腐れゲー道

プレーしたゲームの感想文を、ダラダラと粘着質に綴ります。

俺と対戦格闘ゲーム

2010年07月27日 00時00分17秒 | ゲーム色々
ここ最近、敬愛する(単なるファン)ウメハラが非常に熱い。
各所のインタビューやら動画やらを渡り歩いていると、体内にウメ成分、格ゲー成分がどんどん補充されていく。
んで、世界的だし、このウメ的ビッグウェーブに乗るしかないと思ったので、個人的な対戦格闘ゲーム観について語ることにする。
……ってこれ、以前どこかで書いたかな? まいいや。
しっかし最初に「格ゲー五神」て言葉考えた奴は天才だな。
未だに単語だけで笑いが込み上げてくる。決して嘲笑ではなく。



格ゲー……対戦格闘ゲームは、我がゲー道上において極めて特殊な存在である。
常に絶やさずやってるし、やるようにしてるし、今や俺とゲーセンを辛うじて繋いでいる唯一のジャンルだし、
対戦相手との最低限のコミュニケーションが必要だし、溜まるストレスが他のゲームと比較にならないし……
などなど、他のジャンルにはない特徴が幾らでもある。

まぁもちろん基本は好きだからやってるんだが、このジャンルは精神的にマイナスな気分にされることも非常に多い。
実際、今はスパⅣをほぼ毎日やってるが、ゲームが肌に合わず、プレー時間の割にハマり度は低い。
スティックをテレビにぶつけて破壊したくなるほどの苛立ちを覚えることなど日常茶飯事だ。
それでもやる。何故なら対戦格闘ゲームだからだ。現状最高環境であるスパⅣを逃すわけにはいかないからだ。
いつもの義務ゲーと言えば確かにそうだが、格ゲーに対する個人的強制力はサターンゲー等よりも遥かに強い。
どんなにしんどくても、イライラしても、格ゲーを止めることは許されない。格ゲーある限り。

何故そこまで言うのか? 俺は、対戦格闘ゲームに惚れ込んでいるからだ。
対戦格闘ゲームを「究極のゲームジャンルのひとつ」だと思っているからだ。
ひとつと言っても、他に究極の域にあると感じるジャンルはない。
つまり格ゲーこそが現状唯一、俺の理想を体現してくれている比類なきゲームジャンルなのだ。
だから何があろうと何を思おうと、俺は格ゲーを見つめ続ける。完全に惚れきってるからな。




では格ゲーの何にそこまで惚れてるのか? ……の前に、前述した「究極のゲーム」とは何だろうか?
人によって答えは違うだろうが、俺は「長く遊べる」の究極、つまり「永遠に(誇張含)遊べるゲーム」だと定義している。

ゲームというものは、質の良し悪しに関係なく、やっていればいずれ飽きる。
如何に世界最高売り上げのソフトでも、発売当時から今まで初代スーパーマリオをやり続けてるプレーヤーはまずいない。
超名作「ゼルダの伝説 時のオカリナ」をずっとやり続けているプレーヤーもいない。
もちろん「時々引っ張り出してプレーする」ことはあるかもしれないが、それは継続プレーとは違う。
またプレーするにしても、そこには回顧と懐古(洒落)の要素が強く、純粋にそのゲームを楽しむとは言い難いだろう。
どんなゲームであっても、やり続けていればいずれ飽きる。飽きればつまらなくなる。つまらなければやらなくなる。
尤もこんなのはいちいち言うまでもない当たり前のことだ。
制作側だって、次々ゲームを買って貰わないと会社が成り立たないんだから、寧ろそこそこで飽きるように作ってあるのだろう。

……が、ゲームを商品でなく作品としてみると、この流れは正直寂しいと俺はずっと思っていた。
何かひとつくらい、飽きずにずっと、それも懐古を絡めず「現役で」楽しみ続けられるゲームがあってもいいのではないか。
ゲームへの接し方がオタ臭くなってきた中坊の頃くらいから、漠然とそんな事を考えるようになった。
あれから随分時間が経ったが、俺から見て「永遠に遊べるゲーム」は格ゲーだけだ。
格ゲーだけは、ひとつのタイトルを10年以上もずっとプレーし続けている。
これは俺だけでなく、他の格ゲープレーヤーにもそういう人は幾らでもいる。
主観でも客観でも答えは出た。格ゲーこそ我が究極のゲーム。
実際、ひとつのタイトルがこんなに長持ちしているジャンルなど他にないのだから。
優れた格ゲーはゲーム業界の歴史に輝く至宝である。マジで。




