古稀背包客放浪記

古稀バックパッカーの東南アジア見て歩る記

蜀の薬膳素食

2009-11-27 15:46:25 | 日記
その23 還暦背包族(bei bao zu)ベイバオズ

2009年11月17日(火)

夕食にちょっと高級な欽善齋(食府)へ行く。薬膳素食料理という範疇の料理店だ。
店の装いは高級感が漂う。客層もかなり高級だ。ドレスコードが必要と言う訳ではないがそれなりの雰囲気の店だ。料理も期待以上のものだ。肉のように見えて蒟蒻で造ってあったりして興味は尽きない。ほんの数種類を食しただけだが、胃に身体に優しい料理だ。そう高くは無いが美味なり。
時々はこういった店に行かないと、完全に民工になってしまう。せめて気持ちだけは豊かにして居たいもので、その為にも美味なものには時々は触れねばならない。

人間、何と言っても満足な食事が得られない時の状態ほど惨めなものは無い。その他の事なら多少は我慢できる。しかし、飢餓の苦しみは生死に関わるので、特にその渇望は計り知れない。と、同時に食に関しては如何様にも対応が出来る。対応というよりも、順応出来るといった方が良いかもしれない。あれが食べられない、あれが美味いと言っている段階はまだ上出来な方なのだ。

極限の状態では人肉さえもその食料となる。アンデスに墜落した飛行機の遭難事故のドキュメンタリーを読んで酷く感じ入ったことがあった。

そう極端な例では無いが、この街にもかなり貧しい人々がいる。ゴミ箱からペットボトルや空缶を回収するのは当たり前だが、食べ残し、飲み残しも回収している。彼らの食料になるのは確かだ。街角の料理店に子供を連れた乞食が入ってきて何がしかの施しを受けて、食べ残した料理をビニールの袋に入れて持ち去るのを何度か見た。

道路や人だかりのする広場、地下道の入り口、お寺神社の入り口、駅やバスターミナル周辺、有名観光地周辺などは、彼らにとって格好の稼ぎ場所なのだ。決して人寂しい街外れや、田舎にはいない。ある程度の通行量と歩行者がいなければ商売にならないのは、何もコンビニエンスストアに限ったものではない。彼らとてマーケッテングリサーチは十二分に行っているに違いない。

そして色々なタイプの彼らがいる。手足の不自由な者、目耳口の不自由な者、子供をつれた親子兄弟、単に年を取って稼げない者、そして面白いのは、いや、面白いといっては何なんだが、学生が物乞いをしている。しかもその言い分は大体同じで、親が急病で入院した、もしくは事故にあって仕送りが出来なくなった。それで多少の学費を援助してほしい。ここに学生証若しくは休学証明書を提示します。しかしほとんどがコピーで写真がぼけている。しかもかなり離れた都市の学校だったりする。何故ここに居るのとつい言ってみたくなる。尚且つ学生は一向に顔を上げないので本人かどうか確認できない。
さらに解せないのは、高校生ぐらいの女子がチョークで道路にお金を無くしてしまいました。家に帰るバス代5元を下さいと書いて下を向いている。三四人は見かけた。しかも必ず5元か8元位だ。大金でないのが良い。まあ8元も有れば、かなり遠くまで行ける事は行ける。しかし今時の中国の女子高生ならば必ず携帯電話を持っている筈だ。ちょっと電話すれば解決する筈だ。なんとも解せない。
様々なタイプの物乞いやタカリがウジョウジョ居る。心して掛からねばならない。

同じように、貴方の身の回りを見回せば、いかに多くの段階の人間がいるかが解かると思う。上は、夕食に数万いや数十万円数百万円の大枚を費やす者から、ごみ箱から残飯を漁っている者まで、いやその残飯さえも得られずに餓死する者まで居る。その幅は並大抵の比ではない。上はキリが無い。下のその結果は餓死だ。

歴史や文化の程度も、その根底の食事、食糧やその調達、種類、品質、量などによって大きく影響されていると思われる。衣食足りて礼節を知るという論語の言葉があるように、その基本の生きるための最低限の必要条件を満たさなければ、人間何を言っても始まらない。

中国の田舎を旅していると、特にその農業力の違い、穀物の品種、生産量によって人口の濃密度、維持密度の違いをはっきりと感じる。
米、麦、玉蜀黍、粟、稗等の雑穀など、何を栽培しているかでその維持人口が激しく変化するようだ。
一般的に、田圃が見えると急に家が多くなり、村落が現れる。麦もそれなりの集落になるが、その他の穀物の場合は家が点在していて、集落は特に何かの都合で集まったような場合だけに限られる。いわゆる交通の要地、交易地、門前町、いわゆる観光地などだ。

国の要は農業だ。国の力は食糧を生み出す農業だ。兵糧を握られたら全てがお仕舞いだ。
食糧無くして、何の国家ぞ。

薬膳料理店の話から国家までになってしまった。

食い物の恨みは末代まで。恐るべし!


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