織内将男の山旅の記録

若かりし頃よりの山旅の記録です・・!!

上高地―槍―穂高縦走(7)

2009年06月09日 | 上高地


写真:北穂からの眺め、槍と縦走路から大キレットへ
写真:涸沢岳、頂上は奥の方(左は奥穂)


【上高地―槍―穂高縦走】(7)

穂高連山の岩場を行く・・、

小屋の前の小さなスペースから今来た道を振ると、きれいに晴れて大展望で、してやったりの気持ちが沸々と湧き上がる。
北穂には自然のテラスがあり、ここからの展望は雲湧く大キレットと槍ヶ岳、奥穂高に前穂高、吊尾根、明神岳、涸沢カール、雪渓といつまでも浸っていたい絶景である。
大キレットの渕底から先はうねる様な山塊が続き、槍穂まで達している。
迫力満点の絵模様である。
転ずると涸沢岳や奥穂が眼前に迫り、その奥に微かに吊尾根を介して前穂が階段状の大きな尾根を延ばしている、「北尾根」である。 無論、左手は涸沢の大カールが広がりをもって落ち込んでいる。

北穂高岳は、真に槍-穂の中心的存在ではなかろうか。
時間もたっぷりあり、体力も昨日のようなヘロへロ状態では全く無く、前進するのに充分な余力は残っている。
この先、涸沢岳から奥穂の小屋を目指す。
小屋からほんの数分で北穂・北峰の頂上、ここから一度緩く下って登り返すと北穂最高点の南峰である。 眺めを楽しんだ後、山頂をあとに涸沢へ下る南稜への道を進む。
南峰を右に見ながら進むと直ぐに、二股分岐に出る。左手は南稜尾根が大きく張り出していて、涸沢へ降りるルートが付いている。
我らは無論、右手の縦走路を信州側の巻き道を辿りながら行くようになる。ここからも岩場の連続であり、幾つかのピークを巻きながら、信州側、飛騨側と交互にルート辿るようになる、何れも、涸沢、滝谷が落ち込む岸壁を足下に望みながらである。

下りきった所が涸沢槍のコルである。正面はマタマタ三角錐の岩峰でその名も「涸沢槍」である。
垂直に近いクサリ場から岩を登攀し、鉄梯子手前のクサリではバランスをくずしそうになりながら登って行く。
幸い涸沢槍の穂先は巻くように進む、それでも連続する鎖場などは相変わらずで、中でも滝谷側は吸い込まれそうな恐怖を感ずる。
「スリル」を感じるのは楽しいが、これが「恐怖」になると体が竦んでしう・・。
腕力をフルに使い、最後の1 0m以上の鎖を登りきったとき、一段と高く天を突き刺す涸沢槍の岩峰にたどり着く。
聞くところ「大キレット」や「飛騨泣き」を乗り越え、やや緊張感が切れてしまうからなのか、むしろ涸沢槍や涸沢岳の方が転落や落石の事故が多い・・とのことである。

その涸沢岳(3,110m) のどっしりした姿が眼前に見えてる。
足元に注意しながら涸沢槍の滝谷側に巻いてのコルに下る。
涸沢槍の次ぎは涸沢岳の登りになる。
コルからは浮石の多い所でホールドに気をつけながら、落石にも注意して攀じる。 再び涸沢側へ回り込んで、最後の難所の岩を打ち込んであるハーケンや鎖を使って登ると涸沢岳稜線に出る、岩屑だらけの頂上で広く長い。 
南端に出れば目の下に穂高岳山荘が見えていた。 今夜の泊まり宿で、一先ず安心する。

正面は威風堂々とした「奥穂高岳」がデ-ンと構えている。
北アルプス・ナンバー1(3190m)の高さを誇り、富士、南ア・北岳(3192m)に次ぐ日本国内トップ3である。 
明日は、早朝にもあの峰へ達するであろう、乞うご期待である。
又、直ぐ横の奥穂から西穂に通じる「ジャンダルム」の岩峰の偉容も素晴らしい。 黒々と光り輝き天に向かってそそり立っている。
直下には「涸沢」がパノラマのように広がっていて、巨大なお鉢のような底には色とりどりのテントが無数に張ってある。

