諦めない教育原理

特別支援教育は教育の原点と聞いたことがあります。
その窓からどこまで見えるか…。

85 第4の教育課程#1 子どもの棺

2020年06月20日 | 第4の教育課程
今回のシリーズはシリアスな内容から始めます。ハードですが避けられません。よろしかったら読んでください。
 

 子どもの棺(ひつぎ)というものがあることをその後知った。
それまで、子ども死についてタブーというより、あり得ないことのように思っていた。


「出藍の誉れ」
 というのは、古来日本の善き教育観の一つである。
子どもというのは、未来社会をこれからつくる主体だから、今の世代をはるかに超えていってほしい、という願いが込められている。

 小学校で担任をしていたころ、無邪気なまでに子ども達の未来性を信じていた。
Jリーガーを目指す子を応援したし、パティシエ!という子にはせっせと情報を集めて話したし、頑張っているピアノの成果も何度も聴いた。
具体的な夢が語れないのならたくさん読書することを勧めたりもした。
そして、子どもの時の勉強はどんな将来であっても生きていく上での基礎になることを疑わなかった。

 当時の小学校自体にもそんな雰囲気があった。
「小学校(の教育)は種まきだけど、丁寧にまかないと芽がでない」
「紙飛行機はうまく風にのれないかもしれないから、できるだけ高く飛ばしてあげよう」
なんて先輩から聞いたりもした。

  大人を超えていく子ども達の夢を後押しする。

もちろんいろいろな状況の子があったし、その都度悩みもした。
それでも、若い小学校教師のモティベーションは「子どもの未来」にあったように思う。
紙飛行機と一緒に自分も飛んでたような……。

 そう、それはそれでいいはずだ。今でもそう思う。

 しかし、特別支援学校に転勤して、生きていること、生きて行くことの意味を深く考えざるを得なくなる。
「未来」だけってわけがない。

                     (つづく)

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