ダックのパパママストア

商店街に有る、パパママストア。
  何を売る店? 今日は、何をお探しですか....? 商店街で起こる色々なこと。

新発田城歴史文化講演会

2012-07-25 19:40:20 | 文化・教育

うん蓄ある話は面白いデスネー。
地元にある文化財に光りをと、長年郷土の歴史遺産の保存と活用に、尽力されてきた御仁がいる。

その会が主催(共催教育委員会)する文化講演会が、毎年行なわれ、楽しみに拝聴しているのだが、いざお城のお話と成ると、人選に苦労するのだと言う。

その御仁が東北三名城の一つ、白河小峰城を訪れていて、先の東日本大震災で、小峰城が、まさに目を覆うような甚大な被害が出て石垣が崩壊している。

名城百選に選ばれた文化財が崩壊しては元も子もないと、講演に先立ち、その模様をスクリーンに映し出し、大掛かりな復旧作業に成り、文化庁も予算付けに加わり27億円とか。

新発田城の場合は、石垣の石一つ一つの調査も終わり、図面化はされているが、切り込みハギと呼ばれる、すき間なくかみ合う様に、きちんとつまれた石垣で、一旦崩れたら元に戻すのは難しいのではと心配している。

そのため、石垣に根を張り老木化した桜の木は、万が一を考え伐採してはと提案する。それは、彼が歴史をさかのぼれば、行く付く真実なのだろう。

演題は「本物の城の復元に携わって~伝統と現代の融合~」と題うって、講師は新発田城三階櫓・辰巳櫓復元工事、設計管理主任 片桐友哉氏。

史跡内に発掘調査と豊富な史料とともに、三階櫓と辰巳櫓の新築復元を行なった。
復元寸法を設定し、CGと古写真を照合しながら検証を行なった。
構造については原寸大の構造体をつくり圧力をかけてその耐力の確認を行い、伝統工法による復元を採用するとともに、石垣への負担を軽減する基礎工法を用いていると云う話だが、そこには今まで残った重要文化財が、破損しては何にもならぬと云う、保存活用におけるものの考えが、基本中の基本として流れていた。

史料に基づく高精度の復元と言ってはいるが、辰巳櫓の一階には強化ガラス張りの礎石開口部が有り、過去に柱を支えていた礎石がいくつも出土し、その内の一つを辰巳櫓の内部から見ることが出来る。これ以外の礎石は盛土によって保護され、将来に遺構を伝えるとある。
復元と言えども、礎石を使わず、コンクリートで梁をつくり、石垣、礎石に直接力の加わらない工法である。

かねがね辰巳櫓の立ち上がり、石の積み方に少し違和感を感じていたが、この話しを聞いて納得できた。

演題に~伝統と現代の融合~とあるが、正しく利にかなった見方なのだろう。この会社のたずさわったパンフレットの事例を見ても、現代に生かす文化のあり様が感じられる。
復元にあたり、色々なエピソード、裏話を聞いて、到る所にアイディアが有り、実に面白い。

新潟地震、東日本大震災などの地震にも、新発田城の石垣は耐えてきた、しかし変形は始まっていると云う。

「石垣にある桜の木はどう思もいますか?」と質問を投げかけられた講師は、石垣の変形が進まぬよう「円弧滑りによる崩壊」を防止する目的で、堀の中には、杭を打ち、連結し、栗石を補強している。桜の木は100年咲き続ければ、人々の心の中に根強い文化として息づいているのでは、後に、桜の名勝地として、県立病院の跡地も利用できるのではと。

枯れたら石垣に二度と植える必要はないだろう、根をそっくり掘り出し、土をいれ補強は欠かせない。しかし、それまで持つか?
文化とは、人々の心の中にあるものと、訳すのなら、伐るのは忍びない。

前に書いた「接点」で、風土とは、‘風’が街来者で、‘土’が地の人で、織り成すもの。
又、建てられたものは1年目は目新しい物でも、10年も経てば景観と成り、30年も経てば風土と成ると、言っていた主催者の挨拶を思い出します。
50年も経てば、その地域の伝統文化として、立派な花が咲き、人々の心の中に息づいて行く。

 