カールのどん底は、北アルプスの聖地とも言われる、アルピニスト憧れの地なのである。 その周囲は、天にも届く荒々しい穂高の峰々奥穂、北穂、前穂、そして足下にある涸沢岳の3000mの峰々が砦のごとく取り囲んでいるのである。
正式には涸沢圏谷(からさわけんこく)といい、日本ではドイツ語のカール(独語:Kar)と呼ばれることが多い。
氷河の侵蝕作用によってできた広い椀状の谷のことで、山地の斜面をまるでスプーンでえぐったような地形である。高山の山稜直下などに見られ、氷河が成長と共に山肌を削り、上からみると半円状ないし馬蹄形状の谷となる。

又、涸沢カールは穂高登山の中心地であり、テント場でもある。夏には色とりどりのテントが数え切れない程並び、ここをベースに穂高の連山、前穂の岩壁に挑むのである。
南側の吊り尾根、東側の前穂・北尾根と、標高の高い稜線に遮られた北向きの沢であるため、夏場でも残雪が多く夏スキーのゲレンデとしても賑わいを見せる。
涸沢の雪解け水は、涸沢出合で横尾本谷と合流し、屏風岩の北側を横尾谷となって流れ、横尾で槍沢の水と合して梓川となり、上高地へと流れ下っている。
この涸沢までのルートは、昨日通過した横尾から入ることになる。
その横尾から3時間、上高地から継なぎで6時間で到達する。

続く・・、


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上高地―槍―穂高縦走(6)

2009年06月09日 | 上高地


写真:「長谷川ピーク」(左右が絶壁なのでどうしてもピークを越えなければならない)
「飛騨なき・・?」付近のナイフリッジ(靴幅一つの剣先路、左は涸沢、右は滝谷の大絶壁)


【上高地―槍―穂高縦走】(6)

底と剣先・・!!、

このピークを下り、次のピーク、立派すぎる岩稜の山を攀じ登って行く。
しかも両側が切れている今迄より最大の緊張を強いられるところである。
両手は鎖などでで確保できるが足元が危うい、登山靴の半分くらいしか引っかかりない所もある。大キレットはこのピークあたりが核心部ともいわれている。

ピークに達した、とはいってもバイザイが出きる様なところではない、岩盤1枚で立ち上がると奈落へ吸い込まれそうなところである。
正面は堂々とした「北穂」の聳え、右手正面には「岩の墓場」、「鳥も通わぬ谷」と恐れられている「滝谷」が不気味に断崖絶壁を覗かせている。
先ほどのヘルメット二人はこの谷を攀じってきたのであろうか・・?。 落差にして1,000mも一気に切れ落ちている滝谷絶壁なのである。

そして、一つの岩峰を越えなければならない。 ○印が、否応無くピークへ誘っているのである。 左右を確かめると、どちらも絶壁になっていて、どうしてもこの穂先を越えなければならない。 
周囲を気にすると思わず引き込まれそうになるため、絶対に見ないようにして、ただ黙々とひたすらホールドとスタンスを見極めて攀じるだけである。 
登る時は、それ程でもなかったが、滝谷側へ下降の時はどうしても谷底が見えてしまう。その時は、さすがに血の気が引くというのか、ザワザワとした身震いと緊張感が一瞬、全身を駆け巡る。

この岩峰、後で知ったが「長谷川ピーク」と言うらしい。
小生が当時通過した頃はこの様な名称は無かったように思う、後年付けられたのであろうか・・?。 いずれにしても長谷川ピークという個人ネームは「長谷川恒夫」のことであろう。
日本を代表する世界的なアルピニストで、奇しくも小生の住んでる(神奈川県厚木市)隣町の愛甲郡愛川町半原の出身である。
彼は、世界各地の登攀を達成し、特にヨーロッパの三大北壁、エベレストに情熱を傾けた。最後に、パキスタン・ウルタルⅡ峰を登山中、雪崩により遭難死している。
享年43歳。彼の「長谷川ピーク」の名が付いたのは、何時ごろか・・?、どの様な理由によるものかは、定かでない。

