夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

伝田能村竹田筆 その2 蒲池勇魚漁図 

2010-11-13 01:24:31 | 掛け軸
蒲池勇魚漁図 伝田能村竹田筆
絹装軸水墨紙本箱入 画サイズ:411*276

スペインは第2次世界大戦の被害も少なく、古い建物、芸術がほぼそのままの残る素晴らしい遺産を誇る国です。生半可な遺産ではありませんでした。世界を制覇したスペイン王朝の遺産はそうそうには語れませんね。というより、私の知識をはるかに超えており、もっと知らないといけないと痛感しています。そんなスペインをほんの少し旅をしてみて、つい比較してしますのは日本のことです。おいおい、少しづつ語れるようになればと思います。

今回はマドリード、トレド、バルセロナを見てまいりましたが、置き引きの被害にはあうし、街を散策していると悪魔につかまりそうになるし、油断は出来ません


下の写真はバルセロナで悪魔に襲われた時の写真です



財布だけはしっかりと押さえておきましたが・・・・


さて、再開にはあまりふさわしくないかもしれませんが、スペインの影響から脱し、早く日本の墨の世界に戻るために伝田能村竹田の作品にしてみました。




賛や落款、印章部分の拡大は下の写真です。



文献の中でもっとも近い書体の文献の落款は下記のものがありました。

竹田の作品は年を経るごとに、字が左に流れる傾向があり、一説にはメニエール病ではないかと言われています。



印章の比較は下の写真のとおりです。左が本作品で右が文献参考の印章です。
若干の違いをどう判断するかでしょうね。

 


 

 

賛は「蔓蒲差不 留水勇魚 難翠頖知 尚残陽露 山一停煙 竹田生」とあり解釈は「同じ背丈の蒲がいっぱい集まる中に留まり水の処の魚は勇ましい その蒲の緑の中に入ると魚ははあちこちに逃げ分かれて捕らえるのが難しい。また、その内に陽が昇り草の露も残り、山全体が朝露につつまれてしまう」です。

つまりこの絵は「朝仕事で煙霧の発生する前に忙しく漁をしている様子を描いて賛したもの」でしょう。

本作品はあくまでも「伝」田能村竹田です。田能村竹田の作品はなかなか手に入るものではありません。以前のブログにも投稿した作品「畢風飲中易図 伝田能村竹田筆」も「伝」です。

一時期、無謀にも竹田の作品の真作を入手しようと頑張った時期がありましたたしかもう一作あったはずですが、写真のデータがありません



小生の知識では真贋は判断しかねますが・・胸の内では贋作と判断しています

よくもこれだけの贋作を製作したものと感心する気持ちと、もしかしたらという欲もまだあります。だから、悪魔に襲われるのでしょう・・・修行が足りない

でも、こうして自分でお金を出して勉強しないと身につかないのです。とくに、私のように欲深い人間は・・・。今日も悪魔がささやく・・

反省をこめた作品(贋作)はだいぶ処分しましたが・・そんな作品の特集も面白い・・??


田能村竹田:安永6年から天保6年(1777年~1835年)。

名は孝憲、字は君彜。号は竹田・九畳仙史・藍水・狂客。

豊後の直入郡竹田村に岡田藩の侍医硯庵の次子に生まれ、渡辺逢島などに画を学んで享和元年(1801年)に江戸に出て谷文晃について帰郷して同藩に仕えたが文化9年(1812年)に辞して京阪の間を往来して大阪で没した。

一般の南画家とは異色のある画風で、明清風を翻案した独特の技法による着色の花鳥山水画に特色がある。学問書画に通じて当時の典型的な文人の性格と生活者であったので、その指導影響力が大きく、絵画と供にそこに彼の盛名があった。「山中人饒舌」や「竹田荘師友画録」の著は文人画論中の代表作である。
 




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2 コメント

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写真を拝見して (米吉)
2010-11-13 05:55:02
悪魔?に囲まれて「満面の笑顔」
とすると天使に囲まれたら、いったいどんな・・・。
スペインの街並みの秋めいた色合いと喧騒が感じられる写真と田能村竹田の伝作品とのギャップの激しいこと!面食らってしまいました。
悪魔達にとっては、シッカリ財布を右手に握られていては、まさに「難翠?知」だったことでしょうね。
いずれ、ゆっくりとお噺を。
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ギャップ (夜噺骨董談義 )
2010-11-13 09:13:08
『まさに「難翠?知」だったことでしょうね』というコメントはまさに「したり」というところかな・・相変わらずするどい

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