夜噺骨董談義

収集品、自分で作ったもの、見せていただいた品々などを題材に感想談など

忘れ去られた画家 閻魔と地獄太夫図 高橋万年筆 その2

2015-02-08 00:13:36 | 掛け軸
昨夜にテレビ放映されたドラマスペシャル「復讐法廷」は久しぶりに面白いドラマでした。見過ごした方は再放送がきっとあるでしょうから・・。

本日はわが郷里の画家・・、高橋万(萬)年の作品は第二作品目となります。一作品目は下記の作品です。

杜甫 寺崎廣業作模作 高橋万年筆絹本着色軸装 軸先骨 合箱
全体サイズ:縦1880*横650 画サイズ:縦1150*横500

この作品は同じく秋田出身の画家である寺崎廣業の名作「杜甫」を写した作品ですが、贋作ということではなく習作となり、秋田県出身の画家の資料としては貴重な一作です・・・と自分では思っています。

今では秋田県でも高橋万年という画家は知っている方も少ないと思います。作品の出来も凡作も多く出来の良いものを探すのに一苦労です。本日は洒脱で面白い作品です。

閻魔と地獄太夫図 高橋万年筆
紙本水墨淡彩軸装 軸先樹脂 合杉箱
全体サイズ:縦2020*横440 画サイズ:縦1170*横320



落款には「甲子□月 萬年写 押印」とあり、大正13年(1924年)高橋万年が27歳の作です。大正12年の院展入選直後の作品です。油の乗り切ったときの画家の作品は非常に良いものがあります。まだまだ秋田市近郊には高橋万年の作品が眠っているように思われますが・・。



地獄太夫は江戸時代から明治時代にかけては数々の絵師により絵画の題材にもなっています。「閻魔と地獄太夫図」(花猫浮世絵美術館蔵)河鍋暁斎筆は有名ですね。



助べえな閻魔様の作品と思ったら大きな間違いらしい

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地獄太夫:生没年不詳ですが室町時代の遊女で、梅津嘉門景春のむすめで幼名を乙星という。如意山中で賊にとらわれたが、あまりの美貌のため遊女に売られ、泉州堺高須町珠名長者にかかえられた。

現世の不幸は前世の戒行がつたないゆえであるとして、みずから地獄とよび、衣には地獄変相の図を繍り、心には仏名をとなえつつ、口には風流の歌をうたったという。

一休宗純が堺におもむいたとき、「聞きしより見て美しき地獄かな」と歎賞すると、武家の生まれで歌のやり取りにも秀でていた太夫は「生き来る人の落ちざらめやも」と見事に返し、これを機に2人は師弟関係を結んだという。

有名な狂歌「門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし」は、一休が太夫に贈ったものとする説もある。地獄太夫は「我死なば焼くな埋むな野に捨てて 飢えたる犬の腹をこやせよ」という辞世の句を残して若くして亡くなったが、最期を看取った一休は、泉州八木郷の久米田寺に塚を建てて供養したといわれる。

山東京伝の「本朝酔菩提」に描かれており、江戸時代から明治時代にかけては数々の絵師により絵画の題材にもなっている。

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高橋万年:1897-1956 大正~昭和時代の日本画家。明治30年12月21日生まれ。上京して寺崎広業に入門するが,病弱のため郷里の秋田にかえる。大正12年院展に初入選。

秋田の田園風俗を好んで描き,代表作は「野山柴」。昭和31年8月10日死去。58歳。本名は計治。

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地獄の沙汰も金次第、その金次第は閻魔様への貢物か? 否、地獄の沙汰はすべて現世の行い次第というのが大原則・・。地獄太夫は天へ召されたであろうと思いたい。

ドラマスペシャル「復讐法廷」の各人は如何・・・、そして人はかけがいのない人を失ってどうやって生きていく気力を生み出せるのかを改めて考えさせられる。







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