して、いちゲームジャンルである格ゲーの何が、このジャンルを究極たらしめているのか。
大まかに言って三つあると思っている。テキトーに述べてみよう。


1.対戦

「対戦格闘ゲーム」だから、これはまぁ当たり前だな。ちなみにCPU戦は別枠扱いとする。格ゲーとはあくまで対戦。
この要素は別に格ゲー独自のものでも何でもなく、ゲーム黎明期から、いやテレビゲーム発祥以前からあったものだ。
単純な話、ゲーム、いや遊びなんてのは人間と一緒にやった方が面白いに決まっているのである。
機械が相手なら、その行動にはパターンがあり、基本的にやる事は決まっている。これでは、飽きる。
しかし人間なら思考や経験で様々な動きを取るし、ミスやまぐれなどの予想外の要素も頻発する。
例えゲーム自体がつまらなくても、対人戦であればそれだけで十分盛り上がる。それはもう殆ど反則的なまでの効果がある。
まぁ人間の相手はいつも存在するわけではないので、電源を入れれば常に準備万端の機械にももちろん価値はあるのだが。
対戦格闘ゲームの究極性、永遠性には「対戦」の要素が極めて、いや一番重要である。



2.操作の細やかさ、キャラとの一体感

格ゲーは、ハッキリ言ってかなり複雑なゲームである。
実質の元祖であるストⅡからして、ボタン6つの鬼設定。今考えてもよくこんなのが売れたものだ。
始まりの時点で複雑だった格ゲーは、ジャンルが進化するにつれますますその方向性を強め、
新たな技やらキャラやらシステムやら、今や一通りなぞるだけでも大変な規模にまで肥大化した。
この複雑さは格ゲーの大きな問題でもあるのだが……反面、大きな特長も生み出した。
それが操作の細やかさ、キャラの動きの多彩さだ。
覚えることが多く、やれる事が多い。非常に複雑で大変だが、身に付ければ逆にこれほどキャラと一体感を持てるゲームはない。
もちろん出せる技はあらかじめ決まっているが、キャラに慣れれば慣れるほど、
まるでキャラと同化したかのようにスムーズかつ快適に操作できるようになる。
これほどゲームキャラを細かく操作でき、強い一体感を得られるジャンルは他にない。
複雑さは確かに問題だが、それを補って操作性に余りある魅力を持つのが格ゲーなのである。



3.比類ない気持ち良さ

これは口では説明し難いが……格ゲーほど「ゲームの気持ち良さ」を追求し実現しているジャンルはないと思う。
キャラの繰り出す技のモーション、スピード、ボイス、効果音、ダメージ量、やられ側のモーションなどは、
優れた格ゲーでは例外なく非常に高品質なものが揃っている。
例を挙げると「昇龍拳を根元で当てる快感」だ。
ストⅡのリュウらの必殺技・昇龍拳は、ゲーム業界で最も有名な必殺技と言えるだろう。
難しいコマンドとそれに見合う効果、圧倒的なカッコ良さなど、永遠の必殺技と呼ぶに相応しい存在だ。
まぁ昇龍拳も徐々に弱体化し、今や無敵時間も怪しくなってるが……ここはストⅡ後期頃の昇龍拳とする。
昇龍拳は判定の強い技なので、飛び上がった状態で当てることも難しくはないが、それでは快感が薄い。まして相打ちなど論外だ。
やはり昇龍拳と言えば「根元当て」であろう。敵の飛び込みを引き付けて、完全無敵の根元で迎撃する。これぞ昇龍拳。
根元で当てると無敵だから100%勝てるし、ダメージは大きいし、あまり意味はないが特別ボーナスもあったはず。
しかしそれより何より、気持ち良い。
気のせいかもしれないがホンの一瞬だけゲームがスローになり、リュウの横顔が確認できるアングルが映し出される。
「しょお~りゅうけん!」の「お~」辺りが響き渡り、一瞬の後、リュウは天高く飛び、哀れな敵はぶっ飛ばされる。
ああ、格ゲー。格ゲー。最高格ゲー。大好き格ゲー。この一瞬の為の格ゲー。

