織内将男の山旅の記録

若かりし頃よりの山旅の記録です・・!!

上高地(続編・2)「明神へ」

2009年06月01日 | 上高地
上高地(続編・2)「明神へ・・、」 

上条嘉門次について・・、
目的の「明神」は、ほぼ梓川の畔にあった、時間にして1時間少々・・・。
山小屋の「嘉門次小屋」や「山のひだや」、正面奥・菊の紋の入った木製の鳥居
を潜った先に穂高神社そして明神池が座している。      
嘉門次小屋の道向かいに嘉門次の石碑が立つ。
この石碑は一般客には馴染みが薄いが、上高地・穂高を愛する山屋にとってウェストンや上条嘉門次は心に留めおきたい人物である。

上条嘉門次は「上高地」を世に知らしめた人物の一人でもある。
優れた山岳ガイドとして知られ、多くの人々を北アルプスへと案内した。 特に、日本アルプスを世界に広めた英国人ウェストンを北アルプスの山に案内したことで、彼の名は世界に知られた。
上高地を我が庭のように愛した彼は、猟師としての腕前も確かであったという。
明神池の畔の嘉門次小屋が彼が住んでいた場所で、この地で生涯を全うしたという。 現在も山小屋として営業している。
昭和33年(1958)に彼のレリーフを付した記念碑が小屋のすぐ近くに建てられた。

明神池・・、
河童橋からおよそ4km上流の梓川の右岸に瓢箪型(ひょうたんがた)をした明神池がある。
奥宮の横に受付社務所があって、神域である明神池へは拝観料として300円を払うのである。 池を見るのに金払う・・?チョット奇妙な気持ちではあるが・・。
手前を明神一之池、奥を明神二之池と呼ぶ。 かつては三の池もあったが「明神岳」の土砂崩れえ梓川支流の沢がふさがれて消えてしまったとか・・。


明神・一の池


明神・二の池


1600坪(52,800m2)にも及ぶこの池は、秀麗な自然美を形作り、マガモや岩魚も優雅に泳いでいて、不思議なことに岩魚は人間慣れしているのか全く逃げない。


神域の岩魚


神域のお猿さん


明神池は、「かがみ池」とも言われ、パンフレットにも『明神池 神降地』、『人々の心を映す、神の池』と記されている。
神秘的で時間が止まっているようであり、明神池拝観の300円はそれ以上の価値があった・・!!。
退路時、受付で思案している客に向かって「明神池は必見ですよ・・!」などと余計なことまで言う始末であった。


嘉門次小屋・休憩舎


小屋前の休憩舎で冷たいビールと名物岩魚の塩焼きを戴いて帰途に着いた。
梓川の明神橋を渡ると、背後に峻険な「明神岳:2264m」が望める、そして、槍・穂方面の第1の休憩ポイント「明神館」があった。
帰路は左岸を一直線、上高地バスターミナルまで凡そ1時間の道程である。

『終』


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上高地(続編・1)「明神へ・・、」

2009年06月01日 | 上高地
上高地(続編・1)「明神へ・・、」 


明神周辺概念図

上高地とは・・?
「かみこうち」の名称は本来「神降地」、「神垣内」という漢字表記で、後に現在の「上高地」と表記するのが一般的となった。
「神降地」とは正に神が降臨した地で、穂高神社の祭神、穂高見命(ホタカミノミコト)が穂高岳に降臨し、この地(穂高神社奥宮と明神池:神域)で祀られていることに由来している。


穂高神社奥宮 

尚、穂高神社の嶺神は北アルプス・穂高連峰の主峰「奥穂高」の山頂に祭られ、本宮(里宮)は穂高の山麓、安曇野市穂高に神社がある。


明神へのルート:ハイキングコース・・、
今年(2008年)のゴールデン連休の始め、上(妻)さんと上高地を訪れた。
バスターミナルから5分程歩くと上高地の中心でビジターセンターやホテル土産物店が並ぶ。 この中に例の構図である梓川の河童橋と穂高の美形が一望できる。
薄いエメラルドに近い色をした水面は意外と流れは急であるが、もちろん透き通って、しかも水温17~18度と冷たい。。
澄んだ青空の下、梓川を挟んで視界に入るは、あの岳沢上部に聳える穂高である・・!。

明神へのルート、ハイキングコースは通常2通りあり、徳沢から横尾、槍を目指す直行ルート(左岸)と岳沢から穂高を目指す通常・右岸ルートがある。
ハイキングのみであったら往路は右岸、帰路は左岸ルートがお勧めであろう・・、
河童橋を渡ると西糸屋や白樺荘があり、そこを右手方向に足を向ける、標識も岳沢方面とあるはず・・。
五月の連休の頃は里では新緑に覆われるであろうが、1500mの標高、山奥の上高地の樹木は未だ褐色の世界である。 そして穂高方面はまだ白に覆われている。


清流と「明神岳」

歩を進めるとすぐに、シダ等の茂る「岳沢湿原」が出てくる。 梓川の分流と岳沢の水量が豊富なところで、清流や湿原地帯が大きく広がり、実に雰囲気の良いところなのである。
見上げれば、穂高連峰がいよいよ迫って来る感じであり、そして、小生には懐かしい奥穂高からの下山に使う岳沢の入り口に達する。      
しばらくの間は、細く長い歩道、所々雰囲気の良い木道を行くことになる。
明神池の下流と辺り、猿の群れも人間を特に恐れることも無く、我等を見送ってくれている。


明神への木道


上高地のお猿

河原の広い梓川の向こうには、急峻な「六百山」や「焼岳」が姿よく遠望できる。
大正4年(1915)、あの焼岳の噴火で泥流が梓川を堰き止め、その名も「大正池」を造りだし、上高地を一層景観豊かな土地柄に造り替えたのである。
因みに、焼岳は現在も飛騨山脈の中では最も活動の激しい活火山である。
北峰、南峰(主峰)の2峰があるが、現在登山可能なのは北峰だけで南峰へは立ち入り禁止となっている。北峰と南峰の間には火山湖がある。
1995年2月11日、焼岳火山群として焼岳に隣接する火山の1つから、長野県側トンネルの工事現場おいて火山性ガスを含む水蒸気爆発が発生、直後に泥流が噴出し、中部縦貫自動車道安房トンネルの工事に従事していた作業員ら4名が死亡している。

次回も「明神」について・・、



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