諦めない教育原理

特別支援教育は教育の原点と聞いたことがあります。
その窓からどこまで見えるか…。

136 「ズレ」を考える #9 教授の中で

2021年05月23日 | 「ズレ」を考える
道! 木道 植物の保護のため木道が整備されているところは多いです。これは丹沢 檜洞丸頂上付近です。1000mの急登後一息。

19世紀の初め、ドイツの教育学者が、
「教授の無い教育などというものの存在を認めないし、逆に、教育の無いいかなる教授も認めない」
と言った。さらに
「この「教授」こそ「陶冶」である」
と加えた。
この人は教授の可能性を信じた。
教授こそ子ども達の能力や才能を開花させるものだと。
このヘルバルトの強い思いが、今日の日本国中の授業の定型につながることになる。

その学派にあったハウスクネヒトという人が明治中期に東京帝国大学に招聘され、ヘルバルトの「5段階教授」(正確にはお弟子さんがまとめた)を勢力的に提唱する。
これは子どもの興味に視点を置くのではなく、教師側に視点を置き、教師の教授活動の手順を示すものとして明確で広く普及した。
5段階の中身というのは、

第一段階 準備 「教授をはじむる前に、新たに教授せむとする目的を予告する」
第二段階 提示 「新事物を提示する」
第三段階 比較 「類同もしくは反対の事物顕象を提示し相比較判断せしむ」
第四段階 統合 「個々の念より総合したる概念的結果を純正明瞭にする」
第五段階 応用 「新例を与えてこれを説明せしむ。試問も含む」

表現は、文語調だが、その意図はけして古くない。
「「5段階教授法」は一斉授業の手続きとして全国の教室の浸透し、今日に続く定型的な授業の基本的構造を形成している」(佐藤学さん)としている。

この方法が普及した背景には、日露戦争に戦勝して「一等国」入りした機運の中、「学制」発布後の教育システムが整い一斉授業の在り方も刷新する必要があったのだろう。
ちなみに1900年「小学校令」により学年制が普及、均一内容、均一時間が整った時期でもある。
そこでこの「最新式」の「5段階教授法」が多くの教師たちに支持されたのだろう。
ヘルバルトの「逆に、教育の無いいかなる教授も認めない」と言い放ったことが、教師たちの心をつかんだのではないか。近代の機運と共に。

均一空間、均一年齢、均一時間、均一内容の学校の条件で、教授の在り方で子ども達に思考の揺れと自由を与え、陶冶(人間形成)につなげる教育をめざしたのには各地の教師たちの志が見えるきがする。

ただ、少しありきりなことをいうと、120年前のヘルバルトの授業論が今日も違和感が少なく感じられること、学校の均一的な条件も本質的には当時とさほど変わっていない、そして、求めれるスペックだけが高くなっていることこそ問題であるということだろう。

参考:佐藤学『教育の方法』岩波書店
   「5段階教授」の部分は、HP「Study further」 https://www.hpymt.net/tsu/ 






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