別談:今日お客さんが、これを読めとコピーの資料をおいて行く。

紫雲寺潟があるのは知っているが、本当の地名は、塩津潟と云うのだとお客さんが言う。
ようやく教科書の副読本で、紫雲寺潟の地名から、塩津潟に直されていると言う。

資料には、『築地村の村歌と大和朝廷の城柵』とあり、新潟県には、磐舟柵(いわふねのき)と渟足柵(ぬたりのき)の間に都岐沙羅柵(つきさらのき)が胎内市築地にあったと紹介されている。

その地から、塩、米が朝廷に献上されている。井戸水から塩が取れ、中条方面から大きな潟が広がり、古地図の数々にも、古来より塩津潟と記載されて、紫雲寺潟の記載は何処にもない。

なぜ紫雲寺潟とよばれたか、そんなエピソードも聞いて、
言い続ければ、それも何時しか文化となり、人々の心の中に歴然と残ってゆく。
石垣の桜の木も、地名も、幾年の時を超えれば、人々の思いから、消し去る事は難しくなる。

エェ~知らなかった!「歴史は中世ばかりじゃないよ、古代も有るのだよ」と、お客さんは言って行きました。詳しくはこちら。

                『塩津潟の由来』

       http://www.inet-shibata.or.jp/~shionotsu/

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政局は何処へ

2012-07-19 17:42:26 | 社会

与党にいながらにして出来ない者が、党を出て、野党になって何が出来るのか?可笑しげな事を言っている。
そんな奴、何処へ行っても誰も相手にせぬワ。党内の意見もまとめられず、余りにも情けない。それで正義の味方の様な顔をしている。

与党にいて、何もまとめられない者が、野に下ったからといって、何でも出来るものでもない。

こんな奴らに国民はお金を払い続けている。

前に「土俵際」を書いたが、もう土俵からはみ出しているゾッ!桟敷席からわめくだけなら、誰にでも出来るワ。
それでガッポガッポ月々の給金をもらおうと云う寸法か?何も責任も取らずわめくだけではチト、虫が良すぎるのでは。

党に残ってとか、党から離れてなど云う前に、チャント相撲を取れよ!チャント汗をかけ!

何処へ行くか判らぬ日本丸でも、甲板をチャント磨けよ!チャント汗をかけ!それがお前らの仕事だろ!

こう蒸し蒸した気候ですと、ついはけ口求めて愚痴が出ますネー。

昨日、銀行の納涼会で、挨拶される方々は、皆景気のお話。新聞紙面では、ようやく...云々と言う話なのだが、本部から来た銀行のお偉いさんは「県内の景気は良く有りません」と、ハッキリしていましたね。

じゃーどうする?

じゃーどうするかデスッテ?

チャントよく勉強して!チャントいっぱい汗をかけ!でありますナ。

 

 

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ダックに花束

2012-07-14 15:32:43 | 社会

「知らなかったワー」と、同級生だったご婦人が、可愛らしい花束を持って、訪ねて来てくれた。数週間前の事だ。

「オッーどうした」。パソコンを新しくしたそうで、その入れ替えとかで、その新品に不具合が有ったりして、そんな事でセッティングにも手間隙掛かりで、ようやく、ブログなども読めるようになり、我家のダックが亡くなったのを知ったのだそうだ。

読んでいて「涙が出たワ」と話していたが、ここの家にも大型犬がいて、散歩の時に、余りの大きさの違いで、犬同士がじゃれ合う事は無いのだが、何度かお会いした事がある。

しかし、1~2年前にここの愛犬も亡くなり、思い出が吹っ切れず悲しいと言っていた。

何か見ていると、大型犬は小型犬に比べ、寿命が短い犬種が多いのかナ、そんな気がしますよね。

今は、小型犬を二匹飼っているそうで、また新しい生活が始まっている。

愛犬が亡くなった時は、ペット霊園に行った話しやら、「虹の橋」のお話しなど、色々な事を聞いていた。

ダックが亡くなって幾許月、私は家内に比べ、毎日おりんを鳴らし、線香をあげる事がなくなった。その事を家内にとがめられ、あわてて手を合わせお参りする事がある。

ふと思いついた時に、「ダック」と声を掛け、線香をあげ手を合わす程度だが、思いかけず、そんな時に、可愛い花束に、水に浮く、カーネーションの香りのキャンドルを「愛犬のために!」と、心配りを頂いて有りがたい。

ダックもあの頃の事を思い出し、きっと喜んでくれている事だろう。

 

