昨日、家族だけでささやかに母の三回忌をしました。
父と私と妹、弟の4人でお墓に行き、卒塔婆を立て、お花とお線香を手向けてきました。
母は2年前の9月23日、80歳で亡くなりました。
せめて夢の中で、母に逢いたいと思うのに、母は一度も夢に出てきてくれません。
妹は一度、夢にみたというのですが・・・
いつもにこにこ笑っているやさしい母でした。
でも、私はそんな母を反面教師にして生きてきました。
戦後の食糧難の時代、せめて食べ物だけには困らないようにと、農家の長男に嫁いだ母。
舅姑小姑に仕え、自分の自由になる時間もお金を持てず、ただただ家族のために身を粉にして働く母でした。
そんな母を見ながら育った私は、「母のようにはなりたくない」「母とは違う人生を歩む」と決心し、自由気ままな人生を送ってきました。
母は、そんな私をいつも温かく見守っていてくれました。
3人の子を育て上げ、5人の孫も生まれて穏やかな老後の生活を送っていた母でしたが、75歳の時に脳梗塞を発症。左半身の自由を失って車いすの生活になりました。
それから私と妹の介護人生が始まったのです。
往復5時間の道のりを毎週、実家へ通う日々が5年間続きました。
仕事と遠距離介護の両立に疲れ、「いったい、いつまで続くんだろうね」と妹とため息をついていた2年前、母は心筋梗塞に倒れ、あっという間に天国へ旅立って行ってしまいました。
母の介護をしながら、私はまたもや母を反面教師に「どうすれば、最後まで介護されずに自立して生きて、最後はコロリと逝けるだろう」と考え続けました。
そして介護予防の研究を始め、脳血管疾患とロコモティブシンドロームを予防すれば、認知症にならない限り、かなりの確率で要介護になるのを防げることを確信したのです。
自分だけでなく多くの人と一緒に介護予防の活動ができたらと「健康ウォーク+1」の活動と「アンチエイジングのための簡単エクササイズ教室」を始めました。
まだまだ小さな活動ですが、賛同してくれる人が増えて、「いきいきコロリ」を目指す人の輪が広げられたらと夢見ています。