「オリさん、調子よさそうですね・・」、
「そうでもないよ・・」と謙遜の返事を返したが、われながら調子は悪くないのである、
緊張のせいかな・・?。でも、案外こういった両手を使った岩の登り降り、ハシゴヤクサリを使ったスリルある歩程は得意なのかもしれない。思えば学生の頃、障害物競走は得意であったが・・?関係無いかな。 

飛騨側の岩壁をへばり付きながら(ヘツリともいう)下り、更に、両側が切れ落ちた、キリン・・?の背の様なところを渡る。ここは鎖が設置されているが、それでも安心して通れる様な処ではない、足を滑らせないように注意しながら通らねばならない。
この辺はもう余裕などといったものは一切なく、無心の極みであり、一歩間違えばあの世行きダー-。

下りきったところが、Aコルと名が付いている。
「飛騨泣き」と呼ばれる所であり、右側は岩肌が両側から迫り出し、その数米の隙間がザレ場となって真逆さまに落ち込んでている。吸い込まれそうな谷底から盛んに滝谷の冷風が吹き上げてくる。
強風の場合は、風が岩肌を擦り、まるで風が悲鳴を上げているようなので、「飛騨泣き」と称したのであろうか・・、と小生の想像である。案外、当たっているかもしれない・。
「飛騨泣き」は凄いとは認識はしていたが、名前からして相当にきつそうで、こちらも立っているのがやっとぐらいのスペースある・・、本当に泣きたくなるような峻険な地である。
先方を眺めると壁のような大岩峰が行く手を塞いでいるようだ・・、実際、飛騨泣きというのはAコルからあの岩峰辺りまでを指しているのかもしれない。

⇒や○印を頼りに急激な岩登りが始まる。
時おり×印もあり、これより先は奈落ですよ・・と言わんばかりである。 この印をとにかく忠実に辿る意外に、絶対に別のルーとは無いのである。 そして、岩登りは常に3点確保と言われる。 両足に片手、片足に両手のことである。
時に、鎖場を行く、鎖といっても蟹の様に横へ這って行くのであり、通称「蟹の横ばい」ともいう。 脚下は1000mの奈落の底へ達している。

暫く、岩場の格闘をしているうち「北ホあと200m」というペンキ文字が記してあった。
無論、ただ歩くだけの距離ではない、相変わらずの岩登りでの200mなのである、短いような長いような距離であろう。
それにしても飛騨泣きと言われる難所は予想以上に難なくクリアしたようである。
長谷川ピーク以降、恐怖心が麻痺してしまったのか、或いは高度順化、難所順化したのか・・?
高度が上がるうち左手に北穂の東稜が凄味を増してきた。
天辺に小屋らしいものが見えている、それにしても山頂に見える北穂高小屋はすごい所に建っているもんである、呆れながらも、感心しきり・・!!。

最後の急坂が続く・・、鎖やハシゴの助けを借りな気を緩めず登る。
登りつめると、「北穂高小屋」の裏手に、ヒョッコリ飛び出た。

次回へ続く・・、

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上高地―槍―穂高縦走(5)

2009年06月07日 | 上高地

写真:大キレットと正面は圧倒的迫力の北穂高岳


【上高地―槍―穂高縦走】(5)

大キレットで無我夢中・・!!、

小屋出て間もなく断崖の谷底へ降りてゆくようで、標高差にして250mの下りである。
早速、ハシゴヤクサリが現れ、それらに身を預けながら垂直に近い岩盤を慎重に下る。
次に「獅子鼻」とかいう大岩塊の断崖がそそり立つ、圧倒的迫力である。 
その大岩の左横のガラガラ道を急下降していく。
踏み込むごとに砕石が崩れ落ちそうな厄介な道である。

小さな凸凹を両手を使いながら飛騨側の谷に向かってぐんぐん下っていく。 せっかく登って来たのに、これほどまで危険を冒して下るのか・・、自然の造形を恨む・・!。

前を行く3人のパーテーに追い付いてきた、高校生らしい若々しい感じの少年達で、概ね、普段着のままの服装で肩に着けたザックも心元なかった。
案の定、道を間違えて岩塊の上でマゴマゴしていた。
岩場などは丸印のペンキや矢印をたよりに歩を進めるのであるが、風雪でそれらも薄くなり、シカも所々にしか付いてない。
足跡、踏み後もこの様な岩場では鮮明ではない。
しかし、よく目を凝らせば何処がルートなのか判別はできるのであるが、それも、キャリア、経験のの差が有るのは致し方ない。尤も、かく言う小生もまだまだノン・キャリアだが・・ハイ。 
頑張れ、高校生・・!!。

