「福岡県・筑豊の炭坑絵師、山本作兵衛(1892〜1984)が描いた紙芝居【筑豊一代】の原画が、同県飯塚市で見つかった」そうです。「紙芝居【筑豊一代】は作家王塚跣(おうつか せん 1917〜1995)の同名小説を基に描かれた」ものだそうです。「原画とともに、同県宮若市に立つ『炭鉱犠牲者復権の塔』(82年完成)の建設資金集めを目的に描いたとする作兵衛の手記も見つかった」そうです。資金集めに紙芝居!当時の最先端のだったのでは?
ところで、塔の建設「協力会が法務局で調べた筑豊の炭鉱事故での死者は、1894〜1972年に242鉱で計1万1604人。地中に眠ったままの労働者も多数いると見られる」そうです。碑の建立には「延べ約1万人から数百万円が寄せられた」そうです。「作兵衛の記録画は、明治中期から第2次大戦にかけての炭鉱を描いたものが多い」そうですが「紙芝居には、赤旗を手にした炭鉱マンたちの労働争議や、60年の豊州炭鉱水没事故(川崎町)といった戦後の情景もある」そうです。「田川市美術館の文川和副館長は『絵の状態はよく、(世界記憶)遺産の追加登録申請ができるならそれに値する作品だ』と評」されています。よ〜見つかったですね!
(下:2020年7月4日西日本新聞-大塚壮「作兵衛鎮魂の炭鉱紙芝居飯塚市で原画見つかる 塔建設資金集めで『世界帰国遺産級の価値』より)
ところで、塔の建設「協力会が法務局で調べた筑豊の炭鉱事故での死者は、1894〜1972年に242鉱で計1万1604人。地中に眠ったままの労働者も多数いると見られる」そうです。碑の建立には「延べ約1万人から数百万円が寄せられた」そうです。「作兵衛の記録画は、明治中期から第2次大戦にかけての炭鉱を描いたものが多い」そうですが「紙芝居には、赤旗を手にした炭鉱マンたちの労働争議や、60年の豊州炭鉱水没事故(川崎町)といった戦後の情景もある」そうです。「田川市美術館の文川和副館長は『絵の状態はよく、(世界記憶)遺産の追加登録申請ができるならそれに値する作品だ』と評」されています。よ〜見つかったですね!
(下:2020年7月4日西日本新聞-大塚壮「作兵衛鎮魂の炭鉱紙芝居飯塚市で原画見つかる 塔建設資金集めで『世界帰国遺産級の価値』より)