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織内将男の山旅の記録

若かりし頃よりの山旅の記録です・・!!

南ア・仙丈ヶ岳紀行(17) 「南アルプス・北部」

2011年10月24日 | 南ア・仙丈ヶ岳
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南ア・仙丈ヶ岳紀行(17) 「南アルプス・北部」 ,





南アルプスの名峰:北岳
1969年の登山記録; 
http://www.geocities.jp/orimasa2001/kitadake1969.htm 


ところで、南アルプスの山深く入り込んだ戸台川はこの地へ到って一筋の渓流となり、更にこれより急峻な谷に入り込む赤河原沢と仙丈ヶ岳から流れ落ちる藪沢の二つに分かれる。
この戸台川は小黒川と合流、更に三峰川、天竜川となって駿河湾に注ぐ。
因みに、意外と知られていないのが、天竜川の源流は日本の臍と言われる諏訪湖からなのである。

一方、鋸岳の反対側、つまり甲州側を源流するのが釜無川で、やがて富士川となり駿河湾へ流れ込む。 何れも“暴れ天竜”、“富士の急流”(日本三大急流)といわれる代表的な急流で知られる一級河川である。

静岡県にはもう一つの大河・大井川もあり、富士川、天竜川と三つの大きな河が流れている。
何れも、南アルプスを源流とする一級河川であり、我が国でも有数の急流大河川である。

諏訪湖あたりを頂点としてこの天竜・富士両川を辺として描かれる鋭角な三角形、その中の一帯が急峻な3000メートル峰を並べた南アルプスと呼ばれている山岳地帯である。

筆頭はご存知、富士に続いて第二位の海抜を持った北岳の3192メートルである。
この北岳の南には間ノ岳があり、稜線はここで東西に枝分かれし南に連なっていく。 二つの稜線の狭間に涌きでた一滴が、やがて駿河湾に注ぐ大井川の流れを造りだしているのである。


静岡県と長野・山梨両県との県境、即ち白峰三山の中央に聳える間ノ岳が南へ二重稜線に別れていて、細長い三角形が突き出た形となっている。 この二重稜線が駿・信・甲の国境をなし、この地から大井川の源流部・分水嶺が引かれているのである。

そして、この大井川源流部両岸の高い壁こそが東西に約40km、南北120kmの大山脈が横たわる南アルプスなのである。
この間、南アルプスは鉄道は勿論、公道、一般道として横断できる道もほとんど無い。
(一般車両が走れないが林道は結構造られている)

 
南アルプスの峰々は、アプローチによって北部、中部、南部の三域に分けることが可能である。 (一方、南アルプスは山姿・アプローチの面などから北部と南部の二域に分かれるとも言われる)。

南北の境界は「三伏峠」とも言われるが、北部には日本で二番目に高い山、北岳、優雅な山姿の仙丈ヶ岳、花崗岩質の甲斐駒ヶ岳&鋸岳など、それぞれが個性的且つ独立した山や峰の様を見せる。
ここに無雪期であれば、多くの登山者が訪れにぎ賑わうのである。

そして、南部は南アルプスの主稜線である赤石山脈が連なる。
これぞ南アルプス・・! 』といえる標高3000mクラスでありながら重厚な山々が、連々と続いていている。

南アルプスは森林限界が2500mと高いので、2000m級の無数の山々が、頂から裾までを深い森林で覆われており、南アルプス深南部と言われる地帯には深い原生林も残る。
アプローチの不便さから、入山する者も少ないエリアであり、逆に言えば、そんな森や山の中を何日も彷徨(さまよえる)えるのである。

まずは北部.甲府を起点とする山梨県から登る南アルプスは、花崗岩と白ザレの甲斐駒ヶ岳、続いて、富士に次ぐ海抜点をもつ北岳、その南には間ノ岳、農鳥岳が連なり白峰三山の名がある。 
北岳を取り巻く野呂川に隔てられた西側には、3つのカールを有した仙丈ヶ岳があって、
甲斐駒とともに北沢峠より登山道が整備されている。
又、伊那側からもバスが運行されていて、西からアプローチする登山者に利用されている。

甲州側、伊那側共に南アルプススーパー林道の恩恵でアプローチに優れ、北沢峠の直下までバスが通じていて首都圏からでも1泊から2泊で出かけることが可能な地域である。

南アルプス北部のこれらのピークは、高さも景観も量感も魅力たっぷりであり、かつ手軽に登れる3000メートル近い高峰であって人気も高くシーズン中は常に混みあっているのである。


次回、「アルプスの植生






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南ア・仙丈ヶ岳紀行(16) 「八丁坂」

2011年10月20日 | 南ア・仙丈ヶ岳
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 南ア・仙丈ヶ岳紀行(16) 「八丁坂」  .