暫くはナイフリッジ状の痩せた尾根の登降が続く。
両側が絶壁の痩せ尾根であり、体を直角にすると頭の先が信州川、足の先は飛騨側と、この位の狭さで両側が落ち込んでいる。
時折、谷風も体を揺らすようだ、危険なところは身を低くして素早く通り抜ける。
我らは順調に進んでいる様である。
岩場の小さなピークを幾つも越えながら下って行く。

最低のコル(鞍部)で休憩しようと思っていたが、どこが最低のコルか分からない、判り難い、2ヶ所、垂直の岩盤を鉄ハシゴを使って下りると、どうやら大キレットと呼ばれる「底」つまりの鞍部に着いたようである。
この鞍部正面には大きな岩峰が屏風のようにそびえ立っている。
あそこを通過しなければならないと思うと恐ろしいほどだ。でもここで怖がっててはいけない、まだまだ先があるし、戻るわけにもいかない・・!。

ヘルメット被った二人の青年とすれ違う。 両者とも肩にザイルを着けているところを見ると登攀者(ロッククライマー)らしい。 観ると岩場を物ともせずガンガン歩いてゆく。さすがに場慣れしたモンである。

最低鞍部の小さなスペースで小休した後、こんどは登りに取り掛かる、例の屏風の岩峰である。
犬、猫よろしく四つん這いになって登る、両手を使うと何やら安心感がある。 思ったより気楽に・・?、ピークへ到達した。
やっと着いたと思ったら、次の岩峰が直ぐ目の前に立ちはだかっている、しかも、このピークより遥かに高く尖鋭のようだ。
余りはっきりはしないが片側がスパッと無くなっている・・?つまり絶壁なのである。

続く・・、


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上高地―槍―穂高縦走(4)

2009年06月07日 | 上高地


写真:南岳小屋と穂高連
今時、南岳小屋にはこのような看板が示してある


【上高地―槍―穂高縦走】(4)


ジグザグの登りを一歩一歩脚を運ぶ・・!、
「今日はオリさん調子はどうですか・・?」、
「ン-、マアマアだよ・・」生返事を返す。

実は昨日の調子が嘘のように意外と調子が良いのである、お天気のせいもあるかな・・?。小休止を入れながら、いつの間にやら南岳の頂上へ着いてしまった。
大喰岳(3101m)、中岳(3084m)、南岳(3033m)と3000mを越す三つの峰をやり過ごした。
何かアレッと思うような短時間であったような気もする。

だが、今まで隠れて見えなかった次行程の「大キレット」や穂高の連山が、俄然、目の前に迫ってきた。 因みに、 “キレット”とは、落差が大きい岩壁状のコル(凹み、窪み、登山用語で山稜上の窪んだ所、鞍部・アンフ゛。)のことで、「切戸」がなまったものと言われる。こちらの穂高連峰の大キレットなどが特に有名である。

ゴツゴツした岩だらけの、あんな所に道が付いているのかね・・?、
人が通れるスペースがあるのかね・・?
と疑問を呈する程の圧倒的な岩稜帯である。

幸いなことに、天気は完全に快晴に近付いている。 
周囲の大展望を欲しいままにしながらも、やはり、目は、心はそちらの方へ吸い寄せられている。
3000m峰を三つとはいっても、これは本番前のリハーサルの様なものであり、この後、この先は質の違った荒技が要求される。 本当の笑顔はまだまだ先のことである。

地図を広げても判る・・、
槍からここまでは実線が引かれているが、この先「奥穂」の小屋までは点線である。
つまり実線は一般者が歩ける登山コースであるが、点線は難コースで経験者、熟練者達のみが許される領域なのである。
では経験者、熟練者とは一体どの程度のことを指すのであろうか・・?、不明である・。小生は山を始めて3年目である、果たしてこれが経験者か・・、疑問である・・?。
しかし、これも冬季・雪山は別格としても外的条件が相当に影響するのも確かであろう。雨に吹かれたり、風に脅かされたり、又、巨大なキスリングの大グループなどは経験者と言えども遠慮した方が良いとされる。
それとベテランやガイドが付いてくれれば弱層のグループと言えども可能であり、安心であろう。
つまり、登山地図上の点線ルートとはこのような処である。