こういった格ゲーにおける比類なき快感の数々は、全て製作者の優れたセンスによって生み出されている。
どうすればプレーヤーが気持ち良いのか……プロのセンスと積み重ねた経験により生み出されたデジタル奇跡。
言葉で上手く説明できないだけに、世間一般でもあまり褒められることがない、言わば影の仕事。
しかし俺は、優れた格ゲーにおける「気持ち良さの表現」は驚愕するほど高レベルで安定していると思う。担当者は神だ。
格ゲーをプレーしていると、明らかに「手元に帰ってくる感触」がある。前述の昇龍拳根元当てなどは好例だろう。
だが普通に考えれば、プレーヤーが触っているのはあくまでレバーとボタンだけであり、感触を言うならそれらのプラスチックしかない。
なのに格ゲーで会心のプレーを決めた時に確実に存在する、あの快感、あの感触。
凄いとしか言い様がない。素晴らしいとしか表現できない。

また、これはハードの性能とはあまり関係がない。何故ならハードより人のセンスが重要な部分だからだ。
だからこそ10年以上も前の化石ハードで動く格ゲーが今も現役で稼動し、現役でプレーヤーに快感を与え続けているのである。
何度繰り返しても飽きない操作。俺が知る限り、これを実現しているのは格ゲーだけである。







以上、対戦、複雑だが自在な操作、気持ち良さ。
この三つの要素が見事に絡み合い、格ゲーを究極のゲームに仕立て上げている。
この中のどれが欠けても格ゲーの永遠性は成立しない。
対戦でなければすぐ飽きるし、操作が単純なら奥深さが失われるし、快感がなければプレーが長期間続かない。
奥深い操作で人間相手の対戦をし、技を当てると気持ち良い。だから飽きない。だからいつまでも遊べる。
んで個人的にもう一つ、格ゲーに対して非常に面白い特徴を見出している。
三大要素のこれが含まれることで、格ゲーの魅力が何倍にも増しているのだ。


・不平等な真剣勝負

勝負事というものは、お互い平等なルールでやるのが絶対条件だ。
野球なら9対9でお互い9回の攻撃、サッカーなら11対11、将棋なら同じ布陣の駒で戦う。当たり前の話だ。
まぁ先攻後攻程度の差は生まれるが、徹底して平等を目指しているのは間違いない。でなければ真剣勝負が成り立たない。
将棋で格上が駒落ちして戦うハンデ戦なんてものもあるが、ハンデがある時点でそれは真剣勝負ではない。
お互いが同じ条件だからこそ真剣勝負が成り立つ。本当に言うまでもなく当たり前の話である。

……それを考えると、格ゲーというもののなんと特殊なことか。
リュウとケン、ザンギとガイル、京と庵、サスカッチとバレッタ、どれもキャラ性能が全然違う。
技は違うし動きは違うし速さは違うし当たり判定は違うし、全く平等ではない。
その結果当然ながらキャラの強弱が発生し、強キャラ弱キャラの格差がどの格ゲーでも問題になる。
こんな不平等な条件で戦えと言うのか! こんな前提で真剣勝負なんかやれるわけあるか!

……やっている。格ゲープレーヤーは程度の差はあれ皆真剣にプレーしている。
他の対戦ゲームでも不平等条件で戦うものは腐るほどあるが、格ゲーほど真剣勝負をしているジャンルはないだろう。
キャラ差は絶対に存在し、不平等極まりない。キャラ差を言い訳にするのも決して間違いではないと思う。
しかし、キャラ差は言い訳にはならない。何故ならそれが格ゲーだからだ。それを受け入れて、かつ真剣にやるのが格ゲーだからだ。

この「不平等な真剣勝負」をやっている世界は、ゲームはもちろん現実の競技でも他にないと思う。
そして俺はこの不平等さこそが格ゲーの面白さであり、更には比類ない美しさであると強く思っている。
ぶっちゃけ、平等な条件で勝負がしたけりゃ、将棋なりチェスなりをやればいいのである。
キャラ差がある状態でそれでも真面目に対戦するからこそ、格ゲーは面白いのである。


