歪曲される情報を見る。

日本を馬鹿(馬鹿文系)が叩く、だが、それはどの程度正しいのか?非常に疑問である。

「経済合理性」と言う「滅びの呪文」を吹聴したのが「愚か物体」の骨頂。ふざけた諭吉の国家破壊のススメ

2014年04月16日 22時08分39秒 | 日記

京都の千枚漬けの職人の作業を見て「経済的に非合理的だ」とほざくのが「慶応」と言う「現役大学生の逮捕者が一番多い犯罪者予備校」の捏造物体「ふざけた諭吉」である。

漬物の為の聖護院かぶらを削る人を「機械にしたら合理的だ」とは「その存在自身が一番の非合理の典型=竹中平蔵」であろう。

我々「現象を主観を排して観測する存在」からすれば、例えば京都のネームバリューによる価値の維持は「経済合理所為を排した、職人の仕事と言う価値」であり、その存在を維持する価格こそ「適正価格」であり、競争原理も、価値基準の積み重ねも後でつけた価値が吹聴される遥か数百年も前から実現させてきた現実である。

つまり「人が生きるには、その価値を認めなければならない」と言う、相互の生存権の相互認識こそが価格決定の基礎だったと思うのである。

その証拠は銭の亡者ユダヤが一番証明している。

ユダヤは、論理的矛盾となってきている。

ユダヤは合理的・先進的ユダヤ国家を捏造しようとしているのだが、最初から問題が露となっている。それは何か?

民主主義を合理的の最たるものとしているのだが、それをやるとユダヤ政権は明日にも倒れる。

理由はユダヤの間のゲスのカスの銭の亡者は、その頭数が減少しているのである。海外からユダヤのゴキブリよ来い!と幾ら呼びかけても来ない。来てもすぐに根絶やしになる。

何故か?経済合理性である。無論池上ハゲ嘘彰は、何もほざかないだろう。

経済合理性の一番の成果を得ている筈のユダヤがやる事。利口利口の限界を追う所は、核家族の小さな家族の山だ。利口な世界は、実に細かい事に左右されるから、それが先ず優先される。結果、数は減る一方である。

これは「性欲」を「合理性」で押し固めるのが正しいというものである。確かに性欲に任せて数を増やすのは本能的で「慶応の下等」と言う事となるだろう。だが最終的に種の保存が生物の目的とすれば、この「慶応の利口」は「種の滅亡の最短距離」である。

その「馬鹿みたいな利口」の結果、先進国の「老齢化」と「活力の無さ」を実現化している。

様々な池上ハゲ嘘彰の寝言は、前提として「それまで当たり前だった事が正しい」と言うことを前提としている。

今日「痴呆老人の行方不明が1万人」とあって「無理して探さない」と言うのが昔だっただろうが、今は探している。

行方不明のままの200人は確実に死んで居よう。無慈悲な様だが、これが事実だろう。色々な「今後の課題」と呼ばれているモノは「どうしようもない」と「諦めるもの」だったのだが、何か「凄い社会なんだ」とほざくマスゴミの左巻きウンコは言いたい様だが、それなら科学技術を分かれ!馬鹿!

私は歳を喰ったら、その必ず身につけるモノにGPSのシステムを入れてLANの通信システムに割り込ませると言うのが技術的な限度だろう。

だがウチの婆ぁもそうだが「持って出ろ」と言って「必ず持って出た試しが無い」のである。

ここでモノを言うのは「先端技術の無駄遣い」である。つまり「必ず持って出ろ!」を1つだから忘れるのであって、心を鬼にして(別に改めてって訳じゃないけど)「これも持て!あれも持て!」って叩き込むと10のうち3つは持つようになる。そして毎日持って出なかった7つの事を「ネチネチ」と文句を言うのである。

別に嫌味で言っている訳じゃない。幼い頃の「出て行ったら、そのまんま!何時帰るか分からない」ってのが「歳を喰って、永遠の旅」に変わっただけなのだ。居所を分かる術が無ければ、そのまま居なくなるのだから、それを引っ張り戻すには「荒療治の1ダースは必要だ」とNHKは結論づけられないようである。

それが結果論として「公共の福祉」に資するとは思わないらしい。

相手の合理性なんて「鼻っから相手にしていない」と言う「軍隊流」である。体に覚えさせる。認知症という頭がパーになる病の場合、当てになるのは体に染み込ませた「嫌でも身につくくせ」である。

こんな論評はNHKでは出来ない、だから「行儀の良い行き倒れ」を量産するのだ。

ウチの爺は、死ぬまで全力投球で本当に傍迷惑だった。

それは「俺はここに居るぞ!」と死ぬまで言っていたのだ。

迷惑極まりない。だから「放浪死」はしなかった。

だが思う「放浪死」して欲しかった…。本当に面倒な爺だった。

あ~あぁあ!結局、NHKの問題は「面倒な爺に教育する」が一番だったのである。

この「元も子もない」ような考え方こそ根本的な解決策である!

