日本の漬物のルーツは奈良時代の木簡に記されているとか?
奈良時代というのは似ている様であり違う様であり、さっぱり分からない。
この時代「素麺」はあったのだ!だが「うどん」も「なまむぎ」も無ければ「蕎麦」も無い。
この木簡にあるのは「粕漬け」であるそうな?基本的にして、素朴、そのものの「糠漬け」が無いのである。
大体にして、そうなのだが「海老芋と棒鱈の煮付け」は江戸時代の「新発明」なのである。
沢庵漬けは1500年代明より渡来した「最新の野菜」=「大根」を使った「塩漬け+燻製」である。
糠漬けは結構新しいモノの様である。
毎度思うのは、例えば野菜文化のヌーベルバーグは5000年前のエジプトで、ピラミッドは油菜科の野菜文化の集中した所で、それから言うと東洋は野菜には劣っていたのである。
実際、日本に栽培野菜が入ったのは1500年以降で、実は植民地主義の外国のお陰もあるのである。
野菜の多くは江戸時代から入ってきており、それ以外のモノを探すのは難しいグライだ。
結構昔からあるのは牛蒡と里芋(厳密な意味では違うね・芋類は野菜じゃない)ぐらいで、それ以外は無い。キャベツもレタスも人参(CARROT)も玉葱も法蓮草も無い。
ああ、小松菜は家光の頃にはあったんだけどね?(命名は徳川家光です)
カリフラワーもブロッコリーも無いのだ。胡瓜も江戸時代に入ってからのモノで、毎度思うのだが江戸時代初期にみそ汁はあったのだが、その身は何なのだろう?と思うのだ。浅蜊、蜆、蛤は3万年前からあったから、それが優先だろう。と言うか江戸時代豊富な具材として「蜆」があったから江戸時代のみそ汁は結構蜆が多かったのではないだろうか?と思う。
それ以外でも長崎では「カツオ菜」と言う地元野菜がある。こういうモノが昔あったのだろうが、それは今無くなっていて分からない。
分かるモノとして百合根は長崎の各地(福山雅治の住んでいた所も)一杯生えており、これは「栽培種だな!」と思う次第である。また曼珠沙華の根は「毒物:サポニン」があるのに、食用にしていた、サポニンは「水和性」であるので、水に晒すと毒気が抜けて喰えるのである。
道端に曼珠沙華がやたらと生えていたら、それは「栽培種」であり、喰っていたのだよ!
思うに、我々は何を喰ってきたのか?と言う事すら忘れている馬鹿なのである。ツワやフキを喰うのは分かるしミナなどを食うのもそうである。
また、ある意味「立派な料理」が横行しているのが問題である。
秘密のケンミンショー何かを見ると、食生活の切実さを思い知らされる。
だが、一方で「お前ら馬鹿だろう!」と言う食生活も見える。切実さの最たるモノは「スベリヒユ」などの地元の地性野菜なのだが「馬鹿だろう!」は「砂糖大量ぶっこみ料理」である。
サバイバルに凝っていた時代があって、そのサバイバルでの一番の問題は水、次は食い物である。その中で「甘味」は「かなり贅沢なものである」と言う事を思い知らされた。
例えば、筑前煮に大豆が入っている。それは何故か?多分に当時の甘味を得る方法としての「大豆を煮る」と言う事があるのである。あとは「甘草」を煮るグライである。
ちなみに甘草は食べすぎると腹痛を起こすので注意!
これら野菜は往々にして中国何かから出ておらず、往々にして西洋からの渡来モノなのである。中国発祥のモノといえば蕎麦(チベット・ネパール)里芋(メコン川の上流)胡麻(モンゴル)多分胡瓜(モンゴルの近く?)と言う頼りない根拠で話をしております。
思うに、虫姦の火病は「野菜不足が原因?」と確信したいものです。
チェシャを食っている?根菜を食え!馬鹿!根の生えていない野菜ばかり食うから根の生えた思考が出来ないんだよ!
言われてみれば虫姦は「牛蒡」何かの「しっかりした根菜」を食っていない。料理にもない。(カクテキとかあったのかも?いいんだ、気分なんだから!)
この漬物文化は、実に日本の野菜食を支えるモノとして延々と続いているのだが、往々にして塩漬けか干物なのである。
日本人がホッとした食事を得るのは、生魚の焼き物か、吸い物である。それ以外は固くて塩辛くて煙臭い食い物を食うしかなかったのだ。
それに米ぬかの滑らかな漬物が入ってきて、豊かさがわずかながら確実に増えて行った。
これらは全て降らない人間の降らない思いつきでアルが、重要な一歩である。
今の生活も同じである。降らない思いつきの降らない一歩が世界を変える可能性は0ではない。
漬物を見て思う。どうして、こんなもの考えたのか?その理由が切実であればあるほど、愛おしく思える。