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織内将男の山旅の記録

若かりし頃よりの山旅の記録です・・!!

大菩薩峠・紀行(5) 「雲峰寺」

2012年01月24日 | 大菩薩峠紀行
.
希望に満ちて旅行することは、目的地にたどり着くことより良いことである。」(スティーブンソン)





大菩薩峠・紀行(5) 「雲峰寺」 .






雲峰寺の山門へ続く参道石段



民宿・松葉荘の明けの朝、朝日が窓から差し込んできて、余りの明るさに目が覚めた。
窓を開けると、先ず山間の清冽な空気に触れる。 
山並みが朝日の映えて鮮やかである。
正面やや右手の山間に大きなお堂が見えている。 
雲峰寺」(うんぼうじ)と言うらしい。


上空は真っ青で、一点の雲もなく、今日一日の好天を約束してくれている。
ハヤル気持ちで朝食もソコソコに、早々に出立する。
左手に雲峰寺の参道階段が上方に延びている。
何でも、武田信玄ゆかりの寺院らしく、帰りがけ時間があれば是非立寄りたい。


この「雲峰寺」というお寺はただの田舎の寺院ではなく、かなりの由緒があるらしい。
歴史的にも奈良の高層・行基が開祖し、1200年以上の年代を経ているという。 

しかも甲州・武田家にも所縁があり、そして何より中里介山がこの寺に滞在して名作「大菩薩峠」を執筆したことでも知られている。 
更に、小生・田舎の檀家寺と当の雲峰寺は本山が同一の京都・臨済宗妙心寺に属しているのである。



こんな訳で古刹・雲峰寺について、チョッと述べたい。

参道より200段近い高い石段を上ると本堂、書院、庫裏が建つ。
室町期(戦国期)に武田信虎によって再建され、武田家戦勝祈願寺として歴代領主の帰依が厚く、本堂、仁王門及び庫裡はすべて重要文化財に指定されている。
山号は「裂石山雲峰寺」で、開創は天平17年(745)というから奈良朝時代でありかなり古い。
日本の歴史上初めて朝廷から僧としては最高位の大僧正の位を授かった「行基」(668~749年)が成したといわれている。


次回、更に「雲峰寺




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大菩薩峠・紀行(4) 「山の宿」

2012年01月21日 | 大菩薩峠紀行
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広く旅をし、方々を遍歴したものだけが、知識という名の富を有している。」(詩の神・オーディン)




大菩薩峠・紀行(4) 「山の宿」    .





民宿。松葉荘




一杯機嫌で夜の新宿駅を発ち、中央本線の「塩山駅」へ着いたのが夜中の11時半も回っていた。
降るような星空の下、駅周辺をブラついて宿屋らしきものを物色したが、結局、見つからなかった。

駅前で最終列車の客待ちをしていたタクシーを見つけて、
すいません、 明日、大菩薩へ登る予定で宿を探しているんですけど、どうしても見つからないで、何とかなりませんか・・?」
ホウ、大菩薩ネ・・、駅の周りじゃなかんべ・・!、 チョット待って、裂石辺りを当って見るべ

気さくな運ちゃんは駅前の公衆電話で、心当たりの宿屋を当っているようである。


ニコニコしながら戻ってきて、

「ワダシの知り合いの宿屋が承知してくれたよ、 サア、乗ンなせ」

「裂石は大菩薩の登山基地ですよね、丁度、良かったです。 因みに距離的にはどのぐらいありますかね・・?」
「そうよな、10キロ位じゃなかろうかね」

塩山の駅を発って、小さな町並みを過ぎると、たちまち山間に入ってきた。

月明かりに照らされて、山並みがかろうじて覗える。

「運転手さん、ぼんやりと山並みが見えているけど、大菩薩はどの辺りですかね・・?」

「おう、あの正面に見えているのがそうだよ。 そうよな、裂石からだといろんなコースがあるようだが、峠まで2時間半、頂上の大菩薩嶺までは3時間もみたらいいんじゃないかの」

話好きな運ちゃんと世間話をしながら、たちまち目的地に着いた。

こちらの宿屋だよ」 といって、案内されたのは程よく道路に面している宿であった。
安くない余計なお宝を運ちゃんに払い、改めて礼をいって別れた。



宿の玄関を叩く。

宿屋は「民宿・松葉荘」といって、都合の良いことに登山道(林道)に沿って建っていた。
既に前もって連絡がついていたので、真夜中(夜中の零時)というのに宿の主人であろうお上さんがニコニコ顔で迎えてくれた。

部屋に案内されながら、
明日の朝食はどうしましょうか・・?、6時からやっておりますが

「そうですか、是非お願いします」


次回、「雲峰寺




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大菩薩峠・紀行(3) 「出発;新宿・のんべ横丁」

2012年01月20日 | 大菩薩峠紀行
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広く旅をし、方々を遍歴したものだけが、知識という名の富を有している。」(詩の神・オーディン)




 大菩薩峠・紀行(3) 「出発;新宿・のんべ横丁」   .



