
本ブログは「goo blog」の終了に伴い、 今秋にて終了になる予定のようです。当方のブログの予定は未定ですが、便利であっただけに残念なことですね。
さて本日紹介する作品は市川鉄琅作の「古面五種 欅日ノ丸形銘々盆五客」という作品です。よく見かける作品は市川鉄琅作 「正倉院御物 伎楽面 丸型銘々皿5客」という作品ですが、この作品は数多く作られたようです。これとは一味違う作品です。

古面五種 欅日ノ丸形銘々盆五客 市川鉄琅作
共箱
各サイズ:口径150*厚さ10

実用的というよりは飾って愉しむ作品のようです。

直径が五寸皿に相当します。色の剥離などは古い面をそのまま再現したものです。

上記の写真は東大寺蔵のものらしい。東大寺と正倉院には、奈良時代にさかのぼる完形に近い伎楽面が東大寺に30面、正倉院に171面遺されています。これらは元来東大寺が管理してきた品で、天平勝宝4年(752)4月9日の大仏開眼会で用いられた面が多くふくまれています。伎楽面の遺品としては法隆寺に伝わった飛鳥時代の一群(東京国立博物館蔵)と双璧をなすものであり、平安時代以降、次第に衰微したため内容に不明な点の多い伎楽の実相を知るうえでもっとも重要な作品群となっています。

こちらは「元興寺蔵」のようです。日本最古の寺・飛鳥寺が、平城遷都に伴い奈良に移されたのが元興寺です。大仏前の大会で東大寺では高麗楽と天人楽を、山階寺では胡楽を、元興寺で. は新楽を、大安寺では林邑楽を、薬師寺では散楽と緊那楽を担当し、法隆寺で. は呉楽を担当したようです。

上記写真は「都久夫須麻社蔵」とあります。都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)のことのようですが、琵琶湖に浮かぶ島である竹生島に鎮座する神社です。

上記写真は正倉院のもののようです。

上記写真の作品には「信光山蔵」とありますが、こちらの詳細は不明です、
共箱に記されてい最勝精舎については下記の経緯があります。
師である加納銕哉は、1921年(大正10)に奈良の高畑にアトリエである「最勝精舎」を建てて、本拠地としました。この工房兼住居は2度の移転を止むなくし、加納銕哉の没後は門下の市川銕琅によって受け継がれましたが、銕琅の死後はその保存は断念せざるを得なかったようです。



当方の所蔵作品で伎楽面を題材にした市川鉄琅の作品については、本ブログで下記の作品を紹介しています。
東大寺寶物 伎楽面酔胡王 市川鉄琅作 その4
彩色 桐掛額 共箱 共板 共布
全体:縦396*横563*厚さ45 面:縦225*横145

このような面を題材にした作品は「なんでも鑑定団」にも下記の作品が出品されていました。
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参考作品 なんでも鑑定団出品作品 2013年4月9日放送
市川銕琅の伎楽面

評価金額:200万円
大変な珍品。おそらく昭和10年前後の作で、非常に緻密な作風が見える。元になった伎楽面の色が剥げたような所までそっくり再現しながら、さらに生命力をもたせている。作者は自らが気に入ったものを選び、音楽的なリズムをもって配置などを構成している。
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市川銕琅にてついては、故東大寺長老の清水公照師をして、「天下の至宝」と言わしめ、 また職人肌の名工とも讃えられています。師・加納銕哉に徹底的な写生と彫技を学びましたが、師・加納銕哉の急逝で、鉄筆に基盤を置き、さらに彫芸は奈良人形や嵯峨人形の影響で、より古典的・華麗さを加えました。

銕琅は、調布尋常小学校を卒業して入門して後、東京市立下谷区第2実業補習夜学校を卒業しています。その後も努力を重ねての教養を磨きましたが、その基盤には師より与えられた漢詩、書、茶などの素養があったと思われます。

25歳の時、初めて作品頒布会を開いて以来、その作品への後援者によって道は開けて行き、後「銕琅会」によるなど広い愛好者の支持を受けました。最初(25歳)の作品頒布会での工賃は慎ましく、師の5分の1から10分の1というものに決め、約20年間そのままでした。

多くは注文品であったため、骨董市場には出回っていませんでしたが、愛好家には高く評価されていました。現在は代替わりで、相続処分が多くその結果骨董市場に多数出回り始めましたが、衰えない人気のためか値崩れはしていません。銕琅は大展覧会には出品せず、もっぱら注文品ばかりでした。

その愛好者には、皇族の名も連なっています。また、国領時代の同級生も持っていますが、行方は追えていません。

銕琅晩年には、「寿老人」、「翁」、「福の神」などを彫っていることは、注目に値します。銕琅は、1935年(昭和10)に紫斑病を患い、その上仕事で無理をしたため耳が不自由になり、外界との音を絶ってより彫刻に集中されたということです。至難の中に彫られたものには、不思議な笑みがあります。銕琅の“自画像”とも云えると思えます。
「福の神」については下記の作品を本ブログにて紹介しています。
木彫極彩色 狂言福ノ神 市川鉄琅作
極彩色 共箱
幅148*奥行き132*高さ220
極彩色 共箱
幅148*奥行き132*高さ220

彫刻・絵画、特に独特の鉄筆の世界を築く。岡倉天心と古美術の調査をし、また東京美術大学(現・東京芸術大学)の準備教授としてその創設に加わりましたが発足前に、若い友人竹内久一に席を譲り、野に下ります。伝統的・古典的表現を、置物から煎茶具など日常的なものに注ぎました。彫刻で鉄筆を重んじたのは、アイデンティティでした。
市川鉄琅は師・加納鉄哉が復活させた鉄筆彫刻の最後の継承者です。金属茶道具に鉄筆の自由な筆致で花鳥風月を描き、絵画と彫刻を結ぶ技法と評価される。昭和62年(1987)に歿っしており、享年は85才でした。その評価は、師をしのぐとも言われております。当方では下記の作品(投稿済)も所蔵していますが、奈良に工房のあったため、幾度となく法隆寺金堂天蓋を観ていたであろう市川鉄琅が、老朽している天蓋附属鳳凰について、出来た時はこうではなかったという制作意欲を駆り立てられて作ったものと推測されます。
倣法隆寺金堂天蓋附属鳳凰 市川鉄琅作
古色彩色 「南都最勝精舎主 鉄琅模之? 押印 花押」 共箱
台座幅204*奥行262*高さ370

なおこの作品中には彫銘がなく、焼き印のみ(共箱)ですが、これは作品に彫銘を入れることをためらったのでしょう。
楠木彫聖観音菩薩尊像 市川鉄琅作
楠木 金彩色 共箱
幅136*高さ315

当方では他に観音像などの作品を所蔵しており、その出来栄えは他の著名な彫刻家達に引けを取らない出来栄えです。
彩色彫聖観音菩薩尊像 市川鉄琅作
彩色 共箱共布
幅150*高さ400

市川鉄琅は作品を複数製作していますが、彩色まで完全な作品は珍しく、本日紹介した作品についてもありそうでなかなかお目にかかれない作品ですね。
今一度再評価してよい彫刻家の一人ですね。