いや別の問題の発生点か?

いずれも爺!婆ぁ!長生きしすぎだ!お前らの長生きはコストがかかる!放浪死するなら「ボケちゃったんだけど生きていてもいいですか?」と中島みゆきの新曲のような事を言うとダメなら、とっとと死ぬのも手だ。おむつを履いた爺を見せるのは、教育上良くない。元気でなくて、精神が変ロ長調なら、それは「終わってもいいですか?」の時期ではないか?看護疲れで根絶やしをしたいのでしょうか?

なるほど日本人とユダヤ人の起源は同じかも?

そんな事はありません。だからビートたけしの「じいさん殺して儲けましょう」はある意味正しかったのだろう?(疑問形)

いやある意味正しかったのだろう!(確信の感嘆符)

って事で、馬鹿みたいに子を生む馬鹿女を助ける方がマシと思います。何しろ人手を作っているのだから。

馬鹿女万歳!いや、私は相手にされないけど…。でも日本の為だし…。

ああ、悲しみの三点符…。


さて、格調は下がるのですが「美の壷」を見て感心する。「漬物」

2014年04月16日 22時06分30秒 | 日記

日本の漬物のルーツは奈良時代の木簡に記されているとか?

奈良時代というのは似ている様であり違う様であり、さっぱり分からない。

この時代「素麺」はあったのだ!だが「うどん」も「なまむぎ」も無ければ「蕎麦」も無い。

この木にあるのは「粕漬け」であるそうな?基本的にして、素朴、そのものの「糠漬け」が無いのである。

大体にして、そうなのだが「海老芋と棒鱈の煮付け」は江戸時代の「新発明」なのである。

沢庵漬けは1500年代明より渡来した「最新の野菜」=「大根」を使った「塩漬け+燻製」である。

糠漬けは結構新しいモノの様である。

毎度思うのは、例えば野菜文化のヌーベルバーグは5000年前のエジプトで、ピラミッドは油菜科の野菜文化の集中した所で、それから言うと東洋は野菜には劣っていたのである。

実際、日本に栽培野菜が入ったのは1500年以降で、実は植民地主義の外国のお陰もあるのである。

野菜の多くは江戸時代から入ってきており、それ以外のモノを探すのは難しいグライだ。

結構昔からあるのは牛蒡と里芋(厳密な意味では違うね・芋類は野菜じゃない)ぐらいで、それ以外は無い。キャベツもレタスも人参(CARROT)も玉葱も法蓮草も無い。

ああ、小松菜は家光の頃にはあったんだけどね?(命名は徳川家光です)

カリフラワーもブロッコリーも無いのだ。胡瓜も江戸時代に入ってからのモノで、毎度思うのだが江戸時代初期にみそ汁はあったのだが、その身は何なのだろう?と思うのだ。浅蜊、蜆、蛤は3万年前からあったから、それが優先だろう。と言うか江戸時代豊富な具材として「蜆」があったから江戸時代のみそ汁は結構蜆が多かったのではないだろうか?と思う。

それ以外でも長崎では「カツオ菜」と言う地元野菜がある。こういうモノが昔あったのだろうが、それは今無くなっていて分からない。

分かるモノとして百合根は長崎の各地(福山雅治の住んでいた所も)一杯生えており、これは「栽培種だな!」と思う次第である。また曼珠沙華の根は「毒物:サポニン」があるのに、食用にしていた、サポニンは「水和性」であるので、水に晒すと毒気が抜けて喰えるのである。

道端に曼珠沙華がやたらと生えていたら、それは「栽培種」であり、喰っていたのだよ!

思うに、我々は何を喰ってきたのか?と言う事すら忘れている馬鹿なのである。ツワやフキを喰うのは分かるしミナなどを食うのもそうである。

また、ある意味「立派な料理」が横行しているのが問題である。

秘密のケンミンショー何かを見ると、食生活の切実さを思い知らされる。

だが、一方で「お前ら馬鹿だろう!」と言う食生活も見える。切実さの最たるモノは「スベリヒユ」などの地元の地性野菜なのだが「馬鹿だろう!」は「砂糖大量ぶっこみ料理」である。

サバイバルに凝っていた時代があって、そのサバイバルでの一番の問題は水、次は食い物である。その中で「甘味」は「かなり贅沢なものである」と言う事を思い知らされた。

例えば、筑前煮に大豆が入っている。それは何故か?多分に当時の甘味を得る方法としての「大豆を煮る」と言う事があるのである。あとは「甘草」を煮るグライである。

ちなみに甘草は食べすぎると腹痛を起こすので注意!

