本日は本ブログでお馴染みに南京赤絵の作品のようです。なお明確には「南京赤絵」とはまだ判断していません。
南京赤絵とは今から350年くらい前の中国明時代末期から清王朝初期に掛けて景徳鎮の民窯で作られた赤絵の総称です。天啓赤絵に比して、広義に各種の作品が南京赤絵に分類されているような気がします。
南京赤絵の製作背景は、「17世紀に各地で農民の反乱が相次ぎ明王朝は衰退し、その結果景徳鎮の官窯は消滅した。」ことによります。官窯は消滅しましたが、景徳鎮の民窯はしたたかに生き残り、規制がなくなり、むしろ自由闊達な赤絵を作りましたが、この時代の民窯の赤絵の作品を総称して南京赤絵と称します。
本日の作品は三枚の揃いですが、もとは日本からの注文品でもっと数の多い揃いあったものと推測されますが、色絵九谷や伊万里の可能性もありますが、当方では南京赤絵と判断しました。
伝南京赤絵 瓢箪花紋六角皿 三枚揃
合箱
縦153*横144*高台径81*高さ30
当方の経験から南京赤絵の特徴を整理すると下記のようになります。
① 南京赤絵の生地の多くは従来の青味が強い白ではなく乳白色を帯びていています。これは色彩を一層際立たせる効果がありますが、意図的な狙いかどうかは不明です。
*本作品も写真では解りにくいですが、たしかに乳白色というイメージの色ですね。
② 絵付けにはこの時期の一定の期間だけ製作された天啓赤絵のように染付と併用された作品とは違い基本的に染付けは用いず、色釉だけで彩色され、その色数も初期は赤、緑、黄と少なく作風はきわめて豪放です。その後、紺青、紫、黒、褐色などの色が増えるとこれらの色数を組み合わせ繊細華麗な作風へ変化しました。その変化は五彩と称される作品群を生みました。
③ 当時の主要な輸出品で西欧諸国に売ったものは壷や花生けや蓋ものなど大作が多いですが、日本に輸出したものは茶道具あるいは鉢や小皿・中皿などの食器が多いとされます。
④ デザインは日本人好みの余白を十分とった絵画的な構成になっています。
⑤ 日本の古九谷と同様に器の縁は鉄釉いわゆる口紅というもので隈取してあります。古九谷は胎土の難点を隠すためでしたが、南京赤絵の場合は南京赤絵の独特の手法とされます。
*本作品も「色絵(五彩手)古九谷」のようなイメージを受けますね。逆に九谷が影響されたというのが正しい見解ですが、双方ともに日本人の感性が作品となっています。
⑥ 同時期の古染付の特徴である高台内の車輪高台(鉋跡)、砂付高台、口縁の虫喰いのある作品もありますが、天啓赤絵ほどこの特徴の作品は比率は高くはなく、まったくこの特徴を備えていない作品も多くあるようです。
*本作品は縁の虫喰いは金繕いで補修されたようです。虫喰はそのままにしておくほうが良かったと思います。なお砂付高台の様相は備えていませんね。これは古染付や南京赤絵、五彩手などの明末と分類される明窯の作品にはよくありますので、虫喰の有無だけでの判断は禁物のようです。
⑦ 古染付のように薄手の作りのものとそうでないものがあり一概には薄手とは言い難い。また高台内の刻銘はあるものとないものがあります。
*本作品の作りはまるで古染付のように薄手です。
⑧ 評価は寸法・出来によって大いに違い、大きさでは一般的に辺20センチ程度の出来の良い大きめの作品はかなり高価ですが、辺12センチの同じような皿だと数が多く大きく評価が下がる傾向にあるようです。
*ちなみに「なんでも鑑定団」に出品された20センチの出来の良い「南京赤絵 花紋角皿」の評価金額は500万円でしたが、さすがにこれは高すぎて一桁以上市場価格とはかけ離れていました。このような価格では売る人はいても、誰も買う人はいないでしょう。
本作品は15センチ程度の大きさで決して大ぶりとは言えませんが、すでにばら売りされている作品が多い中で三枚とはいえ揃いで遺っているのは貴重といえるでしょう。中央の絵の余白を充分とった瓢箪も日本らしくていい?(もともと日本の作品かも)と思います。
この作品が骨董市の店頭にあっても「南京赤絵」と思う御仁は少ないでしょうね。デザインから伊万里の色絵や明治期の倣五彩手古九谷と判断する方が大半かもしれません。それも間違いではない、否そのほうが正しいのかもしれませんね。
伊万里の色絵や明治期の倣古九谷に比して南京赤絵といってもそれほど高価ということではありません。南京赤絵は基本的に雑器であり、本作品の入手金額も数万円程度ですが、これでも高い?? この分類の混乱は南京赤絵として少しでも高く売りたいという骨董商の意図があるのかもしれません。
色絵九谷・伊万里、南京赤絵・・??? ま~、分類はともかくとして、センスの良い器だと思いませんか?
