諦めない教育原理

特別支援教育は教育の原点と聞いたことがあります。
その窓からどこまで見えるか…。

133 「ズレ」を考える #6 連合野のアイデンティティ

2021年05月02日 | 「ズレ」を考える
道! 数年前のGW  鳳凰山稜線は雪が残ります

人間の脳が他の動物と違うのは、広大な前頭連合野が“ある”ところである。
これがあることは、長所とも短所とも言えず、とにかく“ある”ということである。

そして、人間が社会的動物である以上、その子が生存できるように、
「思考、判断、情動のコントロール、コミュニケーションといった高度な分析・判断を司る。思考力、創造性、社会性といった人間らしさの源泉ともいえる部位」(前掲)
として、広大なこの部分に、人為的なプログラムを充てなければならないのである。
教育の起源といえるだろう。

もっとも、人類が体系的な言語や文字を発明する前は、こうした教育も素朴なものだっただろう。
実感として認識でき得る範囲のコミュニティーのルールや生活上の教養はさほど前頭連合野を酷使したとは思えない。
なにしろ「社会」が狭かった。

ところが、文字を開発した人類は、文字によって時空を超えた誰か(一般他者)の考えたことを前頭連合野で再現できるようになった。
これ以降、(いつか、どこかの)誰かの知恵を情報として収集して前頭連合野に入れるという“新種の教育”が生まれ、効率的にこれを教授する学校とういう仕組みがととのたのがわずか100年前なのである。

そして、新種の教育を受けた5~6世代の末裔が作った「未来社会」が現在である。
かくして、自然界から得られた情報を感覚野がまとめて前頭連合野に送り、その出力として木の実を採取し、牛の乳を搾り、弓矢を引かせた指の筋肉は、これに代わって、ピアノ弾かせ、本をめくらせ、ハンドルを握らせ、JIS規格のキーボードをブラインドタッチで打たせる指令へと急速に変化してしまった。感覚野が得る情報も、音符記号であり、文字であり、スピードメータやナビゲーションだったり、3次元モニターと言った人工物を根拠にしている。

人工物からの入力と、機器を操作する出力の間にあって、前頭連合野はそのアイデンティティにこまっているに違いない。






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