土佐のくじらです。
今日も、歴史の不思議ツアーコンダクター、古代のミステリーハンターの館にようこそ! (笑)
縄文時代の数々の謎を一通り終え、今日から新たな時代の謎解きの、チャレンジに挑戦いたします。
(^^♪
さて、今日から弥生時代・・・と呼ばれる期間に焦点を当てますが、
私、この時代のことは、余り詳しくは存じません。(笑)
弥生時代って、あまり面白くないんですね。
はっきり言って・・・・(^^;
弥生時代って縄文のように、他の地域と比べてどうかとか、ムーやアトランティスに繋がるような、
ドギマギするような、ファンタスティックないろどりに欠ける時代なのですね。
史実などある訳はなく、遺跡も地味ですのでね。
弥生時代と言われますけど、東京の弥生町で縄文式土器とはタイプの違う土器が出たので、こういう名前が付けられていますが、弥生土器くらいの性能しか持っていない文明が、縄文時代のような、全国的な文明圏を持っていたとは思えませんし、土器の性能で言えば、縄文式の方が圧倒的に上なのですね。
弥生時代・・・という名前は、時代の規模からすれば大きすぎて、ひょっとしたら・・・、
東京弥生町限定の文明なのかも知れません。(笑)
縄文と弥生の違いで最大のものは、日本の弥生時代は、米作が始まった時代である・・・ということですね。
縄文の謎解きのキーワードは 【栗】 でした。
弥生時代の謎を解く鍵は、ズバリ 【米】 にあると私は思います。
弥生的な価値観は、米作を受け入れたことだと私は思います。
この【米】と、その【米をつくる技術】が、いかに日本に取り入れられ、そして、
いかに全国に広まったかを検証することが、この時代の面白さなのかも知れませんね。
弥生時代は、約3000年前位から日本に現れます。
私の説では、ムー文明の継承文明であった縄文時代は、文明の寿命と日本列島の寒冷化によって、とても静かな終の時を迎えます。
縄文文明は、文明自体が老衰化したのだと思います。
元気いっぱいの文明が、新たな文明に以降したならば、新たな価値観とのぶつかりも当然激しくなりますよね。
それは必然的に戦いを呼ぶことになり、民族の記憶にかなり強烈に残って、それが神話となっているはずです。
どこの国の神話も、そのように読み取ると、全てつじつまが合います。
しかし、日本の神話には、縄文→弥生を表しているような、くっきりとした神話が存在いたしません。
古事記や、日本書紀にも、それを匂わせるような記実は・・・、どうも見当たりませんね。
恐らく、文明の限界を悟った縄文日本人は、弥生的価値観=米作を、割とすんなり、受け入れたのではないでしょうか?
縄文的な生活では、さすがに食べていけなくなり、新たなテクノロジーである、米作文化を受け入れることによって、その後の日本は、静かに形成されていったのだと、私は推測いたします。
そして、この米作の国内への広がりこそが、日本神道の日本国内への伝播力そして、影響力につながったのではないでしょうか?
日本神道の神事で重要なアイテムは、【米と酒】ですよね。
お正月にはオトソ、結婚式には三三九度・・・と、神事に酒が出てくる日本神道は、とてもとても不思議な宗教です。
ということは、
日本神道は、縄文時代発祥の宗教ではない・・・ということですね。
縄文起源の宗教ならば、栗・・・とか、黒曜石・・・などが、宗教アイテムになっている・・・・のではないでしょうかね。
実は、この【米と酒】による、新たな日本の国創り期間こそ、弥生時代なのではないかと私は思っております。
その、米と酒による国創りの中に、古代日本士最大の謎 【邪馬台国の秘密】を、解く鍵もあると思います。
ああ、そういう風に考えれば、結構面白い時代ですね。
ミステリーの宝庫です。(笑)
私、この時代、好きになるかも・・・(^^)
では、次回以降をお楽しみに。
この小さなブログから、日本の神話が塗り替えられる・・・かも知れません。
その新たな神話が、日本という国が古来より、平和と繁栄を愛していた国であることの証明となり、
日本人の真髄とは何かを、発信する機会となりますことを、心より祈念いたします。
(続く)
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