ダックのパパママストア

商店街に有る、パパママストア。
  何を売る店? 今日は、何をお探しですか....? 商店街で起こる色々なこと。

アマリリス

2010-03-26 21:03:40 | 社会
来店されたお客様が「雪がちらついてたわ」と言って来られた。
今日は少し冷え込んでいる「うちもスノータイヤはまだ付けたままです。」
お客様も4月に取り替えるのだと言う。
まだまだ安心は出来ぬ。何時も激しい寒暖の差を繰り返し、春はやって来る。

当店には今、シンピジュ-ムの鉢の花が咲いている。
寒さに相当強い花なのだろう色々ご指導頂いて、立派に咲いている。

後は、胡蝶蘭、デンドロビウムと、小さな鉢が有るのだが、花が咲くまでまだまだだ。
温度管理をこまめにと指導を頂いているのだが、無精者の私に掛かっては、花鉢はジッと寒さを耐えているのだろう。

東京にいる息子から週初めに、「お父さん、お許しを頂いてきました。」とTELが有った。
息子が、今週彼女の親御さんの所へ、結婚の承諾を頂に行くんだと、家内が話していた。
彼も新たな人生に向け歩き出した。今度は、彼女を此方に連れて来ると言う。
その後、此方も彼女の親御さんに会いに出かける事になる。

先だって、東京へ出かけた時、東京駅に隣接するシャングリラホテルの28階のラウンジで息子の紹介したお嬢さんとは会っている。
息子が迎えに来て、ホテルに行く道すがら、今まで気にはしてなかったのだが、ふと「鼻毛でてる?」と問いかける。かすかに出始めている様で、一度立ち止まり、指で引っこ抜く。
鏡が無いと中々上手くポイントが定まらないがこれで大丈夫。
家内と息子にクスクス笑われたが、だいじなお嬢さんに会うのに、鼻毛が出てては興ざめと云うもの、これも親の勤めでござる。

食事を頂きながらお会いしたのだが、丁度、目の前の大きな窓から、建設中の「東京スカイツリー」が展望できた。
「おおーあれか?」「今の高さの倍以上になるのか」「今度は出来たら又、着て見たいね。」
話を聞くと、お父上は私より一才若く、スポーツマンで冬はスキーをやるらしい。
私は雪国育ちだが、小さい頃にしかスキーを履いた事が無い、差が有るナー。

彼女は此方で働く前に、NPOでベトナムに行き2~3ヶ月働いていたのだそうだ。「へー。」
そんな経歴の、お持ちのお嬢さんでありました。
二人姉妹で、名前も漢字は違うのだが、二人とも家の娘と同じ呼び名でした。「ソー。」

東京から帰るとき、娘夫婦から鉢形のポットに入ったアマリリスをもらって来た。
プレゼント用の箱に入っていて、勤めている会社の贈答用に利用したものだそうだ。
何か1週間に1度を目安に、コップ1杯の水をやるだけで、簡単に育てられるのが魅力。早咲きの処理がされていて、通常は6~8週間で美しい花が咲くとある。
こまめさの無い我が家には、うってつけの代物。
花はまだだが、ご覧の通り、数週間で、スカイツリー並に、いっきに大きく伸びている。

アマリリスの花言葉は、おしゃべり 、自尊、誇り、 内気の美しさ、とある。

さて、我が家で起こるスカイツリー物語は、何時見事な花を咲かせる事に成るのでしょう。
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いまさらカント

2010-03-19 16:51:07 | 文化・教育

スタンダールの「赤と黒」、E・ブロンテの「嵐が丘」は面白かった。
私が始めて世界の文学と、名乗れる物を手にしたのはこれで、次から次へと話に引き込まれ読んだ覚えがあります。
エッ!内容ですか?昔の事で、ほとんど忘れてしまいましたネー。

マアー当時、気になる人物といえば、プラトン.ソクラテスの師弟コンビ、カント、ルソー、ニーチェ、パスカル、トルストイ、ゲーテ、マキャアベリ、モンテーニュ、サルトル、エーリッヒフロム、マクルーハン、キルケゴール、ドラッカーえ~と.....。
いつかその内にと思っていたが、気がついてみれば、何もよく読まぬうちに、私の頭の上を通りすぎて行きましたナー。