大休止の後、いよいよ本番が始まる。
途中、南岳の山腹の開けた場所に「南岳小屋」があった、適当なキャンプ地でもある。
テントが数張りあったが、テント持ちの大装備もこの辺りまで来るのには大変だろうなと、つくずく思う。
この地は、本舞台へ通じる花道か・・。

次回へ続きます。


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上高地―槍―穂高縦走(3)

2009年06月07日 | 上高地

写真:大喰岳から槍と小屋 


【上高地―槍―穂高縦走】(3)

3000m三峰、「大喰岳、中岳、南岳」の縦走・・、

巨大な山小屋が、何となく薄明かりを感じてる。
同宿の人々もソロソロざわつきだしているが、小声で、どことなく覇気がない。 ピ-ンときた、ハハーあまり天候の方は良くないな-・・!。
小用をたしながら外へ出てみると、案に上周囲はすっかりガス雲に覆われていた。 しかし、白く明るい雲で雨をもたらすようなものではない。
昨夕、眼前に怪獣のように控えていて、本日のアタックを楽しみにしていた「槍ヶ岳」の峻峰も、今はその身を覆い隠している。 
S君も目覚めたようで
「朝飯前の槍はどうする・・?」
「ンー、このガスじゃーね、今日の道中も長いし、折角だがやめとこうか・・」、
変に納得している。
気がつたが、昨日あれだけヘロヘロだった体はすっかり回復している。
足腰も特に痛んでいるようないようで、気分もまずまずである。 しかし、余り食欲はなかった、だが、せっかくの朝食は無理やり胃に詰め込んで、一服した後、南路へ進行を決めた。

直ぐに、「飛騨乗越」の分岐があった。
日本最標高の3000mの「峠」で、並み居る峠を圧倒凌駕する高さの峠である。 こちらは槍沢よりもっと急斜面に思え、西側のためか雪渓も大量に残っている。
因みに、こちらのコースは槍平、白出を経由して新穂高へ出るルートで、白出沢まで車(タクシー)で入れば6時間足らずで槍へ到る。 昨日、上高地からは何やかやで9時間かかっている。

大喰岳(おおばみだけ)の登りは意外ときつかった、食後の影響か・・?。
だが幸いなことに、この辺りから次第にガス雲が切れてきて、時折、周囲の山々が見え出した。 
そして、振り返ると槍が鮮明だ・・!。
そして前方に穂高が見えたのも嬉しい、今後を期待しよう・・!。

槍沢もそうであったが、 こちらでも高山植物の可憐な花が結構咲いていて、気持ちを和ませてくれる。 時折、振り返って槍穂をチラホラと・・、岩ツバメも挨拶して通しすぎる。後は雲表の稜線歩きとなる、切れ間から朝日も指しだした。 
これぞ3000mの散歩道である・・!。

中岳の登りからは、そろそろ暑さを感じるようになった、上着を一枚脱ぐ。
中岳へは岩場の上りもあり、ハシゴやクサリが掛けてある。 これから向かう大キレットの予行演習のつもりで慎重に登る。 
間もなく中岳の標識があった、休憩には適地で、一息入れる。
3000mの素晴らしい景色である、これから向かう正面に南岳が穂高連山を隠すように聳えている。

軽快に下ったところに雪渓が張り出し、そこに有り難いことに水場が有った。
手酌ですくって飲み干すと、喉越しから六腑に滲みる。 下手なビールよりよっぽど美味い。
過ぎると、やや痩せた岩稜線を通る、両サイドとも断崖絶壁で切れ込んでいる。 左下には天狗原のゆったりした景色が良い、紅葉の名所だそうだ。

何でも、槍を目標に来た人は、この後のキレットを敬遠するか、縦走しようとする人も天候によっては、ここから天狗原、氷河公園へ戻る人が多いらしい。
我らは体調もまずまずで、天気も回復基調であり、当初の目的通り直進する。 
合流点からは、いよいよ南岳への登りにかかる。

続く・・。

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