古稀背包客放浪記

古稀バックパッカーの東南アジア見て歩る記

蜀の犬

2009-10-14 19:29:27 | 日記
その11 還暦背包族(bei bao zu)ベイバオズ

2009年10月2日(金)

先日から目を付けていた屋上の一画に移る。

この宿に宿泊してから宿のあちこちを見て廻った時に、屋上の一角にバンガロー風の三部屋続きの小屋が物置として使われているのを見付けた。
昨日の夕方にオーナーに直接交渉し使用の許可を頂く。早速清掃に掛かる。西の端の部屋を清掃する。

3m×3mのまあ日本でいえば四畳半一間にベットを入れたような感じだ。壁フロアー全て清掃する。素足で歩けるように雑巾掛けをする。土足厳禁にしたほうが部屋を有効に使えるので、数度雑巾で拭く。
4時間で何とか仕上げる。急ごしらえのベット、物置から持ってきた机、椅子等も奇麗に拭いて配置する。窓にはピンク色の小綺麗なカーテンを付けた。宿泊費は破格の値段だ。

多分、中国に着てから今迄で一番好い部屋かもしれない。隣の二部屋は物置になっているので、他には誰も居ない。本当に天国だ。
ただ、ずうっと使用していなかったので、かび臭いのと、木造で乾燥しているのか埃りっぽい臭いがする。どこか近くの煙突から出ているなんかの焼けた臭いもする。


2009年10月3日(土)

余りにも期待しすぎたようだ。
その一。五階の上の屋上なのだが、表通りの車の騒音が結構うるさい。木造のプレハブだから当然壁も薄く防音の設計などしてない。直接道路に接しているのかと思うほどうるさい。向かいの建物と反響しあい屋上まで音が上がって来るのだろうか。ドンピシャで共鳴している気がする。
その二。この時期なのに蚊が結構多い。足の裏や額を五六ヶ所刺されたようだ。足の裏がとても不愉快だ。歩くにも支障をきたす。
その三。夜中にトイレに行こうとし、ドアのロックを外そうとしたが、そのつまみが取れてしまった。ロックされたまま外からも中からも開けられなくなってしまった。仕方なしに窓から出入りして用を足す。

国慶節三日目。
昨夜来の雨が朝には小降りになったが、急に涼しくなった。二三日前には28から30度位はあったのに急に涼しくなった。今朝の気温は16度くらいしかない。めっきり秋らしくなったようだ。
そう言えば日本の節季も中国に倣っているので、まあ華北だろうが、成都も標高の高い分だけ華北に近いかもしれない。
中秋の月餅が本当のお中元のようだ。街の到る所で売られている。

国慶節の後の旅程を決めようと市内のバスステーションに行き、切符を購入しようとするが全て「没有」攻撃される。
四川省の北部、西部は全て外国人の立ち入り禁止区域に指定されたので国慶節の間は切符は売れないとの事。一週間後に再度来て確認してくださいとの返事。では、10月の何日から解禁になるのですかと問えば、「I don’t know.」を繰り返すばかり。
四川省も、、チベットの状態に近づいているのだろうか?

ズボンの裾のほころびを修理してもらっている間に、仕立て屋の隣のマッサージ店で一時間20元のマッサージを受ける。よくTV で見かける罰ゲームみたいな痛さだ。脂汗が出る。じっと我慢する。


2009年10月4日(日)

蜀の「犬」は太陽に吼えると、何かの本に書いてあったのを思い出す。「三国志」か何かだったと思う。
蜀の都、成都滞在十数日にして始めて太陽を見る。
毎日、霧に覆われたような感じで、街全体が霞んでいた。昨夜来の風と雨で、それらが一掃された。
東の空から太陽が昇り青空が望める。犬も吼えるのも当然だ。太陽はめったにその姿を見せないのだから、犬もきっと訝っているに違いない。それが実感できる今日の青空だ。


2009年10月5日(月)

