息子が卓球に興味を持ち始めた・・???
当方も小学校から高校の途中まで卓球部・・・、興味を持ったのはオリンピック効果?? 卓球台のある近所の町内会館と隣接する市のプールに小生と行きたいらしい
さて本日の作品紹介は本ブログで何点か紹介してきた初期伊万里の作品です。
初期伊万里 染付山水文七寸皿
合箱
誂箱
口径203*高さ33*高台径75
初期伊万里とは、その名前の通り伊万里焼の最初の焼き物であり、現在有田で焼かれている物とは、趣がちょっと違います。その品物のほとんどが染付であり、極稀に、一部、鉄砂などを使っている珍品もあります。技術的に言えば、初期の作品だけに、素焼きをする過程はなく、生がけになっています。その為に品物を焼く時点で貫入が入ったり,途中で割れてしまう事がよくあったようです。もちろん、無傷の物もありますが、最近は特にいい作品が少なくなったように感じます。
寸法は、小皿、中皿類が多く、大皿(尺~尺五)の品物の割合は中皿に比べて、特に少ないです。そして、傷の方も無傷と言うのは、大皿に限って言えば、まず無いと考えていいようです。
品物の特徴は、高台が小さく(直径の1/3位 俗にいう三分の一高台)、大半の器には、釉薬を塗るときについた指跡が残っています。「初期伊万里は指跡の温もり」と称していますが、ただしこれはすべての器には適用されず指跡のない作品もあります。
生がけなので、生地は、割合分厚い生地です。初期の染付は釉薬がたっぷりとのせられ厚ぼったくなっています。伊万里焼の初期の作品と言う事で、昔から評価は高く、日本の鑑賞陶器としては値段の高い部類でしょう。伊万里の人気が最盛期の頃はひとつの作品が数十万円ということもありました。
本作品は山水画が洒脱で初期伊万里の作品の中でも優品に入るであろうと思います。
高台内には中国の染付の影響もあってか「太□明」などのの銘が書かれていることもあります。初期伊万里の銘款種類は極めて少なく、 文字の書き方やその意味さえも知らない陶工達が無造作に中国磁器を模倣して描いた為、 解読できない文字や誤字脱字も見られるそうです。
初期の磁器は、砂目積みという技法が使われていますが、砂目積みとは、窯焼き時に製品同士の熔着を防ぐために砂を挟む技法で、明末の民窯との違うもので、中国製の磁器にはみられない朝鮮からの独特の技法です。このことから、朝鮮から渡来の陶工が生産に携わったことが明らかであるとされています。
一方、当時の朝鮮半島の磁器は、器面に文様のない白磁であったので、呉須(コバルトを主原料とする絵具)で文様を描く染付の技法や意匠は中国由来(中国出身の陶工作)のものであると考えられています。
初期伊万里は絵付けの発色が安定せず、生地も厚く歪みや押指の跡が残るなど粗雑な部分があり、次第に九谷焼や柿右衛門などに押され市場から姿を消してしまいました。しかし初期伊万里は後に1960年頃より素朴な美しさや叙情美が再評価され、早々に市場から淘汰されたことによる流通量の少なさから、再評価以後は希少性が高く高値で珍重されるようになったとされます。
評価が高くなったことで初期伊万里の贋作が数多くあるようです。古伊万里の贋作は近年問題になりましたが、例にもれず評価の高い初期伊万里にも贋作が横行しているとのことです。当然のように高台の1/3、指跡などの原則に適っている贋作もあります。逆に本物は高台が1/3ではなかったり、指跡のないものも多くあるので安易には見分けがつかないとされています。
*「ほぼ3分の1高台。これは初期伊万里の約束」、「初期伊万里は指跡の温もり」という原則事を真贋の尺度にするのは真の真贋の鑑定では参考にしかならないと心得るべきなのでしょう。
釉薬に縮みのあるものなど見分けが簡単な贋作もありますが、最終的には胎土と釉薬で見極めるとされていますが、これほど精巧な贋作が多いことから当方では「伊万里」には手を出さなくなりました。贋作も多くなり、人気も下火となり、結果として値段が暴落しており、初期伊万里でも数万円という相場が妥当となっています。結果として贋作はそれ相応の値段に落ち着かせるという効果があったようです。こういう状況となると普段使いにと古伊万里や初期伊万里はお手頃になってきました。
この作品も前の所有者は30万円で購入したそうですが、たかが試行錯誤中の作品?であり、今では数万円が妥当なお値段だと思います。古伊万里はいいものでも数千円で買えるのが妥当だろうと考えています。