八丁坂;いかにも急斜面を予想させる「八丁坂」の案内板


小生は、これからが本番である。
暫く、暖をとりたいところだが、雨に濡れて、やや心持が悪い状態であったので、一息ついたところで、早々に出立することにする。
指導員の管理人さんに一言、姿が見えないが聞こえるように挨拶を交わして丹渓山荘を出た。


【 注記;昭和50年代の中ごろに完成した日本一長い林道「南アルプススーパー林道」は、周囲の議論を経ながらも南アルプスの核心部を信州長野と甲州山梨を結んだ。
無論、当初から一般車の通行はできなかった。 ただ、先にも記したが登山者用(観光用)の伊那市営バス(当時は長谷村営バス4月~11月頃の期間・・?)が歌宿、北沢峠まで走るようになった。 そのため南アルプスの北部で人気のある仙丈ヶ岳や甲斐駒ケ岳へは、無雪の期間の殆どの人は、バスが標高2000m以上の北沢峠へ苦もなく運んでくれる。 
従って、それ以降は戸台川を遡る登山ルートは殆ど利用されなくなり、同時に戸台河原の絶好点にあった「丹渓山荘」はすっかり利用されなくなり、休業、廃業へと追い込まれたのであった。 
但し、現在でも山荘の建屋そのものは残っているらしく、冬の期間の避難小屋として利用されていると言い、特に無雪期でも「鋸岳」の岸壁をアタックする登山者は、時折屋内にテントなど張ってチャッカリ使用しているらしい。
尚、甲州・山梨県側からだと甲府駅からバスで広河原まで乗車し、南アルプス公園線を市営バスに乗換えれば同様に北沢峠まで乗り入れている。 】



さて、小生も余りのんびりしてはいられない。 
体長のほうもマズマズなようで、ただちに出立する。
今までは河原沿いの比較的緩やかな登りであったようだが、これからが本番であろう。 今までとは異なった本格的な山登りのはずである。

地図を眺めると、なるほど等高線の縞模様がギッシリと詰まっている。 
峠(北沢峠)までは2時間半と記してある。 心して行こう・・!!。


先にも記したが、赤河原、丹渓山荘は甲斐駒ケ岳(赤河原ルート)、仙丈ヶ岳(馬の背ルート)、北沢峠への拠点になっているところであり、特に、戸台川から甲斐駒ケ岳に至るルートは古くから開けていて、この先の沢との分岐で歴史ある登山道の1合目に当たる。
甲斐駒ケ岳信仰登山者は、ここの赤河原を暫く辿った後、急な尾根道を6合目までの尾根に登ることになる。 ルート沿いには甲州側の黒戸尾根登山道と同様、古い石造物が残っているという。

仙丈ヶ岳、甲斐駒ケ岳登山の何れにしても、この地まではホンノ序章にすぎない。
ここから3000m峰の本格的な登山道が始まるのである。


丹渓山荘を出た小生は無論、北沢峠へ向かうのであるから藪沢方面の尾根に取り付くことになる。
通称、「八丁坂」といわれる急坂の連続である。


空模様は相変わらずのザーザー降りで、渓流の沢音もかき消さんばかりである。
スタート地点であった広大な河原を抱いた戸台川も、この辺りへ来ると一筋の沢となっている。
この後、南アルプス特有の深い森林帯に入ることになる。


次回、「南アルプス・北部概要





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南ア・仙丈ヶ岳紀行(15) 「丹渓山荘」

2011年10月19日 | 南ア・仙丈ヶ岳
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 南ア・仙丈ヶ岳紀行(15) 「丹渓山荘」  ,




今は廃業となった「丹渓山荘」(内部はフリー利用可)
(「山岳同人コリンズ」より拝借しました)
URL; http://blog.collinz.net/article/43771037.html




丹渓山荘」で熱いお茶をご馳走になりながら、持参したアンパンを口にほお張る。
よくぞアンパンがこんなに美味いものか、と妙チクリンに感心する。

山小屋の管理人を兼ねてはいるのか、指導員の腕章をつけた先輩が、我ら雨の中をハルバルやってきた人たちをもてなしてくれている。 
有難いことだだ・・!。

お登りさん・・、かね」
「はい・・、いやー、すっかり雨に当てられて散々でした。 ところで明日の天気はどうですか・・?」 あきらめ半分で聞いてみた・
「ラジオの予報だと、今夜から明日にかけては上り調子で、晴れ間も出るようなこと言ってたよ。 でも山の天気は判らんからね」 余り自信はなさそうである。
「ありがとうございます。 大いに期待しましょう」


