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夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

贋作考 冬景水墨山水図 伝橋本雅邦筆 その7

2013-10-03 05:07:24 | 掛け軸
アンテイーク FUGA1(あんびるやすこ著 角川文庫)を読み終わりました。その中の一節「『自分らしく』生きるのはそう楽なことではない。ときには愛する人や、大切な人にも理解されないときもある。だが、それでも自分の気持ちが変わらなければ、理解されない苦しさを背負って生きてみろ。それが『自分らしく』生きるということだ。」

本日の作品はうまく描かれていますが、橋本雅邦の作品としての「真贋は?」と問われると躊躇する作品です。破棄するのには惜しい出来ですが・・

そもそも橋本雅邦の真作はそんなに多くは市場には存在しないようです。基本的には画集などでその作品が実在するものを証明せきるものしか真作として認めない傾向にあるようです。その高名さゆえ模写を含めて非常に贋作が多いようです。

知り合いの方の屏風や掛け軸を思文閣に買っていただいたことがありました。掲載書籍を探すのにだいぶ苦労しましたが、真贋を証明する掲載書籍があるかないかで価格にだいぶ差があります。

ともかく思文閣もそうですが、売るときに二束三文でしか買い取れないという高慢な態度で美術商は厚顔な振る舞いをします。それを交渉するのにはそれなりの準備や資料がいります。遺産で残された作品を無知なまま売却することは馬鹿をみます。処分する人ほど知識があり、これは高値でしか売らないと言い張るようですが、そうは問屋が卸しません

本作品はあくまでも手元において愉しむ作品でしょう。

冬景水墨山水図 橋本雅邦筆
絹本水墨淡軸装 軸先象牙 前田黙鳳極箱 
全体サイズ:横555*縦1998 画サイズ:横420*縦1138




箱書には「橋本雅邦水墨山水 絹本 條幅」とあり、裏には「明治辛丑(明治34年)暢月(陰暦11月)上中澣黙鳳(前田黙鳳)道人題□保古館」とあり、前田黙鳳が48歳の時の箱書きとされます。

  

橋本雅邦は明治41年に雅邦が亡くなっているので、生前の箱書きとなる?




「克己」の瓢箪印が押印されていますが・・。以前投稿した作品にも同一の印章が押印された作品があり、そちらは真作と判断しました。その他の作品で真作は本ブログには投稿していません。



前田黙鳳の説明

前田 黙鳳(まえだ もくほう):嘉永6年(1853年)3月~ 大正7年(1918年)11月19日)書家。名は圓、字は士方、黙鳳は号で、別号に龍野人がある。


明治から大正時代に活躍した書家で、書道会の発足や会報の発行に尽力し、展覧会の開催や法帖類などの古典資料の普及に努め、近代書道界の発展に大きく貢献した。


作品には古銅器の銘文を臨書したものなど篆書体が多くあり、また六朝風の楷書体も得意とした。嘉永6年(1853年)播州龍野藩士、前田忠作の次男として生まれる。20歳で上京し、明治15年(1882年)京橋南鍋町に自ら書肆鳳文館を開き、清国に渡り金石学や書法を学んだ。しかし、明治21年(1888年)漢学の衰頽に伴い経営が悪化し、鳳文館を廃業した。


その後、書学会を発足し、会報『書鑑』を発行して法帖類を掲載し、古典資料の普及に努めた。明治41年(1908年)には中村不折・土方秦山・杉溪六橋・野村素軒らと健筆会を起こし、六朝書専門研究に取り組み、展覧会も開催した。大正3年(1914年)2月、中村不折・井土霊山共訳の『六朝書道論』が刊行されるが、その巻末付録に「六名家書談」が収録され、黙鳳はその名家の一人として、「書風の側面観」と題した1篇を執筆している。六名家の他の5人は、日下部鳴鶴・中林梧竹・中根半嶺・内藤湖南・犬養木堂であり、犬養木堂は黙鳳の書を見て「天下第一人者」と称賛したという。




橋本雅邦の説明


橋本雅邦:天保6年(1835年)生まれ、明治41年(1908年)没。享年74歳。狩野派画家。狩野芳崖と供に近代日本画の育ての親といわれる。雅邦は江戸木挽町の狩野家内に生まれ、幼名千太郎、のちに長卿と改め、秋園と号す。幕末社会の不安と狩野家の没落と家庭的な困難とで辛酸をなめ、50歳ころになって画名をあらわした。詳細は高名画家ゆえ他の文献を参照としたい。




このような箱書きがあるといってもあくまで参考ということになります。箱書きがあるからかえって怪しいと思う方がいいかもしれません。

出来がいいので改装の注文をしましたが、真作と断定できない作品を改装することは当方としてはほとんどないことです。将来にわたってきちんと管理しておかないと真作(贋作)として市場に出回ることになります。

下記からは改装した写真です。



真作と断定出来ぬものを改装した作品を、ブログで紹介するのも一つの算段からもしれません。



シミは完全には抜けきれませんでした。




シミはやはり早めに処置するのが肝要です。



贋作であろうとなかろうとそれは同じことなのですが・・。



ま~、それなりの表具です。こういう作品を愉しむののも「自分らしく」・・








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