初めて聞きましたが、無線は齧った事があるので、楽しく拝見しました。
最初東京タワーで拒否された様ですが、当時VHFぐらいで、奥村さんがやっていたのはUHFぐらいの周波数なので、門前払いは理不尽でしょう。
拒否した奴は電波工学を知っているのか?と思いましたね。
自動車電話と言う事ですが、自動車電話は、我々からすると「西部警察」の「石原裕次郎」が「オープンカーでかけるもの」と言う鉄板があって「ウンウンそうそう」と皆が納得するもので、これはDNAに刻まれています。
日本の携帯電話は、最初自動車電話の亜流と言うか映画「マルサの女」で使われたので全国区を得たようなものですが、自動車電話も携帯電話も東京近郊しか出来ませんでした。
田舎モノは冷や飯を食うのです。実際、九州の福岡以外では、使い捨て電話も極めて少ないのです。今はもう無いですね。
奥村カーブは「日陰研究所」と言われていたかもしれないけど、この頃、アマチュア無線なんかも、何処まで遠く届くかが一番の問題でVHFまではスポラディックE層(電離層)があると遠くに届きますがUHFは直接派しか届かず、昭和40年ぐらいは、殆ど使い物になっていませんでした。
奥村カーブにもあった430MHzは10MHzぐらいアマチュア無線に割り当てられていましたが水晶を使った通信で、Icomの無線機とか八重洲無線なんかは当時6chとか8chとかStardardは2chとかの奴がありましたね。
NTTはどうだったか知らないのですが144MHzは結構立派になっていたのですが430MHzは開拓時代でした。変調は当然FMでした。もう75kHzの変調帯域とか全然気にしないでやれるって言うか、その位無いと、水晶でも変動幅が大きくて通信できないものでした。
半年かけての試験だそうですが、この頃、クーラーもないし、冬のヒーターもさほど効かないので、それはそれは大変だったでしょう。
この時期、オートマ+エアコン付きはアメリカ製しかなく、その中でも有名なのがウルトラセブンの中のポインター号の元となった車です。因みにオートマはスイッチボタン方式でした。
この当時は東京ですらも舗装が無い所も多く、サスペンションは板バネ(リーフスプリング)で、頑丈ですが、田舎道では当時のシートの出来もあって、痔の原因にも数えられました。
また測定はペンレコーダーで、この扱いも校正(キャリブレーション)が大変で、番組中では指摘が無かったのですが、送信機も、受信機も、ペンレコーダーも一々校正という同じ感度、出力での測定が出来るか?と言う事で、良くもまぁ測定ばっかり6ヶ月、測定結果の分析に4年間もやっていたものだと思います。
それに、この頃は無線関係は真空管が主力で自動車電話も真空管を使っていたでしょう。何しろレーダーも長い間真空管が優勢でした。F4ファントムも電装系は殆どが真空管、誘導ミサイルも真空管ばかりでした。真空管はヒーターで電極を加熱するので安定性が悪いので、一定の性能を維持するのが大変だったでしょう。
多分、まとめる時に、色々合わない結果も出たと思う。
あのグラフは人体の音響感度グラフに似ている。単に、測定をして、データを出したと思われる向きも居るだろうが、実は電波工学的な理論の計算と照らし合わせたものでしょう。
単なる測定だけで、世界的賞は取れないのですよ。
番組の中では900MHzのグラフが出ていましたが、それは後の800MHzの通信帯の近くですね。この900MHz付近はSHF(UHFの上の通信帯)で、昔は、電子レンジのの加熱用サイクロトロン(これも一種の真空管です)を使って、角ばった雨どいの様な電磁ホーンや20素子ぐらいのループアンテナ(通称恐竜の骨)を使ったりしていました。
昔のCQハムラジオと言う雑誌には「SHFの虫」と呼ばれる有名人の特集がありました。
実際、私もペンレコーダーのデータを読んだ口ですが、今百円ショップで売っている3倍の接眼ルーペ(虫眼鏡じゃない奴)で目盛りを読むのですが、感熱紙に残された数値は適当で、読むのが大変でした。
だから、私の時代にはADコンバーターでのコンピューター計測が出来たので、それを使っている奴が羨ましかった。
ペンレコーダーのデータを読むのは本当に時間がかかり、測定した時間の数倍はかかります。
測定の6ヶ月の方がある意味楽だったでしょう。解析の四年では本当に目を悪くしたでしょう。それと首も痛いんだ…。肩も凝るし。
ペンレコーダーと言うとカッコよいかもしれないけど、最終的に目で読んで、数字を集計用紙に書くのです。そして、それが点となり、それを繋げて出来たのが「奥村カーブ」なのです。
それは本当に大変で、多分関係者は、解析が終わった後巻かれている紙を見るのも嫌だったでしょう。私自身がそうでした。
だから今のADコンバーターが簡単に買えて、それを簡単に使えるRaspberryPIの様なPICの様なキットが出来たのに、今の人は何をやっているのでしょうか?
実はロボットもADコンバーター無しには、制御が出来ません。
ですが多分奥村氏はADコンバーターの事は知らないでしょうしシステムも組めないでしょう。
今となっては、あの奥村氏の苦労は殆ど無いのです。昭和五十年代にトランジスタ化(昔は完全固体化と呼んでいました)が進み、それからあっと言う間にIC化、デジタル化が進み電波の世界はPLLシンセサイザーの時代となりました。
パナソニックはクーガーシリーズのラジオが、PLLシンセサイザーのプロシードに変わりました。ソニーもIFC-6700が出ました。ある意味、奥村氏は、きついけど幸せな時代だったのでしょう。
その後はDSPの時代となりプレイステーションやセガサターンの技術の基礎となり、デジタルフィルターの時代となり、そのフィルター技術で高度変調、高度復調が可能となりました。
セルラー方式の蜂の巣の通信システムは、基地局同士の境界越えの時の混信を防ぐ為のものでした。しかし今は混信自身が全く無くなりました。
奥村さんもFSK変調に位相変調まで入った光ファイバー通信変調には目を丸くするでしょう。
奥村カーブの計測した時代、同じ電波の周波数帯域を使っても数倍の情報が遅れるのが今の時代です。
思えば、私も、その感覚が分かると言う意味で、非常に記憶を刺激しました。この感覚を共有できる意味で、奥村氏の偉業を実によく分かります。
ただ一つ残念なのは、その技術が色あせて、糞馬鹿文科系大学出が糞臭い口先を突っ込んでくる時代となりました。
ソニーの社員も馬鹿ソニックの社員もほぼ全部が、奥村カーブの作られた苦労や、色々な難題を理解する能力も無ければ、その知能も無い。意志も無い。
手っ取り早い小金を適当な嘘で捏造する時代となったのです。
奥村氏を取り上げた日テレ、笑って許してのチームの慧眼は恐れ入りますが、その周りには、それを腐らす連中ばかりです。
そう言う嫌なものもリアルタイムで私は見ています。それを分かるのは何と言うべきか?と思います。
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