南京赤絵とは今から350年くらい前の中国明時代末期から清王朝初期に掛けて景徳鎮の民窯で作られた赤絵の総称です。天啓赤絵に比して、広義に各種の作品が南京赤絵に分類されているような気がします。
南京赤絵の製作背景は、「17世紀に各地で農民の反乱が相次ぎ明王朝は衰退し、その結果景徳鎮の官窯は消滅した。」ことによります。官窯は消滅しましたが、景徳鎮の民窯はしたたかに生き残り、規制がなくなり、むしろ自由闊達な赤絵を作りましたが、この時代の民窯の赤絵の作品を総称して南京赤絵と称します。
本日の作品は三枚の揃いですが、もとは日本からの注文品でもっと数の多い揃いあったものと推測されますが、色絵九谷や伊万里の可能性もありますが、当方では南京赤絵と判断しました。
伝南京赤絵 瓢箪花紋六角皿 三枚揃
合箱
縦153*横144*高台径81*高さ30
当方の経験から南京赤絵の特徴を整理すると下記のようになります。
① 南京赤絵の生地の多くは従来の青味が強い白ではなく乳白色を帯びていています。これは色彩を一層際立たせる効果がありますが、意図的な狙いかどうかは不明です。
*本作品も写真では解りにくいですが、たしかに乳白色というイメージの色ですね。
② 絵付けにはこの時期の一定の期間だけ製作された天啓赤絵のように染付と併用された作品とは違い基本的に染付けは用いず、色釉だけで彩色され、その色数も初期は赤、緑、黄と少なく作風はきわめて豪放です。その後、紺青、紫、黒、褐色などの色が増えるとこれらの色数を組み合わせ繊細華麗な作風へ変化しました。その変化は五彩と称される作品群を生みました。
③ 当時の主要な輸出品で西欧諸国に売ったものは壷や花生けや蓋ものなど大作が多いですが、日本に輸出したものは茶道具あるいは鉢や小皿・中皿などの食器が多いとされます。
④ デザインは日本人好みの余白を十分とった絵画的な構成になっています。
⑤ 日本の古九谷と同様に器の縁は鉄釉いわゆる口紅というもので隈取してあります。古九谷は胎土の難点を隠すためでしたが、南京赤絵の場合は南京赤絵の独特の手法とされます。
*本作品も「色絵(五彩手)古九谷」のようなイメージを受けますね。逆に九谷が影響されたというのが正しい見解ですが、双方ともに日本人の感性が作品となっています。
⑥ 同時期の古染付の特徴である高台内の車輪高台(鉋跡)、砂付高台、口縁の虫喰いのある作品もありますが、天啓赤絵ほどこの特徴の作品は比率は高くはなく、まったくこの特徴を備えていない作品も多くあるようです。
*本作品は縁の虫喰いは金繕いで補修されたようです。虫喰はそのままにしておくほうが良かったと思います。なお砂付高台の様相は備えていませんね。これは古染付や南京赤絵、五彩手などの明末と分類される明窯の作品にはよくありますので、虫喰の有無だけでの判断は禁物のようです。
⑦ 古染付のように薄手の作りのものとそうでないものがあり一概には薄手とは言い難い。また高台内の刻銘はあるものとないものがあります。
*本作品の作りはまるで古染付のように薄手です。
⑧ 評価は寸法・出来によって大いに違い、大きさでは一般的に辺20センチ程度の出来の良い大きめの作品はかなり高価ですが、辺12センチの同じような皿だと数が多く大きく評価が下がる傾向にあるようです。
*ちなみに「なんでも鑑定団」に出品された20センチの出来の良い「南京赤絵 花紋角皿」の評価金額は500万円でしたが、さすがにこれは高すぎて一桁以上市場価格とはかけ離れていました。このような価格では売る人はいても、誰も買う人はいないでしょう。
本作品は15センチ程度の大きさで決して大ぶりとは言えませんが、すでにばら売りされている作品が多い中で三枚とはいえ揃いで遺っているのは貴重といえるでしょう。中央の絵の余白を充分とった瓢箪も日本らしくていい?(もともと日本の作品かも)と思います。
この作品が骨董市の店頭にあっても「南京赤絵」と思う御仁は少ないでしょうね。デザインから伊万里の色絵や明治期の倣五彩手古九谷と判断する方が大半かもしれません。それも間違いではない、否そのほうが正しいのかもしれませんね。
伊万里の色絵や明治期の倣古九谷に比して南京赤絵といってもそれほど高価ということではありません。南京赤絵は基本的に雑器であり、本作品の入手金額も数万円程度ですが、これでも高い?? この分類の混乱は南京赤絵として少しでも高く売りたいという骨董商の意図があるのかもしれません。
色絵九谷・伊万里、南京赤絵・・??? ま~、分類はともかくとして、センスの良い器だと思いませんか?