日々是迷走中

まったく同じ名前のブログがあるけど、gooのがあたしの。
自称永遠の八歳。
ただし他称、宇宙人。

18歳

2015-02-27 12:32:17 | 日常
中学生を殺害した犯人と思われる子が逮捕された、とニュースで見て。
18歳の少年だと言っているが。

昨今、18歳で選挙権を持たせる、18歳は大人だ、という意見が出ている。
それなら、18歳で死刑判決、てのも、場合によってはありなんでは?と思う。
そのくらいの凶悪犯罪だ、という自覚が、本当に世に浸透しているものかどうか疑問が出てくる。

もし我が子が、我が生徒が、殺されたとしたら。
何も悪いことをしていないのに、ただ「弱い」というだけで、小突き回されいじくられて、挙句の果てに惨殺されたら。
(あまたの情報から慮るに、ほぼ間違いなく「いじめ」の構図であると判断される。)
弱いものが死に損になっては、絶対にいけない。
犯人を八つ裂きにしたいという気持ちは、誰でも持つものと思うし。
まだ未成年だから、極刑にはならないと踏んで、悪いことをやらかしてる連中が存在しているのも事実だし。
「ただ、見ていただけです」って。それって、共犯ってことなんだよ?
なぜ、止めないの?本物の仲間なら、止めるとこでしょ?そこは。
誰も教えてくれなかったの?

選挙権が与えられるということは、成人と同等とみなしている、ということ、ですよね?
権利や自由には、必ず義務と責任が伴うもの。
えらい方々、どう思われますか?
と、問いたい。





まぁ、ね。そう言ってはみましたけども。
実はあたしは、死刑反対論者です。命より重いものが、世にあろうはずはなく。
人間に、はたして本当に人間が裁けるのか?と。
善悪は世につれうつろうものですし。社会通念は時代により代わるし。
『大悪は、大善に通ず』、とも言うし。
大悪人が、いずれ時を経て大聖人に成長する、とも言われては、いる。
本当に改心すれば、何も世の中のことを知らないままに大人になった人よりも
他者の痛みを知り、己の悪を認識し、改めた人のほうが、より大物になる、とも聞いている。
聞いてはいるが。
救いようの無い悪人も、確かに存在している、という事実。
見極めるのは、人間業では困難を極めようというもの。
見極めできないのなら、なんとかして更生させようと、こちらも命のあらん限りを尽くしてみる。
あれがダメならこれではどうだ?と。きっと、どこかでドンピシャ中るに違いない。
それもまた、同じ世代に生きる我々の務めなのでは?と。

ここだけは、越えてはならない。
その、厳然たる線引きの「指導」が、できていない。浸透していない。
触らぬ神に祟りなし。見て見ぬふりが横行している。
「小さな親切、大きなお世話」って言ってたの、誰だっけ?
笑って済ませられることと、そうでないもの、あるんだよ?
それを、しっかりと教え込む。それが、教育。
ガッコで教える英語や数学などなどが、教育のすべてだと、思うなよ、と。

子供は、社会から育てられるもの。
社会全体が、大いなる反省を強いられている。
親も、教育者も、一般社会人も含めて、なっとらん、の構図。

さりながら、さりながら。言うだけなら簡単なんだけども、さ。
ヒトは、深くて広くて途方も無い存在なものですから。
さながら、ひとりひとりが宇宙を形作っている、ようなもので。
あぁ、隣までの距離の果てしなさよ。

難しいよねぇ。いろんなこと。

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