日本にもいい詩人が居ましたね、若くして亡くなった中原中也。

汚れちまった悲しみに 今日も小雪の降りかかる
汚れちまった悲しみに 今日も風さへ吹きすぎる
                   (省略)
 
こう云うフレーズって思いつきます?北原白秋でも無理でしょう。

後は宮沢賢治

「雨ニモマケズ」

雨にも負けず 風にも負けず

雪にも夏の暑さにも負けぬ

丈夫なからだをもち

慾はなく決して怒らず

いつも静かに笑っている

一日に玄米四合と

味噌と少しの野菜を食べ

あらゆることを

自分を勘定に入れずに

よく見聞きし分かり

そして忘れず

野原の松の林の陰の

小さな萱ぶきの小屋にいて

東に病気の子供あれば

行って看病してやり

西に疲れた母あれば

行ってその稲の束を負い

南に死にそうな人あれば

行ってこわがらなくてもいいといい

北に喧嘩や訴訟があれば

つまらないからやめろといい

日照りの時は涙を流し

寒さの夏はおろおろ歩き

みんなにでくのぼーと呼ばれ

褒められもせず苦にもされず

そういうものにわたしはなりたい


平易な文章で、中学生のとき何故だか、良くそらんじていましたね。
しかし、みんな早く亡くなるナー。
     
家内が、新聞のおくやみ欄を見て、「おとうさん(私と)おんなじ歳の人がいっぱい死んでるわ」「どれどれ」「お父さんも気をつけてね」
片足を、棺おけに入れて生きているのに、エッ?気持ちは分からんでもないが、何を気をつけろと云うのだ、いまさらジロー、いまさらカントで有ります。

アリストテレスがこんな事を書いていました。

『勤勉なる者も怠け者も、人生の半分には差がない。たぜならば、人生の半分は眠っているからだ。』

私この文を半分読みかけ、オッ良い事書いてある。偉人の文章は、これだから読まねば、俺にも運がめぐって来たかと思いきや、半分は寝ていると言いやがるチクショウ、がっかりさせやがって。
近頃、起きている時は、人気(ひとけ)の無いシャッター通りを眺め、いつもボーとしております。

そうそう、そのボーがいけないんだ。
そのボーが悪いんだと、いまさら言われてもネー。

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あすは成人式

2010-03-13 18:05:25 | 社会
昨日、末娘が明日ある当市の成人式に出席するために、東京から帰って来た。
昨年の秋頃は、自分の向かう方向性と、内容の違いが見え始め、別のデザインの勉強をしたいと言い出した。
親としては、無駄ではない卒業してから別の道もと云うのだが、大分悩んでいる様で、電話での長時間にわたる、涙を流しながらの話も、理路整然としいた。
自分が働いてでも、フランスへ行って勉強したいと、夢多き娘であります。

そんな娘が、昨日予約をして2~3時間掛けたネールアートを施しやって来た訳です。
私も、家内もそんなものを、マジマジ眺めるのは初めて。家内がレースの敷物を出し、娘の両手を上げ、今の内にとデジカメで、手の記念撮影と「ネーネーお父さん撮って!」

長女が成人式の時は、両親も健在で、長女の着物は母の見立てで用意してくれて、親は有りがたい者で、末娘には自分が生きている内には間に合わないだろうと、それ様にと別に一金を用意して置いてくれた。

しかし12年前と情勢は変わり、私の甲斐性の無さか、それを末娘も納得して別な物に用立てている。
そんな事で、長女が着た着物は、タンスに仕舞われたままだったが、久々に日の目を見る事に成った。

記念写真も今は写真館でなく、予約した大きな美容室で着付けもして、スタジオが有り写真撮影も、すべてトータルのセット料金になっている。
どこもかしこも、効率が求められ、システムが整っている所が、大きな需要を呼んでいる。

明日は午後の式典の前に、美容室から晴れ着の姿を見せに、家内の実家へ行って、自宅の仏壇をお参りして、小さい頃、勝手によく遊びに行って、面白くないとプイと帰って来ていた商店街の布団やさんに挨拶して、ご夫婦にはアヤメ園とか色々つれていってもらっていた。

長女の時は、実家のお母さんも呼んで、祝の席も用意したのだが、両親も今はなく、末娘も久しぶりの友達とかの会合で時間もとれずで、「じゃー月曜日にでも焼き鳥でも食べに行くか?」

果たしてどうなりますか。

明日の天気を祈るばかりでございます。
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鎮魂歌 その一

2010-03-06 09:47:22 | 鎮魂歌

 冬季オリンピックも終わり、日本を代表して、輝かしい成果を上げた選手諸君も、無念の悔し涙を流した選手も、ご苦労様で御座いました。
成果の期待を一身に受け、「がんばるゾ」と胸に叫び、飛立った選手団も、帰還の機内では、悲喜こもごもの思いだったなのだろう。
今度は、パラリンピックの選手団が飛び立ちます。

何時のオリンピックの時だったか忘れてしまったが、学校始まって以来の快挙と、某高校の生徒が選手に選ばれて、壮行会のとき、壇上に上がり、全校生徒を前に、オリンピックに行くに際して、「参加賞をもらって来まーす!」と挨拶して、会場は拍手喝さい大爆笑と歓喜に包まれた。
うまい事言いますネー。いまどきの子はと.....某年代は思うんであります。

昔の人は、一身の励ましの万歳三唱の中、「メダルを取れる様がんばります」と出立したものだった。
数ある競技者の中から、白羽の矢が立ち、日の丸を背負い、若人は戦いの場へ。そう特攻隊と同じ決意の様に。

 私が高校生のとき、東京オリンピックがあった。
TVの印象も、記念の記録映画でもそうだが、入場行進の日本選手団の一糸乱れぬ行進は、他の国と違い、大歓声に乱されぬ、日本の精神が映し出されていた。
今は、積み重ねられて来た文化の違いか、昔は、服装のお話は無かったですネ。

 陸上競技最終日、ローマオリンピック優勝の、裸足の王者アベベに続き、円谷選手がマラソンで、国立競技場に2位で姿を現す。
後ろに迫っていた、イギリスのヒートリーにトラックで追い抜かれた。
これについては、「男は後ろを振り向いてはいけない」との父親の戒めを、愚直にまで守り通したがゆえ、トラック上での駆け引きが出来なかったことが一因として考えられている。(円谷幸吉 - Wikipedia引用)
聖火が燃え盛る中、この日、国立競技場に、陸上競技唯一の日章旗が、日本の空になびくのです。

期待が掛けられ、「メキシコオリンピックでは金メダル」と円谷は宣言した。
しかし、その後は様々な不運に見舞われ続けた。
理解者が去り、それまで選手育成のために許されて来た、特別待遇を見直す方針が打ち出され、その上、ほぼ決まりかけていた円谷の婚約を「次のオリンピックの方が大事」と認めず、結果的に破談に追い込んでしまう。(円谷幸吉 - Wikipedia抜粋)

 そんな中、周囲の期待に応えるため、オーバーワークを重ね、腰痛が再発する。病状は悪化して、椎間板ヘルニアを発症して手術を受ける。病状は回復したが、既にかつての様な走りを出来る状態ではなかった。

 オリンピック開催の年、1968年に自殺、遺書にあった家族への感謝と、「疲れ切ってもう走れない」の言葉は世間に大きな衝撃を与えた。(円谷幸吉 - Wikipedia抜粋)

円谷幸吉 - Wikipediaを読むと余りにも悲しいお話で、目頭が熱くなりますね。
命を奪い去るオリンピックとは、何ぞや........。

円谷幸吉の残した遺書を、参考にして作られた曲がある。
銅メダル獲得後、周囲の期待に悩む円谷の気持ちが歌われている。
お聞きくだされ。

    一人の道・・・茶木みやこ

https://www.youtube.com/watch?v=Wsb2niBMFTk
  

 同じく曲の冒頭マラソンの実況録音入り
 http://www.youtube.com/watch?v=SfWGs_jx4HA

 円谷幸吉 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%86%E8%B0%B7%E5%B9%B8%E5%90%89 

 円谷幸吉の遺書
  http://www004.upp.so-net.ne.jp/kuhiwo/dazai/isyo/tsumuraya.html

◆追記:残念ながら上記は削除されている。自筆の遺書など見ていただきたかったのだが、歌も当時の録音をバックにまとめられたものがある。

銅メダリスト円谷幸吉 さんの遺書 【一人の道♪】
 https://www.youtube.com/watch?v=TYWruGl8CoU

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