別件:ここから別のお話。

昨日、NHKBSの番組で、「薄楼記」(原作五味康祐)全十一話と云う番組が始まった。

五味康祐は大男だった。若いときに、畳の部屋で、一度講演を聞いたことが有り印象深い。
その時は、将棋指しの話で、富士額の面相の話まで出て、勝負師の生き様の成果が語られていた。

吉良上野介の息の掛かった 丹下典膳(主人公)と中山安兵衛(堀部安兵衛)の絡みから物語が始まってゆくのだが、立場は異にしても、互いに深い友情を感じる二人。
だが、話が進めば、浅野内匠頭の殿中刃傷事件は、二人の運命をさらに変転させてゆく。
時代小説界の巨人が、侍の本分を貫く男たちを描いた、名篇と紹介されている。

久々に安兵衛のお話しである。こう云う切り口のお話があるとは、知りませんでしたね。
丹下左膳と堀部安兵衛に興味のある方は、
第一話の再放送が明日、日曜日BSプレミアム午後6:45より、ご覧あれ。

丹下典膳という名前は、林不忘が創作した「丹下 左膳」と、大仏次郎が創りだした「鞍馬天狗」の本名「倉田典膳」の合成であるが、作者によれば実在の人物ということになっている。二人の人物に、武士道の誉れを見たのか、ただし、真偽のほどはわからない。

それは、あなた自身が、番組を見て、武士道とは何ぞやを、探る事になる。

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七夕

2012-07-07 15:59:35 | 社会

昭和30年代頃は、商店街の大通りを、横道に外れれば、住居の隣は、田んぼの畦が連なり、夜道を行けば、カエルの大合唱で、人の気配を感じると、合唱もピタッと止まり、しばらくするとまたゲェロ、ゲェロ、ガァ、ガァと、静けさの中からまた大合唱が始まるのです。

夜空を見やげれば、帯状に天の川が流れ、北斗七星が、良く見えたものでした。

何時しか県内もTV文化が浸透し始め、夜空よりTVの番組に夢中になり、家に閉じこもる生活で、気が付けば50年余りの年月が過ぎれば、近くには田が無くなり、カエルの泣き声も無く、夜空には天の川も見えず、シトシト雨の梅雨時は、集中豪雨の大洪水に変わり、竜巻が吹き、化石燃料の消費が、大気汚染にかかわり、地球温暖化を呼んでいるのでしょうか?

黄砂飛び、地は崩れ、巨大地震に大津波が起き、原子炉が崩壊し、スギ花粉が蔓延する時代となりました。

古来より続く、悠久の時の流れは、わずか近世50年余りで変貌してしまったのでしょうか?

商店街の人影は去り、並びにあった昔和菓子屋さんだった所は、跡取りも居無く、今後の活用予定も無く、先月更地になり、我が商店街にポッカリ穴が開いてしまいました。

また、当店裏の路地をベランダから見れば、左角にあった、倉庫と住居は、昨年取り壊され、駐車場に、今まで見えなかった墓地が路地を超え見えるように成りました。今更ながらお墓を毎日目にするとはネ。

また右角斜向かいの住居も、今取り壊されていて、こちらも駐車場にするとかで工事中で御座います。

住居が無くなれば、さえぎる物が無く、宣伝カーの声がもろに聞こえ、騒音が大きくなりました。

これからは、下着のままベランダに出て、雄大な星空のささやきに耳を傾けるなどと云う芸当は出来なくなりますネ。

家内は、地域の婦人会の、日帰りバス旅行に今朝出かけて行きました。 

『にいがた再発見、イングリッシュガーデンと老舗の味』バラ園など季節の花々見学、アウトレットショピングなど、地元に帰って来てから、フランス料理で懇親会だそうです。

雨が降っても楽しめる二段構えで御座いますナ。

7月7日生まれの孫は、初めてディズニーランドに今日行くそうで、ホテルも近くに取り、孫には、何処へ行くかは話していないとの事だが、保育園の友だちはディズニーランドは経験済みで、12月に3人目の子が生まれる予定の娘は、今しかないと奮発したようだ。

さて、気になるのは天候で、家内も孫も、穏かに済めばバンバンザイで有りますナ。

星空を世界遺産にと云う、お国地域が有るそうで、エッ、空は皆のものではないのか?それだけきれいに見える所が有ると云う事なのでしょう。

残された私は、カーテンを少しめくり、そろっと星空を眺めるので有りましょうか?今日はあいにくの空模様.....。

チョイト、一杯飲みに行くかナ。

 

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