
先日、歌舞伎座にて観劇の合間に美術品をいろいろと見て回ってのですが、平櫛田中作の「鏡獅子」は見当たりませんでした。前の歌舞伎座にはあったのですが・・・。その平櫛田中作の「鏡獅子」の彩色を担当したのが、平野富山ということはあまりにも有名な話ですね。

平野富山については平櫛田中との関連もあり、また「なんでも鑑定団」にも出品されていますので、ご存知の方は多いと思います。
桃太郎の鬼退治 平野富山作
ガラスケース入
ケース:幅590*奥行550*高さ550 本体:幅340*奥行280*高さ255

息子の三歳の誕生祝、クリスマスプレゼント、お年玉の三つを兼ねた息子への祝いの品のつもりです。生前贈与対象金額以内という算段もあります。

早めのクリスマスツリーに息子は「きれい!」とはしゃいでいます。
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平野富山:明治44(1911)年3月7日、静岡県清水市に生まれる。本名富三。
清水市立江尻高等小学校を卒業して昭和3(1928)年に彫刻家を志して上京、池野哲仙に師事する。同16年より斎藤素巌に師事。翌17年第5回新文展に「女」で初入選。この頃から昭和50年代初めまで「敬吉」の号を用いる。

同18年第6回新文展に「想姿」を出品したのち一時官展への出品がとだえるが、戦後の同24年第5回日展に「若者」を出品以後は一貫して日展に出品を続けた。同31年第12回日展に「若人」を出品して特選となり、同34年第2回新日展出品作「裸婦」で再び特選を受賞。同38年日展会員、同57年同評議員となった。

日展審査員をしばしば務めたほか、同33年より日彫展にも出品を始め、同37年には第58回太平洋展に「習作T」「現」を初出品して文部大臣賞を受け、同年会員に推挙された。団体展出品作は塑像が多く、ブロンズ像を中心に制作したが、彩色木彫も行ない、昭和33年には平櫛田中作「鏡獅子」の彩色を担当。同60年静岡駿府博物館で「平野富山彩色木彫回顧展」が開催された。

裸婦像を得意とし、若く張りのある肉体をなめらかなモデリングでとらえる。ポーズによって「流星」「かたらい」等、自然物や抽象的概念を暗示する甘美な作風を示した。能や舞、女性像、動物をモチーフにした木彫り彫刻作品に日本画に使われる光沢のある顔料を用いて衣装や装飾を描く「彩色木彫」の第一人者として高く評価されています。また、平櫛田中が制作した作品のほとんどの彩色を担当しています。享年78。

*平野は同じモデルの作品を40~50体作ったが、完璧なコンディションで残っているものは少ない。

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「平野は同じモデルの作品を40~50体作ったが、完璧なコンディションで残っているものは少ない。」・・・・、本作品はほぼ完璧なコンディションです。

表情といい、彩色といい、また大きさも大きめでいい作品だと思います。

この彩色を補修できる人がまだ居るのかな? 10年前には思文閣の方が「ひとりだけいる」と仰っていたと記憶していますが・・。

人形は骨董では意外に敬遠されることが多いようです。まず場所をとる、扱いがたいへん、地震などに弱い・・。

ともかく保存がたいへんですね。

平野富山については「なんでも鑑定団」に出品されていますので、そちらを参考にされるといいでしょう。

代表作は下記の作品のようです。平櫛田中の作品のほとんどを彩色しているのも有名です。

完全な状態に保存しておくのが難しいのは、木は乾燥しすぎると割れるし、適度な湿度を保とうとして過度な湿気を与えるとカビが発生するためもあります。

日本のように湿気の高いところではやはりカビが一番の大敵ですね。

適度な湿気で保存していく為には機械的なコンデションが必要のようです。

湿気の高い季節には除湿など・・・。

平野富山については平櫛田中との関連もあり、また「なんでも鑑定団」にも出品されていますので、ご存知の方は多いと思います。
桃太郎の鬼退治 平野富山作
ガラスケース入
ケース:幅590*奥行550*高さ550 本体:幅340*奥行280*高さ255

息子の三歳の誕生祝、クリスマスプレゼント、お年玉の三つを兼ねた息子への祝いの品のつもりです。生前贈与対象金額以内という算段もあります。

早めのクリスマスツリーに息子は「きれい!」とはしゃいでいます。
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平野富山:明治44(1911)年3月7日、静岡県清水市に生まれる。本名富三。
清水市立江尻高等小学校を卒業して昭和3(1928)年に彫刻家を志して上京、池野哲仙に師事する。同16年より斎藤素巌に師事。翌17年第5回新文展に「女」で初入選。この頃から昭和50年代初めまで「敬吉」の号を用いる。

同18年第6回新文展に「想姿」を出品したのち一時官展への出品がとだえるが、戦後の同24年第5回日展に「若者」を出品以後は一貫して日展に出品を続けた。同31年第12回日展に「若人」を出品して特選となり、同34年第2回新日展出品作「裸婦」で再び特選を受賞。同38年日展会員、同57年同評議員となった。

日展審査員をしばしば務めたほか、同33年より日彫展にも出品を始め、同37年には第58回太平洋展に「習作T」「現」を初出品して文部大臣賞を受け、同年会員に推挙された。団体展出品作は塑像が多く、ブロンズ像を中心に制作したが、彩色木彫も行ない、昭和33年には平櫛田中作「鏡獅子」の彩色を担当。同60年静岡駿府博物館で「平野富山彩色木彫回顧展」が開催された。

裸婦像を得意とし、若く張りのある肉体をなめらかなモデリングでとらえる。ポーズによって「流星」「かたらい」等、自然物や抽象的概念を暗示する甘美な作風を示した。能や舞、女性像、動物をモチーフにした木彫り彫刻作品に日本画に使われる光沢のある顔料を用いて衣装や装飾を描く「彩色木彫」の第一人者として高く評価されています。また、平櫛田中が制作した作品のほとんどの彩色を担当しています。享年78。

*平野は同じモデルの作品を40~50体作ったが、完璧なコンディションで残っているものは少ない。

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「平野は同じモデルの作品を40~50体作ったが、完璧なコンディションで残っているものは少ない。」・・・・、本作品はほぼ完璧なコンディションです。

表情といい、彩色といい、また大きさも大きめでいい作品だと思います。

この彩色を補修できる人がまだ居るのかな? 10年前には思文閣の方が「ひとりだけいる」と仰っていたと記憶していますが・・。

人形は骨董では意外に敬遠されることが多いようです。まず場所をとる、扱いがたいへん、地震などに弱い・・。

ともかく保存がたいへんですね。

平野富山については「なんでも鑑定団」に出品されていますので、そちらを参考にされるといいでしょう。

代表作は下記の作品のようです。平櫛田中の作品のほとんどを彩色しているのも有名です。

完全な状態に保存しておくのが難しいのは、木は乾燥しすぎると割れるし、適度な湿度を保とうとして過度な湿気を与えるとカビが発生するためもあります。

日本のように湿気の高いところではやはりカビが一番の大敵ですね。

適度な湿気で保存していく為には機械的なコンデションが必要のようです。

湿気の高い季節には除湿など・・・。