れば会いたいだろう。

今は遠く離れていてもTV電話のある時代だ。直接会えなくても近況は知る事が出来のだろうと、勝手に想いをふくらましたが、スウェーデンは福祉の発達した国だ、知人の言うのには、日本と違って有給休暇も多く有るのだそうだ。

頻繁に日本に里帰り出来るのかもネ。

そこへ行くと我が家のお盆は蒸し暑く、ふところは残念ながら酷寒の地とは、世の中、何とか丁度良く成りませんかネー。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京で孫の誕生会

2016-08-10 13:50:26 | 社会

厳密にいえば、東京近郊なのだが、地元の人達に話す時は「東京に行って来る」と話す。

息子夫婦の2番目の子が、一歳の誕生日を迎えた。その祝をするので、息子の家へ出かけて行ったという訳です。

年越しの時、我が家に来た時は、まだ赤ちゃんで、携帯に送られてくる写真を見れば、目鼻立ちもハッキリして来て、もうこんなに大きくなったかと、会うのも楽しみだが、おじいちゃんダヨ、おばあちゃんダヨと分かってもらえるか?実際ダッコして泣かれたらとかチョッと心配も。

金曜の昼近くの新幹線で出かけたが、夏休みに入り、月初めの週末ともなれば、子供連れも増えるのか、結構な混みよう。

こちらは時間を気にせぬ自由席の身だが、始発からの搭乗で、こんな時のささやかな楽しみ、席に座って駅弁を頂いての旅立ち。

途中駅から乗車の方々は、こんなに混めば通路に立たれる方も多く成る。

今日は息子の住む地域で盆踊り大会が有り、孫がじいちゃんと夜店に出かけるのを楽しみにしていると連絡があったが、そもそも神社が近くに有る訳でもないが、地域会の人達か、またPTAの人達か近くの学校の校庭を利用して、夏を盛り上げている。

   

都会近郊の住宅街でのコミュニケーションを計る手段なのだろう。こんなに子供たちが集まっている所を見るのも久しぶりだ。

地域社会が逆転して、田舎では子供の数がめっきり減って、回覧板に、町内会の皆様あてに、「夏休みの行事について」のしおりが配られて来たが、それを見ると、地域の神社から曳き出す、子供たちの「金魚台輪」は、児童数が減少し、運営が困難になったために今年度で、金魚台輪曳き出しは最後になります

詳細は後日連絡いたしますと、案内が回って来た。地域人口の減少である。

当町内から地元の風物伝統が無く成り、そこへ行くと都会は逆の事が起きていると云う事か。

まだ明るいうちに息子夫婦に、孫二人と私達は、校庭に出かけて見ました。

1歳の孫は、私に抱かれても別に泣く事もなく、このオッサンはだ~れ?そんな顔つきだが、家内が抱いたら泣き出したが、それも時間が経てば慣れて来る。

4歳になった孫は、見よう見まねで腕を振り、首をかしげ盆踊りらしく、やっているから、面白い。

話を聞けば、ラテン系やハワイアンも、教えた訳じゃないが、それらしい仕草と云うから「ヘェー」と顔がほころぶ。

翌日は、嫁さんの御両親とおばあ様も来られ、久々の再開。

90歳を超えられたおばあ様はしっかりしていて、趣味は数字パズルが楽しみとかで、色々な雑誌などからコピーをした問題を解いていると云う、また習字もたしなみ、話す言葉に迷いが無い。

お父さんお母さんは、魚をさばき刺身を盛り付けてくれる。長男の誕生会にも腕をふるって頂き、今回も御馳走がテーブルに並ぶ。

長女夫婦も孫3人と訪れ、これまた久々の再開。孫どうしも、こんな時にしか合わないのだろうが、良くしたもので、前回よりか会話もはずみ、一緒に遊んでいる。

 

長女1歳の誕生日、プレゼントも並び、皆で御馳走も頂き、伝い歩きの孫に最後は、「一生食べ物に不自由しないように」という願いを込めて一升餅を担がせる。当然歩ける訳が無いのだが、孫の担いだ、縁起物の紅白のお餅を私達もおみやげに頂いて参りました。

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする