ダックのパパママストア

商店街に有る、パパママストア。
  何を売る店? 今日は、何をお探しですか....? 商店街で起こる色々なこと。

退職のご挨拶

2010-05-27 18:08:17 | 社会

私より若い人だが、知人から上記のハガキが届いた。

越後の国小千谷郡では、ようやく田植えも終わりカエルの合唱が盛んです。春です!
いかがお過ごしですか?
早いもので新潟県職員から解放され2ヶ月が過ぎました。
40年という勤めは楽しく、有意義な時間でした。
これも貴方のおかげと感謝致しています。
本当にありがとうございました。
4月からは少し自分の時間がとれるとほくそ笑んでいましたが、あに計らん全く計算違いでした。
それでも元気よくやっています。
貴方とご家族の未来に幸あれ! 2010年5月末日 堀○ ○

彼のハガキは、何時も長文なのだが今回はあっさりしている。

まだ若い頃、当店の分割払いを利用して、アメリカまで5人で行った事がある。
そのお一人。海外旅行はみんな初めてで、見るもの聞くものみんな珍しく、夜ホテルを飛び出し、片言の英語でイエローキャブに乗り、ダンスショーを観に行きました。今考えるとゾッとしますよね。若いと云うか、無鉄砲でしたネ。

それで目が覚めたか、この御仁は世界中、日本中を人一倍駆け巡っていたようです。
残念ですが交通事故で、ながく息子さんが寝たきりの状態で、これからは、看病の時間も多く取れる様に成るのでしょう。

早速メールを出したが、アドレスも色々有って、今使っているのはどれだったけ?
駄目ですねちゃんと整理をしておかないと。

堀○ ○様

定年おめでとう御座います。
第2の人生の始まりですナ。

これからも有意義な時間をお過ごし下され。

こちらは相変わらずですが、商店街もお客が来なければ、
お客さんに定年を言い渡されたも当然ですナ。

お茶を飲みに来る客?を相手に、マーなんとか暮らしております。

                   ○○
ハテ、ちゃんと届いたか?

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フェステバル実行委員会

2010-05-22 17:45:59 | 商店街

車両を全面ストップさせ、車道をジャンボ歩行者天国にする、街を上げての一大イベント。
各商店街合同で、毎年行なわれて来たサマーフェステバルの実行委員会、第3回全体会議の議事録と、2009年の反省点ー覧がファクスで送られてきた。

当商店街の理事長から、「今年は若手に任せよう」と前々から話は聞いていて、組織替えが計られ、私は顧問と云う立場に成り、毎回会議に出席しなくても良くなった。

某若手を実行委員長に、昨年も実質進行役をバトンタッチしていた。
こう云う会合に出て来る若手は、各商店街を代表している様な方々で素晴らしく、会議での人柄を見ても、申し分はありません。
好青年が多いですね。後は、各町内担当に若手を起用、同世代の意志の疎通計り、より敏速な対応の出来る組織体とした。

もともと我々年代も、この若手の年代には、運営をしていた訳です。
コンセプトは「夏休みに入って一家団欒で、開放感が味わえる日は?」でした。
給料も出て、夏休みに入った初の土曜日、遊び場の少ない当地に、家族揃って外出で来る場を提供しようと、「夜の大売出し」と称して、有志で真夜中12時まで店を開け、普段は味わえない開放感と、闇の世界を味わう事により、独特の雰囲気も利用して、商品の楽しさをアッピールし、商店街を散策してもらい、サイフのヒモを緩めてもらおうと、云う事で始まった訳です。

年々規模が拡大して、商店街の行事になり、歩行者天国にもなり、各商店街合同の催し物、行政の協力も頂く、催事と成って行った訳です。

今年の当商店街の取り組みを如何するか?若手町内担当を入れての会議が、一昨日商店街の洋菓子店の姉妹店で行なわれました。
若手の運転で住宅街まで、駐車場が広く、店内にはテーブル席が有り、コーヒーとケーキを頂いての会議です。
のんべいの私には、変わった会議で御座いました。

資料を見て行ったのだが、フェステバル予定日は、夏休みの始まりが遅くなって、まだ夏休みではなく、当市で「森山良子コンサート」が予定されていて、お客が分散するのでは、1週ずらしてはと思うのだが、規模が年々大きくなり、運営に地元ラジオ局の協力を頂いており、その日は他地域の予定が有ってスタッフの確保は無理と云う事で、じゃーモー1週延ばしたらと、話は有ったのだが、若手からの7月実施が定着して来ていると云う意見が通り、今の日にちに。

しかし、今、商店街は問題だらけで、人出をどれ位確保出来るか。
商店街全店の協力を頂ける範囲と云う事で、夜の11時までの営業が、年々短くなり9時30分までとなり、後片づけに30分、その後、歩行者天国を解除。
今年は、非協力的なフリーマーケットの募集は行なわない事に。

アイデアを出しつづけ、年々問題点をクリアして、より良いフェステバルに。
当店前には、お祭りの山車を夏祭りに先駆け曳き出し展示する事に。

さて、いただくケーキなどには、サイドにセロハンが巻いて有りますよネ。それを取って食べますが、今日頂いたケーキは、サイドにチョットまた薄いセルロイドの板が巻いてあり、それを外して食べました。
なんでこんな硬いものを巻くのか?

やっと解りました。取らずに容器代わりに使い、スプーンをさし入れて食べる。なるほどこう云う所に来て初めてなっとく。

遅れて来た若手も私と同じ様に、御丁寧に外して食べていましたネ。

日々これまた勉強で御座います。

共に進化している事を学べなければなりません。
 
 
 
 
 

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ネガティブ

2010-05-14 19:05:32 | 商店街

66年のご愛顧に感謝して○○閉店売りつくし。
いよいよ本日スタートと、新聞紙面に某デパートの広告が載った。
6月25日に県都店の閉店が決まっている。旧来からの百貨店と云われる業態は、県内はこれで1店舗となってしまう。
今は小売業の形態が様々なカタチでしのぎを削る時代だが、私が子供の頃は、バスに乗って、県都のデパートに、親が連れて行ってくれるのが、田舎と違って、見るもの全てが華やいでいて、至極の楽しみだった。

エレベーターガールの「上に参ります。」の声を聞き、目的の階まで高さが7階も有り、固唾を呑んで乗っていた。
屋上には遊園施設の観覧飛行機、自動車、機関車などが有り、その一つや二つを乗せてもらい、親はこんなに楽しいものを何故乗らないのだろうと不思議だった。

昼時には上階の大食堂で、よばれるのも楽しみで、麺をバリバリに揚げた上に、餡がかかった、焼きそばが当時はめずらしく、多くあるメニューケースの中から、そればかりを頼んでいた。

そう云えばデパートにはズーッと行ってないナー、とっくの昔に、屋上の遊園施設は無くなっている。
私も子供達を、街中のデパートに連れて行った事は、有ったけッ?
そこまで行かなくとも、それに変わる施設が、地方に色々出来たと云う事か。

それと同じ事が、商店街も言われていて、親が商店街に子供達を連れて来ないのです。
商店街に次世代の買い物客が、果たして来るのか?

外資系の商品を扱う取引業者の所長がひょっこり現れた。
当業界も華々しかった頃は、同外国製品を扱う会社が県内には2社有ったが、時代も変わり撤退やら合併の繰り返しで、この1社が残っている。
その会社が、昨今の業界を取り巻く環境は一層厳しさを増し、誠に残念ながら、経営合理化のため6月10日をもちまして、県内のサービス事業を○○会社に移管する運びになったと云う。
大変急なご案内で恐縮だと挨拶に来られた。

県内の当業界の総会に出席してくれた数少ない取引業者の1社だった。
「あなたは如何するの?」と聞くと、何十年来の付き合いの人だったが、お声もかからず、この業界から去ると言う。
色々業界の事を伺っていたが、厳しさは一段と増している。

息子も言っていたが、こう書くと、私の文はチョット話が暗いとか、ネガティブとか言われます。
前々から色んな方に、ご指摘は受けている訳でして、物事を前向きに捉えないと、感覚が腐るぞと...

しかし、現実の話題はこんな事で、そんな事を云われると、つい人生の悲哀、憂いを書いているんだ!と叫びたくなりますナ。

エッ?そう云う事を言う事自体が、ネガティブだですって!

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疲れタ~。

2010-05-07 19:04:40 | 社会

皆様のゴールデンウイークは、如何お過ごしだったでしょうか?
孫一行が2日の夕刻到着、5日の午前に帰って行ったが、じじちゃんじじちゃんと、今までと違い、まつわり付く様になって来た。
おもちゃを土産に持参した時、「ジャ、ジャ、ジャジャ~ン」と言いながら、身体の後ろからチラッ、チラッと、土産の包みを出したのが、大分印象深かったのだろう、「じじちゃんジャンジャ~ンと言うかナー?」と、大きい自動車を期待しているのだそうだ。

娘夫婦が来しなに、コッソリ孫の欲しい車を、私の変わりに買って来てくれて、それを私が頃合を見て「ジャ、ジャ、ジャ、ジャ~ン」と言って出す事になる。

なぜ?欲しい車が出てくるのか、多少けげんそうな顔つきだが、今回は救急車だ。
はたらく車が好きで、PCではたらく車を出してと、PCに向かい仕事をしていると、ひざの上に乗ってくる。

これで良いと云う事は無く、つぎは、つぎはと要望が上がってくる。

じじちゃんと寄って来るのは、嬉しいのだがイヤハヤ疲れてしまいます。

私が子供を育てていた時は、まつわり付かれても、疲れるなどと云う事は有りませんでしたが、側から見ていると、親の責任、大変さが伝わって来る。

顔は毎日見ていたいが、孫は元気で、たまにアッサリ相手をするのが良いですね。
責任感がなく、かわいい、かわいいだけで、お手々つないでアーケードを散歩ですが、急に手を離しバタバタと走り出す。
孫はキャーキャー満面笑顔だが、こちらは、転びはしないか、ぶつかりはしないかヒヤヒヤものです。

天候不順や、近頃何だかんだと忙しく、親の住んでいた、自宅裏の畑もサッパリ手付かずでしたが、家内と朝食用のおにぎりを持って、昨日やっと草を刈り、スコップで土を起こし、苦土石灰を撒き、野菜を育てる準備です。

私は、ダックの散歩を終えてから一仕事。家内はお昼まで、一人でガンバっていました。

久しぶりにした力仕事で、疲れがドッと出て、今日は、身体のそこらじゅうがイタタッタッタッ。

そればかりでは有りません。昨日の夜のカルチャーでの「真向法体操」やら、最近の色々な出来事の疲れが、ドットみんな出てしまいました。

さて、明日も畑へ行けるかナ、起きられるかナ....。

あ~っ! イテッ、テッテッテッー.....。
目、肩、腰、足の裏に効く、薬は有りませんか? 疲れに効く、薬は有りませんか?

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清水港

2010-05-01 21:14:45 | 社会

八十八夜を前に、昨日一昨日と縁あって、息子の彼女のご実家清水港まで、家内と息子と出かけて参りました。

『春の旅 花たちばな 駿河路行けば 富士のお山は 春がすみ 風はそよ風 茶の香が匂う 唄がきこえる 茶摘唄 赤い襷に 姉さんかぶり 娘二人の あで姿~』虎造の名調子のところで御座いました。

清水駅に彼女が向かいに来てくれていて、夕刻会食会場のホテルの車が向かいに来るまで、少し時間が有ると云う事で、私の発案で、彼女の運転で「清水次郎長の生家」を訪ねて参りました。
道すがら、さすがサッカーの街、歩道には、いたるところにサッカーボールのモニュメントです。
湾岸を行けば、紺碧の海に浮く富士の山、車窓からでしたが、素晴らしい眺めで御座いました。