余談になるが、この考えのせいで俺は格ゲーにおける同キャラ戦が嫌いである。大嫌いである。
何というか、やってて非常に白けるのである。「それ格ゲーでやる意味あるの?」と思ってしまう。
もちろんキャラ選択なんて人の自由だから、俺と違うキャラを選べなんて口が裂けても言えないが。はぁ。

格ゲーを「ゲームと言うより対戦ツール」と表現する人は多いが、不平等の真剣勝負という要素がある以上、
このジャンルはやはりとても「ゲーム」であると思う。大前提はあくまで遊びであり、娯楽なのだ。
しかし遊びに止まらない底知れぬ魅力と、真剣勝負をしたくなる奥深さがある。
いやはや、本当に、対戦格闘ゲーム、究極のゲームである。





はぁ。なんかテンション落ちた。
こんなことウダウダ書き殴るほど俺は格ゲーに惚れてるんだが、プレーヤーとしての力量はハッキリ言ってうんこだ。
長年プレーしていながら一度も頭角を表したことがないし、進歩していないわけではないだろうが、成長が極めて遅い。
……もっと正確に言えば、そこまでの情熱もない、のかもしれない。
俺は結局格ゲーもゲームの一部、ゲームジャンルに一つだと思っている。特別視はしているが、あくまでゲームの一環だと。
だから格ゲーに絞ってガッツリやり込むということをしない。正確にはできない。練習も対戦も、すぐ疲れる。
ただでさえ人間性能が低いのに、これでは強くなれるわけがない。だがこれが、今の俺の現実というものだ。
プレーヤーとしての熱さが全然足りていない。入力の下手さや反応速度より遥かに大きな問題だ。

だがもちろん、俺だって強くなりたいとは思っている。負ければ悔しくて悔しくてたまらない。向上心がある。
この、敗者はただ惨めで虚しいだけの世界で、一応長年やり続けてるだけで、少なくとも精神的にはタフだと思う。
まだまだ「強者」にはなれないし、なるだけの努力をする気も正直ない。
けどのんびりじっくりそこを目指すという意志は確固として持っている。
粘着質なのは俺の長所でもある。惨めな姿を笑われながらでも、いつかきっとやってやるぜ。
……だといいなぁ。



90年代の一大ブーム終了以降、格ゲーを取り巻く環境は厳しく、特にゲーセン対戦文化の衰退は目を覆いたくなるほどだ。
一方で家庭用ネット対戦は技術が進歩し、非常に充実した環境が実現されている。
今もスパⅣは対戦相手が入れ食いレベルで存在する。大した人気だと思う。
スパⅣだけでなくKOFやブレイブルーもあるし、アルカナハート3が発表され、
現行機版ストⅢ3rdにとうとうストリートファイター対鉄拳まで決定した。
家庭用格ゲーに関しては、現状割と明るい材料が揃っている。取り敢えず数年前までのお先真っ暗な状況は打開されたと言える。
このままゲーセンが衰退し、家庭用ネット対戦が今後の格ゲーの主軸になるのだろうか。
個人的にはもちろんゲーセンも継続してほしいが、現実的には物凄く難しいとも思う。
結局俺自身にやれるのは、一般プレーヤーとして常にレバーを握り続けることだけだな。
全ては格ゲーの神が決めることさ。ウメハラが。いやそれは違うぞ。はぁ。



軽薄短小(悪口ではない)な娯楽が好まれるこの時代、複雑で深い格ゲーがあまり受けないのはある意味当然だと思う。
難しいしボコられれば理不尽だし、グラフィック等の面では時代遅れだし……格ゲーに初心者を遠ざける要素は多い。
しかしやればやるだけ面白くなる底知れぬ魅力があるこのジャンルがこのまま衰退していくのはあまりにも勿体無い。
さすがにかつてのブームの再来とは言わないが、それでもかつて誰もがストⅡに熱狂した時代が間違いなくあったんだから、
何とか未知の、特に若いプレーヤーにこのジャンルの面白さを知ってもらいたい。
比類なき対戦格闘ゲーム文化がこれからも続いていくことを願う。強く強く願う。