暖炉の周りに三人の若者が談笑している。
その内の一人が、やがて身支度をして出立するようである。 
これからの“お登りさん”であろう・・?。

「これからですか・・?。」
「はい、 をやろうと思ってます」 と丁寧に返事が返ってきた。
「お気をつけて、いってらっしゃい」

そして、空いた席へお邪魔して、暖炉にてをかざす。
未だ10月初旬とはいえ、様気のせいもあって気温はジッとしていると肌寒さを感じる程である。

後の二人は既に、甲斐駒か仙丈ヶ岳へは登り終えたものと思われ、屈託なく満足そうである。
暖炉にあたりながら、山の様子などを伺いながら一緒に談じようとおもったが、小生にやや気兼ねしてか、身支度をはじめてソソクサトと小屋を後にした。 

小生一人残されて、何か拍子抜けした感じである。
小屋は一間の大部屋で、こうして見ると何か殺風景とも思える。


すると年配の男性単独者が、口にヨーカンを頬張りながら入ってきた。
服装からして、山の経験は未だ浅そうな人であり、
「いやーに寒いなー、どうも体の調子が良くないよ。 次の山小屋までどのくらあるのだろう・・?」 と藪から棒に小生に伺いをたててくる。
「そうですね、次は北沢峠ですので、ゆっくり登って2時間半から3時間は見たほうがいいと思いますよ」

先ほど、地図で確認しておいたので、それなりに答えておいた。
ご当人は、如何にも自信なさそうであり、疲れきった様子であった。

実は、今までは序の口で本当の山登りはこれからである。
何か気の毒な気もするが何のことは無い、自信がなければそのまま降りてしまえば、いいだけのことである。


次回、「八丁坂



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南ア・仙丈ヶ岳紀行(14) 「赤河原」

2011年10月18日 | 南ア・仙丈ヶ岳
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 南ア・仙丈ヶ岳紀行(14) 「赤河原」  ,




赤河原周辺MAP (アルプス情報より)



この辺りへ入ると本当のⅤ状の峡谷である。 
麓では余り感じなかったが、10月初旬ともなると山では紅葉が、そろそろ始まる頃であろう。そして、さすがにこの辺りまで高度を上げると落葉の葉が色付き始めているようだ。
ただ、ケヤキやミズナラの茶褐色のチョッと冴えない紅葉が目立つようだ。

この辺りは一種の混成林を呈しているようで、落葉種ではケヤキやミズナラ、シデ類の高木、それにところどころに針葉落性のカラマツが所々に群れを成している。

常緑はツガ類が遠慮がちに点在しているようだ。
黄金色に輝くブナの大木は未だ見当たらないようだ。
この辺りから植生もガラリと変わってくることだと思われる。


間もなく「熊穴沢」という出会いに到達した。 
こちらは特に標識があるわけではなく、小さな木の板に明記してあって方向を示してある。
熊穴沢も鋸岳稜線の直登するコースが開けているようだ。 

様子を伺うと、角兵衛沢同様白っぽいガレ石が敷き詰めたガレ沢が急上昇して霧の中に消えている。


ところで、この鋸岳へのこの鋸岳への登路としての紹介は、前述の角兵衛沢コース、そして、熊穴沢コースといいどちらも強烈なガレ場の沢で、登行には難渋するところらしい。 
地図を見ても難コースとされる「点線ルート」になっている。
この難所を通らないルートとして甲斐駒ケ岳からの縦走があり、下山ルートとして熊穴沢か西の角兵衛沢を選んだほう、がより良い選択かもしれない。


ジックリ、ジックリ歩を進めていると、再び、やや広い河原に到着した。 
正面には壁のような山塊が行く手を塞いでいる。 
そして、この地は大きな沢の二股合流点でもあり、左手のゴーゴーたる水流は甲斐駒ケ岳の直下から流れ落ちる「赤河原沢」である。

この合流点を左(赤河原本谷)に入るルートが甲斐駒ケ岳の登山ルートである。 この渓谷を詰めて行くとやがて左からの急峻な尾根に取り付き(1合目)、鋸と駒の稜線をめざす。 着いたところが6合目で甲州との県境尾根でもある。
このルートは石仏や石碑が多く、伊那側からの駒ケ岳への信仰登山道であり、甲斐の黒戸尾根対する伊那側の道で古来から開けていたらしい。
尚、伊那地方では甲斐駒ケ岳を「東駒ケ岳」と称している。 