「おおここか」写真では見ていたのだが、現実の建物は間口が2間チョトか案外狭い。
ひとがしらに‘長’の白文字の、黒のれんが架かり、緋毛氈の腰掛があり、生家の碑が立てられている。

次郎長が産湯で使った井戸などが、当時のまま保存され、写真や資料なども展示されていて、居間などを眺めて、土間を奥へと行くと、お土産のグッズなどが売られている。

みやげに、絵で見る「次郎長一代記」の小冊子を買い求め、記念撮影用に置かれている、カツラ、羽織に破れた雨笠、カッパをみんなに着せられ、全員揃って記念撮影。

写真を見れば、『富士とならんで その名も高い 清水次郎長 街道一よ 命一つを 長脇差に かけて一筋 仁義に生きる 噂に残る 伊達男』と、私はご満悦の笑顔で御座いました。
息子は、願い事が叶うという勝札を、私達にと何枚か買って居たようです。

その後、『旅行けば 駿河の路に 茶の香り ここは名におう 東海道 名所古跡の 多いところ なかに知られる 羽衣の 松と並んで~』と謡われている三保の松原へ。

御穂神社から続く「神の道」と云う長い松並木の参道の横を車で通り、天女伝説の舞台「羽衣の松」へ。
羽衣の松は、樹齢約六百五十年を数え、樹勢が大変衰弱しており、現在幹や根の養生をし、樹勢の回復をはかっておりますと、市の観光課の立て札。

大変大きな樹だが、枝振りには松葉が他の樹木に比べ少ない。
ここでは、松を見上げながら記念撮影。国指定名勝三保松原の林を抜け、砂浜に出れば、富士の高嶺が一望出来る。
人出も多く、さすが名勝の地。海の荒風に耐え、富士をバックに笑顔の記念撮影で御座いました。

彼女のご両親に会う前に、すっかり旅行気分の旅がらすで御座います。

ご自宅は、ここから車で10分ほどの所、「お初にお目に掛かります○○で御座います。」
玄関には、お母さん、広い居間には、86歳になるおばあさんとお父さん。
お茶の用意も済み、皆さん揃ったところで、「この度は、○○○様のお嬢様の○○さんと、息子の結婚のご了解を、ご両親様から頂いたと云う、お話を聞いて、ご挨拶に伺いました。これは、地元のおみやげで御座います....云々」

私はせっかく出して頂いた、お茶を半分位しか飲めませんでしたし、あちら様は、見ず知らずの家に、大事な娘を嫁がせる訳ですので、どんな奴が来るやら、戦々恐々の思い出はなかったか。
マー色々お話も伺って、少しは打ち解けてきましたが、ホテルからの、お迎えの係りの課長さんが、両家をおおいに盛り立ててくれて、その気配りには感心致しました。
やはり名のあるホテルは違いますね。

日本観光地百選、第一位に輝いた景勝の地として、全国的に名高い日本平。
標高308m、眼下に広がる駿河湾から遠くに伊豆の山々を見渡し、正面に霊峰富士、三保の松原、清水港を望む。
その山頂に、瀟洒なたたずまいを見せる日本平ホテルが会場で御座いました。

絶景かな絶景かなと云う言葉は、正に時と共に、この大自然から、明かりが灯る夜景にと変わって行くのです。

ここはTVドラマ「華麗なる一族」のロケの行なわれたところ。山崎豊子の話のうまさに引かれ、ドラマなど余り見ぬ私が、つい見続けた番組でした。
その大きな池や、夜景の素晴らしさ。

あまり、お酒をたしなまれない、あちら様に代わり、私の目の前には、見る見るトックリの並木道が....。

これからのお話も進み、至福の時を香らせ、和やかに心を通わせ、おもてなし頂いたリゾートで御座いました。

昭和の日の翌日の昨日は、帰郷の前に、飯田橋に降り、生まれて初めて、靖国神社に参拝して、英霊の御霊に、いつまでもこの国土をながめていたい思いなのだろうと、その思いのやすらぎを願い、頭を垂れて参りました。
 

◎ 上部の写真は、日本平ホテルの課長さんが、記念写真と共に、送ってくれたものです。




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