 
      『HERE COMES A NEW CHALLENGER!!』


おおっと、とか言ってる間に新たな対戦相手が乱入してきたぜ。
ふひひひ、この瞬間は何度体験しても興奮するねぇ。テンション上がるねぇ。
さぁ対戦を始めましょうや。相手が……貴方がいなけりゃ格ゲーはやれないんだから。
もちろん俺もやり続けますよ。何があってもレバーは離さん。格ゲー大好きだからな。

んじゃま、御託はこの辺で。取り敢えず……


 


       『ROUND 1 FIGHT!!』









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Unknown (ゲーニッツ)
2010-07-28 01:50:05
ここですか?
返信する
Unknown (ota)
2010-07-28 01:59:17
おわかれです



いやごめんやっぱまた来て下さい。
KOF96ゲーニッツは、ここですかとおわかれですは超性能なのに
全然減らない通常投げやわんひょう(かまいたちの必殺技)もあったりと
あのゲームの調整不足が丸見えで結構笑えます。
KOFにも13で復帰してみようかなぁ……
返信する
格ゲーとコンプレックス (tanaka)
2014-03-21 00:07:13
こんばんわ、度々すみませんです。otaさんにとって格ゲーは別格の存在みたいですね。求道者的なスタンスでプレーされている印象を受けます。
ストレスが多くても絶対に辞められない・・となると、もうライフワークの域に達してますね。そこまで惚れ込めるジャンルがあるというのは率直に羨ましいです。

対戦格ゲーこそは『究極』のゲーム、というotaさんのご見解は僕にも理解できました。確かにマリオもゼルダもいつかは飽きるでしょうし、MMO(僕はやりませんが)でさえ、時が経って後続作品が出ればいずれそのタイトルは終了するでしょうからね(そもそもMMOは別物という感じがしますし)。
そう考えると、「飽きないゲーム」「永遠に遊べる一本」といったら、やはりotaさんが言うように対人対戦モノしか思いつきません。
まあスポーツゲーの類、例えば「みんなのゴルフ」シリーズの対戦プレーなどは、個人的には永遠に飽きないような気もしますが、じゃあ「みんゴル」の対戦を365日できるかといえば、途中で嫌になると思います。適度に休日が欲しくなるかと。
しかし、対戦格闘なら無理なく毎日やり続ける事が可能な気がするのです。
僕は特に格ゲー>ゴルフ(スポーツ)ゲーという訳ではなく、両方同じ位の「好き」だと思うのですが、不思議と格ゲーの方が持続力は強いのです。何故なんだろうな・・?と不思議に思ってましたが、otaさんの論を読んで何となく答えが見えてきた気がします。

その理由がまず、「2・操作の細やかさ・キャラとの一体感」なのですね。スト2の頃からボタンが6つもありましたからね。確かに人体を動かすゲームとして、キャラとの一体感や出来る事の多さは他のジャンルとは比較にならないかもしれません。よく考えると凄いことですね。

次に「3・比類ない気持ち良さ」ですが、これもあるでしょうね。例として昇竜拳を挙げておられましたが、判ります。僕はスト2だとバルログ使いでしたので、リュウ・ケンは嗜む程度でしたが、それでも昇竜拳は好きでした。振り切った拳を当てても快感は薄いんですよね。やっぱり根元当てじゃないとw
そして、昇竜拳(大)でフィニッシュすると、スローモーションになる演出で、まるでリュウが自分に酔ってるように見えたものです(僕だけですかねw)。
おっしゃるように、こういうのは制作者のセンスによる処が大きいと思います。ハードの性能じゃないですよね。
練りこまれた「気持ち良さの表現」、明らかに「手元に帰ってくる感触」。確かに、これらは格ゲーだけの特有要素かもしれませんね。
ぶっちゃけ、いまSFCの初代スト2を友人とやったとしても、十分現役で盛り上がれそうです(多分w)。時の淘汰に最も抗えるジャンルはやはり格ゲーのような気がしますね。

