夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

バラ 奈良岡正夫画

2020-02-14 00:01:00 | 洋画
我が家の畑は大根の収穫期・・、おでんで味をしめた息子は大根は「おいしい!」と判断したらしい。幼稚園から帰宅後には家内と大根の収穫に出かけてきたようです。



大きな大根を2個持って運べるようにもなりました。もうすぐ小学校の入学です。

さて小生の郷里近郊の出身の画家では県を跨ぐと青森県には数多くの著名な画家が存在します。その一人が奈良岡正人です。小生の郷里から一時間ほどの弘前出身の洋画家ですが、著名な画家ですのでご存知の方も多いでしょうが、本ブログで紹介させていただきます。



バラ 奈良岡正夫画
油彩額装 左上サイン 誂黄袋+タトウ
額サイズ:縦640*横560 画サイズ:縦455*横380 P8号



********************************************

奈良岡正夫:(ならおか まさお)本名:奈良岡政雄、1903年(明治36年)6月15日~2004年(平成16年)5月5日)。日本の洋画家。女優・奈良岡朋子の父である。 青森県中津軽郡豊田村(現弘前市)出身。』を挙げている。享年100歳。

父は村役場職員と農業を兼業していた。1915(大正4)年中津軽郡外崎尋常小学校を卒業。18年中津軽郡玉成高等小学校を卒業。この頃からねぷた絵の制作に熱中するが、長男として生家の農業を継ぐことを期待されており、19年ころ画家を志して家出する。しかし、一年で連れ戻されて農業に従事。そのかたわら、22年棟方志功らが結成した青光社に参加し、絵画制作を続ける。25年画家を志して上京。本郷絵画研究所に入るが、そこでの指導と環境に満足できず、初日で退学。その後弁護士の書生、青果市場内の製氷問屋などで働き、生計を支えながら、独学で絵を学ぶ。



1940(昭和15)年3月第36回太平洋画会展に「豊秋」で入選。これを皮切りに、特定の団体にこだわらず、数多くの団体展に出品して入選を続けるようになる。
1940年第12回第一美術協会展に「田賀風景」、第14回構造社展に「漁村」を出品。翌年第18回白日会展に「早春ノ山」、第9回旺玄会展に「湖畔晴日」「湖畔の春」「早春の山路」、第13回第一美術協会展に「新緑の里」、また、第3回現代美術協会展に「閑日」、第15回新構造社展に「二人の老人」で入選する。
1942年第19回白日会展に「提灯屋さん」、第38回太平洋画会展に「水に住む」、第29回光風会展に「けしの花」、第12回独立美術協会展に「訊問」「水に住む」、第10回東光会展に「勤労奉仕」、第14回第一美術協会展に「閑日」、第29回二科展に「征途」、第2回創元会展に「驢馬と子供」、第16回新構造社展に「網代風景」が入選。また、同年第6回大日本海洋美術展に「漁夫」、第2回大日本航空美術展に「飛行機ノお話」「防空壕」、第1回大東亜戦争美術展に「北方を護る人々」「弾丸を磨く」で入選する。
1943年第20回白日会展に「子供隣組」「巌峯進軍」を出品して佳作賞を受賞したほか、第39回太平洋画会展に「兎と子供」「古物商」「童心」「地引」で入賞し、褒賞受賞。また、第7回大日本海洋美術展に「漁夫」「地曳」を出品して大臣賞受賞。同年決戦美術展に「アッツ島上陸」で入選する。また、第3回大日本航空美術展に「救護(一)」「救護(二)」を出品し、「救護(一)」によって大日本航空美術協会賞を受賞。第2回大東亜美術戦争美術展に「突撃」を出品する。この年、陸軍省報道部派遣命令により、中支に派遣される。
1944年1月ソヴィエト満州国境に3ヶ月間、北支に3ヶ月間派遣される。同年、第40回太平洋画会展に「工場」を出品して同会会員となる。また、陸軍美術展に「兵隊と良民」「昭和18秋太岳作戦(勝兵団戦闘司令部)」、第8回大日本海洋美術展に「漁期に入る」を出品。45年陸軍作戦記録画展に出品。戦地から帰った際に牛や山羊ののどかな姿に打たれ、以後、これらを描き続ける。




戦後、46年第1回日展に「牛宿」で入選。47年太平洋画会から分離独立して示現会が結成されるのに際し、創立会員として参加し、以後、日展とともに同会に出品を続ける。
1954年第10回日展に「山羊」を出品し特選を受賞。
1956年第12回日展に「山羊」を出品して再び特選を受賞、
1962年日展会員となる。
1964年から1970年まで隔年で、東京日本橋三越で個展を開催所で個展を開催。
1969年6月渡欧。
1970年6月青森市松木屋で、同年11月弘前市青森銀行記念館で画業50年展を開催。この頃から、郷里の夏祭りねぷたを題材とした作品を多く制作するようになる。
1979年日展参与となり同年青森市民展示館で「画業60年展」、1991(平成3)年東京の銀座松屋で「米寿記念奈良岡正夫展」、青森市松木屋で「画業70年米寿記念展」を開催。
1994年示現会会長となり、同年11月青森市松木屋で「松木屋創立45周年記念特別企画 示現会会長就任記念奈良岡正夫個展」を開催。
1997年、洋画家中村彝を記念し、名利を求めず画業に精進する60歳以上の画家を顕彰する中村彝賞の第5回受賞者となる。
1999年茨城県近代美術館で「中村彝賞記念 変幻自在流 大沢昌助・じょっぱりの画人 奈良岡正夫展」が開催された。年譜、文献目録は同展図録に詳しい。

2000年画業80年展を青森市で開催し、2001年白寿記念展を三越本店にて開催した。「描く対象に対する愛情がなければ絵にはできない」と語り、子供をいつくしむ山羊や幼い頃から親しんだ郷里のねぷた祭を好んで描いた。生涯、納得のできる絵画を目指し、対象の再現的描写を基本とするが、タブローを描くにあたっては構図を知的に組み立てるなど、絵画の自立性を踏まえた制作をつづけた。

社団法人日展参与、社団法人示現会会長を務めた。 初入選が40歳前と遅咲きの作家。戦時中は従軍して戦争記録画を制作したが、戦前の作品は、ほとんどが所在不明となっている。戦後は、放牧されている牛や山羊、青森のねぶた、奥入瀬などを題材に描いた。堅実な描写力と対象への親密なまなざしによって独自の画風を確立した。



略歴
1903年(明治36年) 青森県弘前市生まれ。
1925年(大正14年) 上京。
1941年(昭和16年) 白日会展入選。
1943年(昭和18年) 仁科展、独立展等に入選。
1944年(昭和19年) 文展に入選。
1946年(昭和21年) 第1回日展に初入選。
1947年(昭和22年) 「示現会」の創立会員。
1979年(昭和54年) 日展参与。

********************************************

バラを描いた日本洋画家は多く、著名な画家も多い。その良し悪しの判断は当方の及ぶべきもない領域ですが、この作品は当方にとっては好きな作品となりそうです。



伊勢正義や福田豊四郎、そして奈良岡正夫のような画家が郷里の近郊の出身であることは幸いだと感じています。



近年、そのような文化的な香りが郷里でしなくなってきたのが気がかりです。ただ一人、今は故人となってしまった陶芸家の平野庫太郎氏を除いては・・・。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。