おせっちゃんの今日2

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夏休み・宿題の思い出

2023-09-04 13:56:37 | 思い出

言わずもがなのことだけれども、今年の夏は記録的猛暑であった。でも季節は巡る、今日は少し秋めいた。エアコンではなく自然の風が入っている。あまりの暑さに、蝉も耐えられないのか法師ゼミの声が少ないような気がする。さあ、本格的な爽やかな秋は何時訪れるだろう。
はやくこいこい!!。

近くの公園も、朝早くラジオ体操は行われているようだが、私が主婦仕事を終えてウオーキングに出かける頃には、ワンちゃんも夏時間に切り替えて、もう帰った後。ほとんど無人の公園だ。
そんな寂しい公園を、帽子をかぶり、日傘をさしてぐるぐる2周、快適季節より短めで切り上げて帰宅する日々でした。

学校では新学期が始まった。地域の小学校では、学期初めは「挨拶週間」が行われる。町会にも声がかかり、登校してくる、くろんぼさんたちに大きな声で挨拶の手本を掛け合う。昔に比べれば、くろんぼさんの黒が薄いようだけれど。

夏休みの宿題と言えばこんなことが思い浮かぶ。5年生だったかな、「運針」が課せられた。手ぬぐい(タオルではなく平織りの晒のような布を2枚重ねて、50センチばかりの幅いっぱいに、一日一本縫っていくのである。休みの終わりには42本(かな?)の糸の線が並ぶはず。

休み始めに、うかうかと縫うことをしなかった。何々、3本できなかっただけだから、次三日間2本ずつやれば直ぐ追い付くさ。それが3本から5本、5本から10本、一寸サボっただけというのに、みるみる到底遅れを小学生が取り戻せる数ではなくなった。一日1本が、出来ない子に、3本5本は無理というもの。とうとう明日は新学期になった。

さて針は進まず、時間ばかりが過ぎる。夕ご飯後もかかりっきり。半分もできないところで、いつもなら子どもは寝る時間である。

母はお針はできる人だった。自分の着物、父の浴衣など洗い張りをしては縫い直してしゃきっとしたものを着せていた。
きっと母が助けてくれるだろう。といつ言ってくれるかと期待しても期待しても母は自分の仕事をしているだけ。目線を見合わせることもなく、見事な動きで塗っている。

さあ、翌日宿題提出はどう切り抜けたかまったく覚えがない。想像するに、大半のものができていなくて、結局先生から叱られなかったのかもしれない。

でもこの時の母の態度、姿勢、特に叱りもしないけれど、決して助け舟は出さない親としての見識、見事だったと、自分が子育てをする時に幾度も思い出したことではあった。

ず~とず~っと時がたって、このことを二人で話したことがあった。
「あんたは、良く熱を出す弱い子で、病気になると、病気をこの上なく嫌うおと~ちゃんが、機嫌がわるくなるんよ。そしてお前が気を付けんからいけん。と私が叱られるんよ。寝不足は大敵、でも途中でやめさせるのもと、私も苦しんでいたんよ」とのことであった。