最後に、「異キャラ対戦が普通」という、真剣勝負にしては異例の?仕様について触れられてましたが、これも考えてみれば深いテーマですね。格差・相性が当然のように存在するのに、相手が強キャラを使っても特に卑怯とは思いませんからね。不思議です。
同キャラ対戦は、あくまで技量だけを比べるなら意味があるでしょうけど、浪漫がないですよね。
まあ実際の格闘技でもクローン人間同士の対戦はないわけで、異キャラ対戦こそが王道だと自分も思います。
違いがあるからこそ面白いのですね。

ちなみに僕は、格ゲー人としては真の底辺ですw
スト2シリーズ、ヴァンパイアシリーズ、バーチャロンシリーズ、ガンダムSEED連ザシリーズと渡り歩きましたが、結局一度も『中級者』のレベルまで行けませんでしたww

理由としては、「コンボ及びキャンセル技」をいつまでも体得出来なかったから。だと思ってます。
2Dの時代はコンボをどうしても繋げられず、自分には生まれつきリズム感が欠落しているのだ、と限界を感じました(言い訳ですねw)。
その後バーチャロンが出て衝撃を受け、次は3Dロボット路線に河岸を変えました。今度こそ強くなると誓ってゲーセンで万単位のコインを注ぎ込みましたが、やはりダメでした。
相手がちょっと強くなると、キャンセル技を駆使しなければ攻撃を当てることさえ難しく、近接攻撃を当てるにはキャンセル技を使ったフェイント合戦に勝たなければなりません。僕にはとても無理でしたね。

そんな流れで対戦格ゲーに挫折し、いまは万年初心者としてたまにCPUと戦っております。

僕に言わせれば、中級者以上の格ゲープレイヤーは皆ニュータイプでありコーディネーターです。高級な人類です。とても同じ人間とは思えないw立派な特技です。

otaさんは謙遜されてますが、その腕前は、当然僕とは全然次元の違うレベルなのでしょう。比べる事自体が失礼ですねw実際はかなりの技量をお持ちなのでは。
おそらく格ゲーの強さというのは100段階くらいあるんじゃないでしょうか。僕は95級くらいでしょうw

でも、なぜ格ゲーで負けるとあんなにもムカつくのでしょうか?自分のような底辺でさえ、もしボロ負けした直後に相手から、「チミはまだまだ修行が足りないね~w」なんて言われたら、反射的に手が出そうです(本当に喧嘩になりかけたこともありますしね)。それだけ自分自身が投影されるんですかねぇ。

締めの言葉が見つかりませんが、ひどい長さになりました。すみません。今後も格ゲー頑張って下さいね!

あ、討鬼伝は買えました。新品4280円と思ったより高かったですが、かなり面白いです!







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Unknown (ota)
2014-03-21 17:27:43
どうもです。
格ゲーは……格ゲーは……正直「悪い男に惚れちまった」という気持ちです。惚れてはいますが、奴の人格は最悪です。
こういうとツンデレネタのように思われるかもしれませんが、本心です。俺は格ゲーに呪われてるんじゃないかとたまに真剣に思います。
まぁ確実なのは、今後も格ゲーからは逃れられないということで。先日PS3用の新スティック買っちまったり……あはは……はぁ。

>「飽きないゲーム」「永遠に遊べる一本」といったら、やはりotaさんが言うように対人対戦モノしか思いつきません
ぶっちゃけ対人戦の要素が絡めば、ジャンケンですら「永遠のゲーム」になり得ます。そういう意味では反則要素ですw
格ゲーはそれにゲームとしての品質や特殊性がガッチリ噛み合っているから、俺にとって特別なジャンルとなっています。
もちろん世間には、みんゴルやウイイレ、マリオカート等がこれに該当する人もいるでしょうね。
あーでも、バージョンアップはどうなのかな。例えば今も「ウイイレは9こそ至高!」と旧作で遊び続けているコミュニティはあるのかな……?

