腐れゲー道

プレーしたゲームの感想文を、ダラダラと粘着質に綴ります。

しに

2009年08月20日 01時12分00秒 | ゲーム色々
ドラクエの感想でこれを書き忘れてた。

しに。漢字にすれば死に。
死。死。死。あらゆる生物の最終形態。最終状態と言うべきか。
誰も彼も人も動物も虫もバクテリアも、死ぬ。絶対に死ぬ。
そして死んだ者はそこで終わり。絶対に生き返ったりはしない。
もちろん比類なきドラゴンクエストシリーズにおいても同じだ。
死んだ者は……ええ!?
この世に理不尽数あれど、「しんでしまうとはなさけない」を超える理不尽な叱られ方は存在しまい。
はぁ。


RPGにおけるHP、ヒットポイントは、体力、生命力を表す数値として完全に定着している。
じゃあHPがゼロになる、つまり体力・生命力がゼロになればどうなるのか?
キャラクターは死ぬのである。そこで終わりなのである。
だが、事はテレビゲーム。「そこで終わり」となるとゲームが進まなくなってしまう。
長い冒険、数々の強敵、RPGのキャラに死は付き物。じゃあどうすればいいのか?
答えは簡単、生き返るようにすればいい。

はぁ。
こうして初期のRPGは、キャラが何度も死んでは何度も金や呪文で生き返るという、
冷静に考えれば極めておぞましい世界が展開することになった。
そしてこれは当然、ゲームを忌み嫌うお偉い方々に目をつけられる事となる。
たまに新聞等で「子供達、『死んでも生き返れる』と思ってる割合〇〇%」といった記事があるが、
あれは単に子供の無知を調べているのではない。
「ゲームの悪影響」を取り上げるにはもってこいの題材だから、なのだ。
実際、初期のRPGには、ゲーム否定派に叩かれても仕方ない気持ち悪さがあったと思う。
死んだ人間が教会に金払うだけで生き返るなんて、どんだけ倫理的に狂った世界なんだ。
もちろんそれを現実とゴッチャにするガキはただのアホだと思うが。


だがある時、そんなRPG業界に革命が起きた。
俺の記憶が正しければ、元祖は「FF4」だったと思う。
FF4が生み出した大発明、その名は「せんとうふのう」。
生命体として死んではいないが、戦闘に参加はできない。
HPゼロだからゲーム的には死んでると言えるかもしれないが、
肉体は生きてるので、戦闘参加は不可能でもイベント参加は可能。
「しに」のせいで凄まじく澱んでいたRPGの世界が、一気に晴れ渡ったのである。

今現在考えても「だから?」と思うだろう。
だがこれこそコロンブスの卵という奴で、最初に考えたFF4は本当に偉大だったと俺はマジで思っている。
RPG、いやゲーム業界全体を救った大発明。
その後多くのRPG系ゲームが「せんとうふのう」を取り入れ、不自然さを解消していったのは言うまでも無い。
めでたしめでたし、である。


……なのにあれから20年近く、未だ「しに」を頑なに守っているRPGシリーズが存在する。
はぁ。
正直、分からないのである。なんでこんなのに固執してるんだ?
初期は仕方なかったと思う。そこまで頭が回らなかっただろうし、もしかしたら分かり易くする為に
ストレートな表現を採用したという理由もあったかもしれない。
だが、シリーズはもう20年以上、9作も続いているのだ。
これまでにスタッフから、或いは世間から「しに」の不自然さに対する不満が無かったはずがない。
だのに何故、未だ放置しているんだ? 分からないのである。

かつて、ドラクエ・FFがライバル会社のライバルタイトルだった頃なら、
プライドが邪魔しても仕方なかったかもしれない。
だが今はスクウェアとエニックスは合体した。「せんとうふのう」を借りても何の問題もない。
寧ろ積極的に借りてくるべきだろう。なのに現状は死にまくり、生き返りまくりである。
これが「シリーズの美点でもあるんだ!」と言うなら、まだ話は分かる。
だがそんな事は全くなく、ただただ気色悪い不自然さを醸しているだけだ。
変えるべきであり、変えてもいいのに、変えずに放置し続ける。分からない。