当方も小学校から高校の途中まで卓球部・・・、興味を持ったのはオリンピック効果?? 卓球台のある近所の町内会館と隣接する市のプールに小生と行きたいらしい
さて本日の作品紹介は本ブログで何点か紹介してきた初期伊万里の作品です。
初期伊万里 染付山水文七寸皿
合箱
誂箱
口径203*高さ33*高台径75
初期伊万里とは、その名前の通り伊万里焼の最初の焼き物であり、現在有田で焼かれている物とは、趣がちょっと違います。その品物のほとんどが染付であり、極稀に、一部、鉄砂などを使っている珍品もあります。技術的に言えば、初期の作品だけに、素焼きをする過程はなく、生がけになっています。その為に品物を焼く時点で貫入が入ったり,途中で割れてしまう事がよくあったようです。もちろん、無傷の物もありますが、最近は特にいい作品が少なくなったように感じます。
寸法は、小皿、中皿類が多く、大皿(尺~尺五)の品物の割合は中皿に比べて、特に少ないです。そして、傷の方も無傷と言うのは、大皿に限って言えば、まず無いと考えていいようです。
品物の特徴は、高台が小さく(直径の1/3位 俗にいう三分の一高台)、大半の器には、釉薬を塗るときについた指跡が残っています。「初期伊万里は指跡の温もり」と称していますが、ただしこれはすべての器には適用されず指跡のない作品もあります。
生がけなので、生地は、割合分厚い生地です。初期の染付は釉薬がたっぷりとのせられ厚ぼったくなっています。伊万里焼の初期の作品と言う事で、昔から評価は高く、日本の鑑賞陶器としては値段の高い部類でしょう。伊万里の人気が最盛期の頃はひとつの作品が数十万円ということもありました。
本作品は山水画が洒脱で初期伊万里の作品の中でも優品に入るであろうと思います。
高台内には中国の染付の影響もあってか「太□明」などのの銘が書かれていることもあります。初期伊万里の銘款種類は極めて少なく、 文字の書き方やその意味さえも知らない陶工達が無造作に中国磁器を模倣して描いた為、 解読できない文字や誤字脱字も見られるそうです。
初期の磁器は、砂目積みという技法が使われていますが、砂目積みとは、窯焼き時に製品同士の熔着を防ぐために砂を挟む技法で、明末の民窯との違うもので、中国製の磁器にはみられない朝鮮からの独特の技法です。このことから、朝鮮から渡来の陶工が生産に携わったことが明らかであるとされています。
一方、当時の朝鮮半島の磁器は、器面に文様のない白磁であったので、呉須(コバルトを主原料とする絵具)で文様を描く染付の技法や意匠は中国由来(中国出身の陶工作)のものであると考えられています。
初期伊万里は絵付けの発色が安定せず、生地も厚く歪みや押指の跡が残るなど粗雑な部分があり、次第に九谷焼や柿右衛門などに押され市場から姿を消してしまいました。しかし初期伊万里は後に1960年頃より素朴な美しさや叙情美が再評価され、早々に市場から淘汰されたことによる流通量の少なさから、再評価以後は希少性が高く高値で珍重されるようになったとされます。
評価が高くなったことで初期伊万里の贋作が数多くあるようです。古伊万里の贋作は近年問題になりましたが、例にもれず評価の高い初期伊万里にも贋作が横行しているとのことです。当然のように高台の1/3、指跡などの原則に適っている贋作もあります。逆に本物は高台が1/3ではなかったり、指跡のないものも多くあるので安易には見分けがつかないとされています。
*「ほぼ3分の1高台。これは初期伊万里の約束」、「初期伊万里は指跡の温もり」という原則事を真贋の尺度にするのは真の真贋の鑑定では参考にしかならないと心得るべきなのでしょう。
釉薬に縮みのあるものなど見分けが簡単な贋作もありますが、最終的には胎土と釉薬で見極めるとされていますが、これほど精巧な贋作が多いことから当方では「伊万里」には手を出さなくなりました。贋作も多くなり、人気も下火となり、結果として値段が暴落しており、初期伊万里でも数万円という相場が妥当となっています。結果として贋作はそれ相応の値段に落ち着かせるという効果があったようです。こういう状況となると普段使いにと古伊万里や初期伊万里はお手頃になってきました。
この作品も前の所有者は30万円で購入したそうですが、たかが試行錯誤中の作品?であり、今では数万円が妥当なお値段だと思います。古伊万里はいいものでも数千円で買えるのが妥当だろうと考えています。