諦めない教育原理

特別支援教育は教育の原点と聞いたことがあります。
その窓からどこまで見えるか…。

86 第4の教育課程#2 その子の語り

2020年06月27日 | 第4の教育課程
シリアスな話を続けます。無理がなければ。

「年に何回か生徒の葬式があるのがこの仕事のつらいところだよ」
と特別支援学校に転勤した時、先輩から聞いた。

 実際、すっと灯りが消えていくように知っている生徒が亡っていくことが時々あった。
「あの子はもう学校に来ないのか」
処理できない虚しさでいっぱいになってしまう。
その気持ちを抱えながら、慣例にしたって学校職員として葬儀に参列する。

 残された者の心境を「枯れ枝だけが長く長く残る」と記した小説があった。
例え身内でなくても、枯れ枝は積みあがっていくだろう。
それに耐えることが「この仕事のつらいところ」なのだろうか思った。

 そして忙しくしている中、結局、割り切り方なのではないかと微かに思ったとき、また機会が訪れた。


 確か小雨が降っていた。
学校から関係する先生方を送り出し、最後に斎場に到着すると、お坊さんのお経がちょうど終わるころになってしまった。

 お焼香をして、列にもどると、ほどなく会葬者が斎場を後にしだす。傘が開きはじめる。自分もその流れにしたがって退場するのが慣例だと承知していた。

 その時である。
柩の横にいた元担任のベテランの先生が、目に充てていたハンカチを小さくふってこちらに合図を送っている。
「お顔を見て行ってください」
というのだ。

 正直にいうと躊躇があった。
そんなことをして例のやり場のない感情があふれてしまう。

 柩に近づいた。
ハンカチの先生に招かれたかのか、その子に招かれたのか。

そして顔が見えてきた。

顔は意外なほど穏やかだった。

 鼻の管は今はない。素顔のままの表情は安らいでいるようにすら見えた。
それは印象でしかないはずだだが、確かにそう見えた。

 そして、その子の向こうには家族、親族の方がいる。横に担任の先生が付き添っている。
穏やかな表情は、この皆さんの想いが彼の短い生涯を豊かにしていたからではないか!。
理屈も何もないけど、確かにそう思った。
その人達は、棺を前に、肩をたたき合ったり、合掌しあったり、何かを話しかけたりしている。

 さらに、その子は、その表情の中でしっかりと私に向かって言った。
「自分はこれでお別れだけど、お友達のことは頼んだよ」
と。
                           (つづく)






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