土佐のくじら

土佐の高知から、日本と世界の歴史と未来を語ろう。

神話の時代であるはずの、弥生時代の持つ静けさを考える。

2013-08-01 12:17:53 | 古代日本のミステリー

土佐のくじらです。
思いがけず時間が開いてしまいまして、今日2本目の記事です。(笑)

ここ最近、ずっと日本の古代の歴史記事を書いておりますが、書いていて、弥生時代がこんなに楽しいとは思いませんでした。(笑)
私にとっては、とても以外な発見でした。
何せ、史実が無いのが良いですね。(大笑)

この時代には、定説などほとんどありませんから、史実を重要視しない歴史家である私には、とても自由にやれて、これほど楽しいことはありません。(爆笑)

で、弥生時代のイメージですが、何とも地味ですよね。
そして、どうも訳のわからん時代だと思いませんか? (笑)

いつの間にか、米作が始まり、
いつの間にか、卑弥呼が魏志倭人伝に登場し、
いつの間にか、神武東征が始まり、そして、
いつの間にか、大和朝廷ができあがってる・・・

読者の皆様、弥生時代には、そんなイメージがありませんでしたか?
何を隠そう、私はそう思っておりました。(^^;

「訳、わからん時代やなぁ~。」(笑)
と、つかみ所のない感じで、苦手意識を持っていたのです。

そうなんですよ。
この弥生時代というのは、日本で米作が始まってから、大和朝廷ができあがる、1500年程の期間なのですので、
よく考えたら、すごい時代なのですが、なんだかイメージが、とっても”地味”なのですよ。

とてもとても、不思議です。
この時代が持つ静けさ、その背景にあるものは一体何なのでしょうかね。
弥生=神代の時代・・・のはず・・・なのに・・なのに。(笑)

それは恐らく、戦争がなかったから・・・ではないかと私は考えております。
戦争があれば、必ずドラマが生まれます。
戦争があれば、絶対に英雄が生まれます。

この時代が持つ、独特の静けさには、戦闘行為そのものがなかった可能性があると私は思います。
そう考えればつじつまが合うのですね。

ですから、一般的にイメージとして持たれている、弥生人が縄文人を駆逐した・・・という歴史観には、私は疑問を抱いています。
そういう一般的なイメージ通りの、歴史の流れであるならば、後のヤマトタケル伝説のような、英雄伝が神話として生まれているはずです。

前回記事で、脱縄文に一早く成功し、まず弥生化したのは九州地方である・・・と述べましたけど、

九州の国・・・仮に”ヤマトの国”にしましょうか。
このヤマトの国は、なぜ東を目指したのでしょうかね?

これも良く分かりません。
最も進んだ豊かな地を捨てて、遅れている未開の東方に向かって行くのは、それだけでは、全く理にかないませんよね。
侵略しても、得られる富があるとは思えないからです。

全く訳の分からない行動です。
少なくとも、国内事情だけを見る限りは・・・。

これに、つじつまを合わせるのは大変ですが、(笑)
九州ヤマトの国が、大陸からの、政治的、外交的、軍事的影響力から逃れたかったからだとすれば、つじつまが合いますね。

韓国政府はおそらく否定するのでしょうが、古代朝鮮半島の土壌などからは、相当の古代日本に関する遺物が出てくるのですね。
縄文土器や古墳などです。
もちろん日本からも、朝鮮半島系の遺物が出土致します。(学校で教えているのは、こっちの方だけですけどね。)

古代日本と古代朝鮮半島は、私たちが想像する以上に、かなり密接な交流があったはずなのです。
私達が想像していた以上に発達していた、高度な海洋文明である縄文文明下の日本であれば、対馬海峡を超えての流通などは、お茶の子さいさいでございます。

ということは、朝鮮半島国家群には、たとえ、軍事的な侵略の意図はなかったとしても、ヤマト国内では、親ヤマト派・・・とか、親朝鮮派とか・・・色々、国内政治が影響されるじゃないですか?

当時のヤマト国は、九州地域だけの小国です。
ですから、これを嫌った可能性もありますよね。

つまり、
少しでも、大陸から離れたかった・・・と思うのは当然だろうと思うのですね。
もちろん、軍事的脅威からも、距離があればあるほど離れることが出来ますからね。

向こう(朝鮮半島国家群)は、中国との軍事的なつながりを持つ、言わば戦国乱世の強者国家群となっていた可能性が高いのです。
その証拠に、この時期の朝鮮半島国家群は、ごく短期間で武具の大幅な進歩を遂げております。
これだけでも、軍事的脅威としては十分です。

そしてやはり、国家としての格も必要でしょう。
当時九州以外は、平和ぼけした、都市国家連邦・・・いや、集落連邦みたいなものだったでしょう。

実質、【くに】と呼べるレベルに達していたのは、日本では、九州のヤマトの国だけだった可能性もありますね。
ただ、日本書紀に出てくる、出雲国(島根県)や吉備国(岡山県)あたりは、【くに】のレベルに達していたかも知れません。

兎にも角にも、九州一国(ヤマトの国)VS朝鮮半島国家群では、とても対等な外交一つできないと思います。
短期的にはごまかせても、長期的には、不可能だと思います。
要するに、朝鮮に日本侵略の意図あらば、ひとたまりもなく、やられてしまう力関係ですね。

ですから、九州ヤマトの国とすれば、当時縄文色が相当残っていた、東方の九州以外の日本の弥生化をこそ、急ぎ執り行わなければならなかったこと・・・なのではないでしょうか?

つまり、日ノ本と呼ばれる、この日本列島一帯が、当時の国際社会並みの国家として成長しない限りは、いつ侵略されても致し方ない状況だった・・・ということが、縄文末期、弥生初期の日本の情勢と言えると思うのです。

これが、神武天皇の東征伝説の動機なのではないでしょうか?
軍事大国化していた当時の朝鮮半島とつながりの深かったであろう九州ヤマト国は、朝鮮との交流の結果、武力は縄文地域と比べて、圧倒的な優位にあったはずです。
その気になれば、侵略は容易だったでしょう。

しかし、これでは軍事的には困ったことが生じます。
安易に東方に軍事行動を起こせば、朝鮮国家群に後ろを突かれる可能性が高いのですね。
それは図らずも、外敵を引き入れてしまう行動となります。

幕末・明治維新の日本と、列強との関係と同じ構造ですね。
日本国内が、泥沼の内乱となれば、列強(他国)に日本につけいる隙を与えてしまう・・・という状況です。

そこで一計、平和裏に日ノ本の統合するための、戦略が必要です。

その時、ヤマトの国の日本国内の外交アイテムとなったもの・・・
それこそが、【米と酒】であったのではないかと、私は考えるのです。

ですから、米と酒は、日本神道の神事、儀式における、重要な宗教アイテムの一つになった・・・そういう見方も、出来るわけなのですね。
                                      (まだまだ続きます。 笑)


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