右は戸台の谷から籔沢となり、この沢を辿ってゆくと、やがて仙丈ヶ岳へ達するのである。
この辺り「赤河原」と言うらしい。 尤も、赤河原沢から駒ケ岳の取付点、つまり1合目の河原を「赤河原」とする向きもあるようだ。


長いながい戸台河原の遡行(とはいっても水無しの歩行であるが)も、どうやら終わったようだ。
籔沢を渡り、巨大な沢の流れに挟まれながら緩い河原を登ってゆくと、左側のチョッとした尾根の一端に「丹渓山荘」が静まり返っている。

若い山岳指導員らしき人物が、
お疲れさん・・、どうぞ中へ入ってお休み下さい
と声をかけながら登山カードを渡しているようで、小生も一枚拝領して、先ずはこちらでザックを下ろさせてもらう。 時に9時35分。

戸台口を出発して凡そ1時間50分、雨の中の歩行ながら地図上の時間よりかなり早いタイムであった。 
調子がいいのかな・・?、


次回、「丹渓山荘





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祝い・・!!  平泉地方が世界文化遺産に決定。(2011年6月) 
東北紀行2010(内陸部)」 http://orimasa2009.web.fc2.com/tohoku.htm 

『九州紀行』は以下にも記載してます(主に写真主体)
九州紀行」; http://orimasa2009.web.fc2.com/kyusyu.htm
九州紀行」; http://sky.geocities.jp/orimasa2010/


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2011年10月17日 | 南ア・仙丈ヶ岳
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 南ア・仙丈ヶ岳紀行(13) 「角兵衛沢出合」  ,




角兵衛沢出合




長い戸台河原での道中も、この辺りへ来てさすがに終わりを遂げようとしている。
道程は次に河原のすぐ右上の山裾を歩むようになる。 

今度は林の中なので枝から大きい水滴がボタボタと落ちてきて傘にハネッ返り、この飛び散ったシズクが時折、頭、顔、首筋に当ってくる。 
何とも気色悪く、落ちつかない。

周りの風景も俄然、変化が起きていて、戸台川も谷間になり更に、チョット大き目の沢筋になってきている。

一時、霧が晴れて左手の遥か上方に一つのピークが垣間見える。 
道には大岩がすえられていて、休憩に適地と思われたところで初めての大休止をとる。
完全な雨宿りとまではいかないが、岩に身を寄せるといくらかでも雨よけにはなるようだ。
高度もあがったせいか気温のほうも低くなっていることが感じられ、下半身だけ雨具用のナイロンヤッケを着ける。


レモンとチョコを口にしながら、徐(おもむろ)に地図を開き現在位置や周辺状況を確かめる。
河原の向う正面のⅤ字沢は、どうやら寝木小屋沢辺りではないだろうか・?、だが確証はない。 

左のピークが横岳で右側は鋸岳の北端の頂で、稜線のコルが横岳峠であろう。
以前は、寝木小屋沢から横岳峠へ通じる登山道があったらしいが、この地図だと今現在は廃道になっているようである。


現在位置は標高にして1200m前後ではなかろうか・・?、北沢峠が2000mであるから、この後、800mのアルバイトである。
尤も、今まで河原伝いに歩いてきて余り高度は稼いでいない。 
これからが山登りの本番なのである。

雨に打たれて気分は冴えないが、体調のほうは先ず先ずのようだ。 これも、橋本山荘のイキな朝食が発気しているのかもしれない。


朝方なのに辺りからは小鳥の声一つ聞こえず、それもその筈で聞こえてくるのは降り落ちる雨と沢の水音のみである。
今までは雨の中の河原を淡々と歩んできたが、この辺りへ来てさすがに勾配もきつくなり体重が両足に乗っかかってくるのを実感させられる。

時折、自身に気合と威勢をつけるため、「ン・・!」と唸ったり、「ヨイショ・・!」と掛け声をかけて自己激励をするが、 別にどーってことは無いけどね。
それにしても昨夜から完全徹夜の行軍にしては、案に相違して当初としての体調はマズマズのようである。


程なくして、ケルンが積んである大きな指導標のある分岐についた。 「角兵衛沢」の出合いである。
ほぼ頭上に聳える「鋸岳」への直登ルートである。
ただ、分岐といってもこの地からだと対岸になる。 
沢に橋が架かっているわけでも無し、渡渉して行けというのだろうか・・?。 或は流されてしまったのか・・?。 
いずれにしても今頃(10月)の水は冷たそうである。

本来なら鋸のギザギザ稜線ぐらいは望めるだろうに、本日はごらんの様気で何とも仕様が無い。
変な思案をしながら一息入れて出発である。


次回、「赤河原





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