これら野菜は往々にして中国何かから出ておらず、往々にして西洋からの渡来モノなのである。中国発祥のモノといえば蕎麦(チベット・ネパール)里芋(メコン川の上流)胡麻(モンゴル)多分胡瓜(モンゴルの近く?)と言う頼りない根拠で話をしております。

思うに、虫姦の火病は「野菜不足が原因?」と確信したいものです。

チェシャを食っている?根菜を食え!馬鹿!根の生えていない野菜ばかり食うから根の生えた思考が出来ないんだよ!

言われてみれば虫姦は「牛蒡」何かの「しっかりした根菜」を食っていない。料理にもない。(カクテキとかあったのかも?いいんだ、気分なんだから!)

この漬物文化は、実に日本の野菜食を支えるモノとして延々と続いているのだが、往々にして塩漬けか干物なのである。

日本人がホッとした食事を得るのは、生魚の焼き物か、吸い物である。それ以外は固くて塩辛くて煙臭い食い物を食うしかなかったのだ。

それに米ぬかの滑らかな漬物が入ってきて、豊かさがわずかながら確実に増えて行った。

これらは全て降らない人間の降らない思いつきでアルが、重要な一歩である。

今の生活も同じである。降らない思いつきの降らない一歩が世界を変える可能性は0ではない。
漬物を見て思う。どうして、こんなもの考えたのか?その理由が切実であればあるほど、愛おしく思える。


理研は利権と呼び直した方が良いのですね!些細副センターチョーの屁みたいな言い訳を見て。

2014年04月16日 21時28分09秒 | 日記

STAP細胞発見の会見の姿を見て「なるほど」と思った。

この些細(笹井とも書くのだろうが)吹くセンターチョーの専門は「錬金術」なのだろう。

STAP細胞の論文は、ハッキリ言って「査読」が無かったと言うのが事実である。

また、画像の捏造だが、もっときちんと分析した結果を出してもらいたいものだ。

多分、画素の変更とか適当なモーファリングとかあるだろうさ。色素は1色とか色環を変にいじると違和感が出るので、絶対値と配分を固定して色環を回転させたのではないか?とも思える。

スーパーインポーズも数値化できる時代だ。それを使って類似性の比較が出来る。

先ずもって一番頂けないのは。電気泳動の画像を張り替える事だ。これをオリジナル消去でやるとは到底「科学者の常識」を疑わざるを得ない。

まず小保方の売女は、電気泳動などのクロマトグラフィーの問題は知っているのだろうか?と思う。

クロマトグラフィーは指数的反応をするので、その反応を計るためにマーカーを常に要する。例えばガスクロマトグラフィー(古い)紫外線蛍光X線分析(科捜研の女の必須アイテム)でも間カーは不可欠である。このマーカーの反応ピークを使って計測をするのである。紫外線蛍光X線分析ほど「定量性」は無いが、電気泳動でもある程度の定量性を確保するために絶対に同じ画面にマーカーの端っこでも入れないと、それは「分析」ではないのである。

落第生も知っている事実で、これを盾に取られて「抗弁」は「無為そのもの」である。

正直、今日の些細吹くセンターチョーは「逃げ口上」そのもので、私が居て突っ込めば、明日些細君の自殺体が見られるでしょう。

私は「これを正しい」と主張するの?だったら、これまでのあなたの「業績と称するもの」も「同じ程度」と言うことですよね?

それと2ヶ月関わって、何も知らないとは「その発言自身が実態の無い嘘」の可能性が高い。「まず視力の検査から入りましょうか?ランドルト氏環が何処まで見えますか?」

これを「実証性のある、再現性のある科学的論述と称するのですか?論述の意味から問いましょうか?」とくれば、馬鹿がバカ面を丸出しにするだろう。

最後に「今一番の問題は、小保方をリーダーとして権限を与え、その根拠を問わず、結論だけで目を引きそうなモノを錬金術の種としたと言う問題です!」

「人選の目もなく、実験の真偽を問う目もなく、合理的判断能力もなく、一体何をもって、その合理性の俎上に上げたか合理性のかけらも見えない」

最後に「この時代にも『化学』が『錬金術』と同様に見られていたものと同じ如何わしさが浮かぶ、当世『錬金術』は『生物学もどき』の中に極めて先鋭的に存在が確認されるのみである」

どうでしょう?この文章。使いまわしをしても文句言いません。多分連中は、この手の文章が怖いでしょう。

そして最後に、小保方、些細、その他STAP関係者。身分を捨ててまでの空騒ぎ。

おろかさがおもしろかった。

後は望みの死に方で滅びよ。この詐欺師ども!