「格ゲーの気持ち良さ」ってあまり語られていない気がするんですよね。他のゲームでも応用が効く分野なのに。
俺は「NINJA GAIDEN」にも惚れていますが、この作品が傑作となったのは、制作チームが「デッドオアアライブ」という格ゲーを
先に手掛けていたからじゃないかと思っています。あの操作性は格ゲーの下地あってこそだと。
ゲームがどんなに進化しても、こういうアナログな感覚は非常に大事なわけで、その点格ゲーは凄いレベルで気持ち良さを実現していると思います。
例に出しました昇龍拳の根元当てや、KOF草薙京の大蛇薙のブバババ感(意味不明)……本当に素晴らしい。
20年前の気持ち良さが今も十分伝わってくるのですから、これは永続性有りと言っていいと思います。
……ま、この麻薬のせいで呪いが解けないとも言えるのですが。うああああ……。

>「異キャラ対戦が普通」という、真剣勝負にしては異例の?仕様について触れられてましたが、これも考えてみれば深いテーマですね
1対1の対人戦、かつ基本真剣勝負という括りであれば、こんな不平等を前提にしている競技は他にはないのではないでしょうか。
だからこそ面白いのですが、だからこそ延々俺の胃と精神を殺し続けてくれる要素なわけで……うううう。
でも色んなキャラ、色んな価値観がぶつかるからこそ格ゲーは面白いと思っています。ゲーム内であれば全てが許される。
強キャラが一種の「悪役」になり、それを弱キャラが倒すのがまたドラマチックですからね。……無論、逆のケースが遥かに多いですがw

>ちなみに僕は、格ゲー人としては真の底辺ですw
いやいや、それでいいと思いますよ、マジで。俺がウダウダ語る格ゲーの魅力は、あくまで「深入りするなら」です。
そしてそれが正しいわけじゃないと自分で思っています。本当に格ゲー最高と感じているのなら、それこそ布教活動でもしますからねw
最近思うのですが、「90年代の格ゲーブーム」の頃と、「ブーム終了~現在」では、使用されてるゲームは同じでも、現象としては全然違うのではないかと。
おおまかに言えば前者がライト、後者がコア、それも超コア。「20年続いてる」といっても、内実が激変しています。
ライト時代はジャンルの新鮮さやグラフィックの美麗さで、俺を含むライト層を虜にしていました。もちろんコア層もいましたけど。
ある意味ではブームの頃は「対戦」は求められていなかったのです。これはかなり暴論ですが、少なくとも深い対戦は寧ろ例外だった。
で、ブーム終了後、残ったコア層とライトから転向した俺みたいなのが残ったわけですが……これはもう、やってる事が濃すぎますw
「フレームのことを勉強しろ」とか言われる世界ですよ。1フレームって1/60秒ですよ。頭おかしいでしょこんなの。
好きな様に触り、それが楽しかったら続け、飽きたら止める。実に自然で、強さ上手さなんて二の次です。どうでもいい。
下手に格ゲーに深入りすれば……適性がなければ、俺みたいになりますよ……はぁ。
俺は格ゲープレーヤーの反面教師としては良い教材かもしれんな……。

>あ、討鬼伝は買えました。新品4280円と思ったより高かったですが、かなり面白いです!
おおう……ありがとうございます、と言っていいのかな。随分高いですね。VITA版は値崩れ気味なんですが、PSP版は高値安定か……。
蜘蛛の大型鬼・ミフチに久々に挑んだら、非常に楽に倒せて、自分の成長を実感出来ました。はっはっは。
……実際は武器が強くなっただけですけどねw ああ気楽に強さを実感できるゲーム、素晴らしい……。
返信する
Unknown (Unknown)
2016-09-01 20:32:09
最近、格ゲーより対戦アクションの方が人気のように思われますが、これについてはどうお考えでしょうか?
少なくとも、対戦アクションの場合は格ゲー以上に、差し合いを要求される場面が多く感じられます。
返信する
Unknown (ota)
2016-09-02 00:04:24
うーん、「対戦アクション」というと、ちょっと幅が広すぎますねw FPSとかも含まれそうですし。
現代の格ゲーより人気のある対戦ゲームは幾らでもあると思います。と言うか格ゲー人気がもう風前の灯です。
差し合いは、格ゲーのゲームスピードが上がったことにより、要素として薄くなりましたね。
今そういうのを出しても「地味」だから受けないんでしょうね。2択ばっかやってると、時々差し合いが恋しくなることはあります。

それでも俺は格ゲー派ですね、やはり。今更新しいことをやる気にならんというのもありますがw
つっても、最近あんましやれてないんですけどね。勝てないからなぁ……上手くなれないからなぁ……。
返信する

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