シリーズが進み、シナリオに凝るようになると、弊害はますます広がってきた。
例えばドラクエ5では主人公が死んだ状態で町に入ると、自動的に仲間が教会で復活させる。
主人公が不在だと町の人間との会話が成り立たないからだ。
嫁さん達などはもっと凄まじい。死んでいても、ルドマンの家に入ると復活する。
最早教会も呪文も必要なく、家に入るだけで死んでる人が生き返るのだ。ご覧の有様だよ。
あまりに出鱈目過ぎて眩暈がしそうだ。

逆に、シナリオ上「死ぬ」キャラにも非常に気持ちの悪い不自然さが発生する。
単純な話、そいつを教会に連れて行けばいいやん。金なら俺が払ってやるよ。それで悲しみよさようなら。
ドラクエ9ではエリザという子が死に、町中が哀しみに包まれるというイベントがあるが、
一体何を悲しんでいるんだかさっぱり分からない。教会行けよ。生き返れるんだから。
ドラクエ5でも、死んで時間が経ったパパスはともかく、目の前で死んだマーサは楽勝で生き返れるやん。
あの時点ならザオリク覚えてる仲間もいるし。呪文一発、問題解決。こんな素晴らしい世界はないね。


はぁ。
別に俺は重箱の隅を突付いてるつもりはない。
本気で不自然極まりないと感じ、プレーしてても違和感が付き纏って仕方が無いのである。
何度も言うが解決法ならちゃんとあるのだ。それを採用する時間もたっぷりあるのだ。
だのに何もしてないのだ。一体堀井氏は何を考えているのだろう。さっぱり分からないのである。

EDで一旦別れる際、サンディはとても寂しそうにしていた。
だが主人公が死んだ状態で戦歴画面を開くと「〇〇がカンオケに入ってるから~」と平然としている。
どんだけ死が軽いんだ。もしかしてドラクエはとてつもなく生命を馬鹿にしたシリーズなのか?
ネット上の色んなとこで色んなドラクエⅨ評価を呼んだが、「しに」について言及したものを読んだことがない。
もしかしてンなことにグダグダ言ってる俺が悪いんだろうか。
もう嫌になってきた。吊ってくる。
嘘です。現実じゃ死んだらお終いだし。
まだまだ死にたくないし。嘘です。時々死にたいです。いや常時。いや嘘です。
はぁ。
まぁ仮に現実でザオリクや教会があっても、俺にMPやお布施割いてくれる人は誰もいないわけで。
放置ののちくさったしたいになってボーっとしていて勇者様にぶっ殺されるんだろうなぁ。
んで起き上がり仲間になりたそうにあちらを見るけど拒否されて寂しそうに去っていくの。
はぁ。
そういや仲間のくさったしたいもHPゼロで死ぬしザオリクで生き返るよね。
もう何が何だか。
はぁ……。




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2 コメント

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Unknown (七紫)
2009-08-20 12:23:49
ナマステー

いやードラクエの稚拙さ加減には俺も不満と疑問を抱いていましたよ。
つか、シナリオで誰かが逝ってしまう場面で、「あれ? ザオリクは? 神父さんは?」っていう突っ込みが……

だいたい「死んでしまうとは情けない」って、何様だよ(神父様だy


んまぁ、ドラクエはずっとあのままだと思いますよ、兄貴。
くれぐれも吊りだけは止めてくださいねw
俺、神父様でもないし、ザオリクはおろかザオラルもできないんでw
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Unknown (ota)
2009-08-20 21:56:15
ナマステ。

まぁもしかしたら
「元々の生命力が強くないと生き返れない(病死や老衰死は付加)」
「運命的な死なら生き返れない」
「魔物に殺された場合に限り神の慈悲で特別扱い」
といった裏設定があるのかもしれません。ないでしょうけど。
でもゲーム中で一切説明がないんだから、死は死ですよね。
「しんでしまった」「いきかえった」とハッキリ表示される以上、それ以外の意味には取れません。
今作は主人公の設定上、死者と会話するシーンも非常に多いので、
尚更「死」についてはキッチリと考えて描写してほしかったと思います。

>ザオリクはおろかザオラルもできないんでw
じゃニフラムでひとつ。
「ひかりなかにきえさった!」って消滅ですよ消滅。
生き返る余地すら許さないザラキを越える抹殺呪文ですよパねぇ。
やれやれ。
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