山歩きを始めた頃,500円札の絵柄にもなった大菩薩嶺に登りたいと思っていた。
そして、中里介山の長編時代小説・机龍之介の[大菩薩峠]はあまりにも有名であるのもその理由の一つかもしれない。 
しかし、小説は読んだことがない。


その大菩薩へ向かったのは、定刻までの仕事を終えてからであった。
多少時間があるので、新宿西口駅裏のお馴染みの薄汚れた食堂街で軽く一杯と夕食を摂った。

因みに、駅裏の食堂街というのは、新宿西口駅裏のバラックのような小さなカウンターバー形式の飲食街・・?で、破れた赤提灯が並ぶ「のんべ横丁」である。 
別名を、「ゴキブリ横丁」だの「ションベン横丁」だのと、いろいろ異名のあるところであるが、「思い出横丁」というのが、取り敢えずの本名らしい。 
とにかく財布の軽い呑み助の溜まり場である。


新宿というと歌舞伎町、四・二丁目、ゴールデン街と遊び所は多々あるが、ポケットが軽い身分の小生などは新宿へ遊びに行って用を済ました後は、概ね、こちらの西口駅裏あたりで一杯やるのが気兼ねが無くて気分が楽なのである。


ちあきなおみ」の唄に、

♪♪・・・新宿駅裏 「紅とんぼ」想いだしてね 時々は・・♪♪、・・

というのがあったが、まるでその歌そのままのような世界が、新宿西口の駅裏には今でも存在しているのである。 



次回、「塩山




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2012年01月19日 | 大菩薩峠紀行
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広く旅をし、方々を遍歴したものだけが、知識という名の富を有している。」(詩の神・オーディン)




  大菩薩峠・紀行(2) 「峠の概念」(2)  .




『 人が旅をして越し方と行く末の中道に立ち、越し方を懐かしみ行く末を祈るため手向けし、祈願する。その邂逅は、縹渺たる旅情である。 山が有り上が有り下が有る。 その中間 に立つ地点を「峠」という。そこは、煩悩と菩提の境であり、不化衆生の聖賢の位置である。 そして、正しく天上と地獄の人間の立場である。 人生は旅であり、旅は無限である。 峠というのが有って、そこに回顧があり低徊(思案に耽りつつ行ったり戻ったりすること)があり、中心があり、要軸がある。 峠に立って、人生は始めて荒涼索漠から救われる。 』

大菩薩峠の「介山荘」より(昭和45年:1970年3月)


「峠」という一文字で、これだけの意味合いも持つのも驚嘆に値するのである。
中里介山の小説でも有名である「大菩薩峠」へ出かけることにした。

大菩薩峠は江戸時代まで現在の青梅街道が無かった頃は、旧青梅街道として武蔵と甲斐を結ぶ重要な峠として利用されていた。
旧街道は武蔵国と甲斐国を結び大菩薩峠はその最大の難所でもあったという。

甲斐の国から大菩薩峠(今の賽の河原あたり)を越えると、街道は丹波山道と小菅道に分かれる。
峠は米や塩、木材などの物資の輸送と交換の拠点として利用されていたという。(詳細後報)

そして、青梅街道は明治初め頃の道路改修により、柳沢峠を通る新ルートに変更されており現在に至っている。


次回、「大菩薩へ



祝い・・!!  平泉地方が世界文化遺産に決定。(2011年6月) 
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大菩薩峠・紀行(1) 「峠の概念」

2012年01月18日 | 大菩薩峠紀行
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 大菩薩峠・紀行(1) 「峠の概念」   .  



先ず、何より「」と言う字は国字だそうである。 


国字というのは、その国の国語を表記するための文字、その国で公式に採用されている文字のことで、舶来の漢字ではなく日本で作られた純粋の字・「和字」のことである。


そういえば、「峠」という字を和英辞典で引いても、単純に「pass」或いは「a mountain pass」(山を越える)としか出てこない。 
逆に、passを日本語に訳すと「通過する」,「通り越す」、〈人や物のそば;間)を「通り過ぎる」等しか記されてなく、「峠」と言う字は見当たらない。

」という本来の字は、英語には存在しないのである。



「峠」と言う文字は見るからにスッキリしていて、判り易い文字である。
更に、読みの響きもいい。

峠はトウゲと読むが、昔はタウゲと読んでいたらしい。


「タウゲ」はタムケ(手向)が転じたものといい、如何にも意味有りげである。 
それは旅の人、通行者が旅の安全を叶えるために道祖神に「手向け」をするからといわれる。
尤もで、「手向け」とは手を向ける、手を合わせる、合掌するという日本人特有の自然神から根ざした感性なものである。

通常用語の「手向ける」(最近は余り聞かれない・・?)は、神仏や死者の霊に物をささげる。 旅立つ人にはなむけをする、 等の意味をもつ。


更に、「手向け」には以下のような意味合いがある。

手向けの神」:旅人が道中の安全を祈るために幣物《へいもつ:神に奉献する物の総称》を手向ける峠などの神、

手向け草」:旅人が行路の安全を祈るために神に供える物。 布・糸・木綿など。
万葉集1:「白波の 浜松が枝の 手向け草 幾代までにか 年の経ぬらむ」

手向け花」:神仏・死者の霊などにたむける花

手向山」:道路や坂の神などに幣帛《へいはく・幣物に同じ》をたむけることにきまっている所、又それのある山

他に「手向け歌」、「手向け水」などなど・・、神聖な呼び名がある。


峠は、一般には山の坂路を登りつめた所、山の上りから下りにかかる境の意味である。


次回、「峠の概念」(2)




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