古くから家に転がっている備前と思われる壺がいくつかありますが、本ブログにて紹介している作品ですが、改めて再度整理していますので投稿いたします。
古備前壷 その1
口径115*胴径240*底径160*高さ315
最近投稿した古信楽でも記述していましたので、古備前についての窯印についても調べてみました。
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備前焼は戦国の戦乱を逃れるため3つの大窯、共同窯を作って焼いた。そのため自分の作品が区別できるように窯印を入れたと言われています。それは室町中期以降ということで、それ以前に作られた作品には窯印はありませんし、窯印がないから近代の作品とも限らないようです。
備前の陶印はその大部分が共同窯に於いてその所属を明らかにするための窯印であって、その窯印には家号を用いています。
丹波では共同窯の場合には各窯の部屋のよって区別しているため窯印の必要がなく、主として作者名が彫ってあるそうです。
備前焼に、彫られた窯印が見られる様になったのは、一般的には、室町時代中期以降であると言われています。即ち、大窯を共同で焚くようになって、各自の製品がわかる様に手印を入れたのが始まりであろうと思われます。
窯印も後代になっては、その様な目的だけではなく、自己の製品の優秀性を表示する商標の如きものに変わってきたようです。窯印の書かれた場所、大きさなども多様で、室町時代後期のものは大きく、肩、胴部に彫っているが、時代が下がってくるに従って小さく、底部に彫られるようになり、押印も桃山時代から見られるようになって、江戸中期以降は押印の方が彫印より多くなります。特殊なものに古備前大瓶の肩に彫られた窯印があります。
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また、古信楽によくみられる「下駄印」については「なんでも鑑定団」の出品作の評に下記の記述があります。
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600年くらい前に作られた古備前(室町時代初期)には玉縁が多いが、この時代の玉縁が最も力がある。そして肩が張っている。これより古い物はもっとすんなりしている。高台を返すと二本の線がある。古備前で下駄印があるのは極めて珍しい。胴と底を別に作っているので、それをはめ込んだ跡が高台に残っている。この手の物は室町初期~中期の古い手。
*口縁の外側を丸くする作りを玉縁(たまぶち)と言います。
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古備前には「下駄印」は珍しいようで、作品例を調べてもあまり「下駄印」のある作例は見当たりませんので、窯印や下駄印の有無が古信楽と同様に真贋の決め手にはならないようです。
備前の壺、というよりも壺自体に当方ではあまり見識がありませんので、本作品がいつの時代の作かはよくわかりませんが、すっきりしている形、ほんのりとある中央の緋色が気に入っています。
若い頃は壺などは爺くさいと思っていましたが、今になってようやくその魅力がほんの少し解ってきたように思います。
陶磁器は伊万里などの陶磁器から興味を持つ人が多いと思いますが、日本人の行きつくところは備前、信楽といった陶器であろうと先人が述べたということに納得する次第です。
まだ箱を誂えていない手元近くにある作品を庭に据えて写真を撮ってみました。
下記の写真の壺は普段は庭に放置してある作品ですが、もともと展示室を改装する際に荷物をした際に屋根裏から出てきた作品のひとつです。瀬戸焼?
伝古伊賀焼 煎餅壺
合箱入
口径113*胴径*底径*高さ285
古信楽壺花入 その2
杉古箱入
口径104*胴径215*底径*高さ268
そして本日紹介した作品です。
これらの壺類は外に置くとよく映えます。
古備前壷 その1
口径115*胴径240*底径160*高さ315
最近投稿した古信楽でも記述していましたので、古備前についての窯印についても調べてみました。
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備前焼は戦国の戦乱を逃れるため3つの大窯、共同窯を作って焼いた。そのため自分の作品が区別できるように窯印を入れたと言われています。それは室町中期以降ということで、それ以前に作られた作品には窯印はありませんし、窯印がないから近代の作品とも限らないようです。
備前の陶印はその大部分が共同窯に於いてその所属を明らかにするための窯印であって、その窯印には家号を用いています。
丹波では共同窯の場合には各窯の部屋のよって区別しているため窯印の必要がなく、主として作者名が彫ってあるそうです。
備前焼に、彫られた窯印が見られる様になったのは、一般的には、室町時代中期以降であると言われています。即ち、大窯を共同で焚くようになって、各自の製品がわかる様に手印を入れたのが始まりであろうと思われます。
窯印も後代になっては、その様な目的だけではなく、自己の製品の優秀性を表示する商標の如きものに変わってきたようです。窯印の書かれた場所、大きさなども多様で、室町時代後期のものは大きく、肩、胴部に彫っているが、時代が下がってくるに従って小さく、底部に彫られるようになり、押印も桃山時代から見られるようになって、江戸中期以降は押印の方が彫印より多くなります。特殊なものに古備前大瓶の肩に彫られた窯印があります。
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また、古信楽によくみられる「下駄印」については「なんでも鑑定団」の出品作の評に下記の記述があります。
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600年くらい前に作られた古備前(室町時代初期)には玉縁が多いが、この時代の玉縁が最も力がある。そして肩が張っている。これより古い物はもっとすんなりしている。高台を返すと二本の線がある。古備前で下駄印があるのは極めて珍しい。胴と底を別に作っているので、それをはめ込んだ跡が高台に残っている。この手の物は室町初期~中期の古い手。
*口縁の外側を丸くする作りを玉縁(たまぶち)と言います。
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古備前には「下駄印」は珍しいようで、作品例を調べてもあまり「下駄印」のある作例は見当たりませんので、窯印や下駄印の有無が古信楽と同様に真贋の決め手にはならないようです。
備前の壺、というよりも壺自体に当方ではあまり見識がありませんので、本作品がいつの時代の作かはよくわかりませんが、すっきりしている形、ほんのりとある中央の緋色が気に入っています。
若い頃は壺などは爺くさいと思っていましたが、今になってようやくその魅力がほんの少し解ってきたように思います。
陶磁器は伊万里などの陶磁器から興味を持つ人が多いと思いますが、日本人の行きつくところは備前、信楽といった陶器であろうと先人が述べたということに納得する次第です。
まだ箱を誂えていない手元近くにある作品を庭に据えて写真を撮ってみました。
下記の写真の壺は普段は庭に放置してある作品ですが、もともと展示室を改装する際に荷物をした際に屋根裏から出てきた作品のひとつです。瀬戸焼?
伝古伊賀焼 煎餅壺
合箱入
口径113*胴径*底径*高さ285
古信楽壺花入 その2
杉古箱入
口径104*胴径215*底径*高さ268
そして本日紹介した作品です。
これらの壺類は外に置くとよく映えます。
古伊賀焼? 贋作との指摘があり、現在はブログから原稿を削除し、再調査中です。