織内将男の山旅の記録

若かりし頃よりの山旅の記録です・・!!

霊峰・日光の山々(68)奥鬼怒山旅 「金精神社」

2013年08月15日 | 奥鬼怒山旅





 霊峰・日光の山々(68)奥鬼怒山旅 「金精神社」 







金精神社と祭神の男根




 
巨根伝説について、

金精峠には、小さな社の金精神社が祀られていて、曰く有りげな名前のように男根を御神体とするらしい。 神社の由来は、「生きた金精様」 といわれていた怪僧・道鏡の巨根にあるとという伝説がある。


奈良時代、女帝の孝謙天皇は巨陰であったため並の男根では満足できなかった。 

そのため、孝謙天皇は巨根の藤原仲麻呂(恵美押勝)を重用していたが、道鏡の修法により病気が治ると更に巨根である道鏡を寵愛するようになった。

しかし、孝謙天皇の崩御後、道鏡は皇位を窺った罪で下野薬師寺別当に左遷されてしまう。



大きく重い男根を持つ道鏡にとって、下野薬師寺までの旅は過酷なものであり、特に上野国(群馬県)より下野国(栃木県)への峠越えはとても厳しいものであった。

道鏡はあまりにも自分の男根が大きく重かったため峠で自分の男根を切り落としてしまったとも、孝謙天皇に捧げるつもりで峠で自分の男根を切り落としてしまったともいわれている。 
その切り落とした道鏡の男根を「金精様」として峠に祀ったのが、金精神社の始まりとされる。


道鏡の巨根伝説は根強く、江戸時代には「道鏡は すわるとひざが 三つでき」という川

柳も詠まれたという。  


又、「道饗」と「道鏡」が混同され、道祖神と結びつけられたために成立した、という意見もある。

この不思議な神様は、道を守る神=道祖神としての機能の他、子孫繁栄、五穀豊穣、家庭円満、招福などさまざまな要素があると信じられている。


直ぐ北側には岩肌むき出しの荒らしい金精山があり、今思えば尖がった山の姿が屹立した男根に見えなくもない。

尚、群馬県利根郡片品村にある白根魚苑の金精神社は、かつて金精峠に祀られていた石の男根の一つを移して御神体として祀っている。


次回、 「金精峠」




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