古稀背包客放浪記

古稀バックパッカーの東南アジア見て歩る記

チェンマイ 旅の空

2010-05-11 01:03:26 | 日記
  還暦背包族(bei bao zu)放浪記 その45

2010年5月1日(土)

最近、何事に対しても意欲とか好奇心とかが薄れてきた。もう如何でも良くなってきた。旅を続けたいとも思わなくなってきた。
あまりにも熱いので、もう何も考えられない。
ここで、ジッとしていた方が楽なのである。

もう一つ二つの事が叶ったら、決っと、もう動かないに違いない。

何か旅の「欝」に為ってきたようだ。
旅をしていて、旅の「欝」になんか為るのだろうか。
旅をしていて、旅をしたく無くなって如何しようも無いと思う時って有るのだろうか。
旅に出たくって出たくって、やっと旅に出て来て、その中にあって、旅をしたく無くなるという事が有るのだろうか。
それが何を意味するのか、どんな意味を持つのかちゃんと理解出来るのだろうか。

旅と言うより、もう此処で生活しているようだ。もう一ヶ月にもなるだろうか。
そう言えば、旅と生活と何が如何違うのだろう。

日本で言う所の住民登録をしたらもう生活だろうか。
いや、やはり次の場所に移動するのなら、やはり旅の途中でしかないのだろうか。

登山する時に停滞というものが有ったが、それと同じに、旅にも停滞という日が有って良いものだろうか。登山の途中の停滞は確かに登山行為の一部に過ぎないのだが、旅の途中の停滞も旅なのだろうか。
登山の場合は飽くまで何かの山に登頂するという目的があるから、その途中は全て登山行為の一部なのだが。

旅は、何が旅で、何が停滞で、何が生活なのだろう。


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