「S」に会う。
後ろから見ても横から見ても前から見ても「S」そのものだ。
息が止まった。正に、息が止まった。気が付かないようなので、肩を叩こうと手を伸ばした瞬間、バスは急停止した。
目が合った。しかし、気が付かない。もう一度良く見るが「S」その人だ。
だけどおかしい。何の反応もない。「おい、俺だよ」と声を掛けようとしたが、彼女は携帯でメールを打っている。しかも中国語だ。
おかしい。「S」は中国語を知っているはずもないし、今は、タイに住んでいると聞いているのに、中国の四川の成都に居るはずがない。
しかし、間違いなく「S」だ。記憶でもなくし、タイから中国に売り払われてきたのかもしれない。
似ている人間はこの世の中に何人かは居ると言うが、如何見ても「S」その人だ。二十数年一緒に生活した人だから間違うはずがない。
しかしおかしい。何の反応もない。何度か目が合うがやはり何の反応もない。
顔つき、身体つき、着ている物も全て「S」そのものだが、目が会っても何の反応も無い。
おかしい。いや、人違いのはずが無い。しかし、おかしい。
携帯のメールを打ち終わって、バックの中に入れた。そして、立っている小生の目の前を後の降口に歩いて行った。「俺だよ」と小さい声で言う。やはり何の反応も無い。
人違いのはずが無い。しかし、彼女は何の反応も示さない。

おかしい。自分の頭がおかしいのだろうか。「S」はバスを降りて行ってしまった。完全に記憶が無い人間のごとく目の前から消えた。
「S」だけど、「S」でない。
息が止まった。本当に息が止まった。


2009年10月6日(火)

杜甫草堂に行く。パンダカードで免費。
相変わらずに人が多い。国慶節の休みだからではなく、何時でも何処でも中国の城市は人が多いのだ。
人口600万のこの成都市も例外ではない。市内のあちこちでマンション建設が盛んだ。なおかつ、郊外の建設ラッシュは更にすごい。商業街、住宅街ともにその勢いは留まる所を知らない。ただ、数年前からまだ工事中の様なビルも見られるし、完成したのに既に中古の建築物になっている様なビルも見られる。どの様な経済状態なのか解からない。
只間違い無いのは郊外へ向かって街が膨張しているという事だ。


2009年10月9日(金)

今日も朝から雨だ。日曜以来、太陽を見ていない。
屋頂花園は雨が降るとジメジメしてとても居心地が悪い。ベットも吊るしてある衣類も湿っ気たっぷりとなる。天井などは少し気温が下がると結露したりもする。

屋頂花園は今住んでいる部屋のルームナンバーなのだ。

急に寒くなったので、衣類の買い物をする。長袖の上下の下着と定価249元のオープンシャツを買う。これで当分は大丈夫だろう。


2009年10月10日(土)

今日も朝から雨だ。
完全に沈没してしまった。旅ではなく、生活として滞在している状態になった。
旅と生活と何が違うのだろうか?滞在の日数でないことは確かだが。
では、旅とはそもそも何なのだろうか?
芭蕉の「奥の細道」紀行や英国女性のイザベラバードの「日本奥地紀行」は典型的な旅だと思うが、芭蕉などは同じ場所に確か二週間ぐらい滞在していたようにも思う。旅の中の長期滞在。
生活の糧を得る為の移動は旅とは言わない。富山の薬売り、今はもう居ないのかなあ子供の頃に紙風船をもらった記憶がある。毎年同じ人が来て薬を補充していった。そんな箱が家に二個有った気がする。彼らの移動は旅ではなく、単なる移動であり仕事として旅をしているので本来の旅ではない。
その昔人間は生活の糧を得るために移動し、気候の変化や獲物の多寡によってその土地から新しい土地へ移って行ったにに違いない。いわゆる、物見遊山が目的の移動はつい最近のことと思われる。この物見遊山の移動を旅と言うのだろう。「生活の為」と言う括りをはずした移動、「物見遊山」の移動が旅と言うものだと思う。
物見遊山が無い長期滞在は果たして旅と言えるのか?

沈没が長くなると、くだらない事を考えてしまう。


2009年10月11日(日)

今日も雨だ。


2009年10月12日(月)

そろそろ移動しよう。

四川省の西部「カム東部地方」と北部「アムド地方」のチベット地域に行こう。
城北汽車站で15日の切符を購入した。

最初に並んだ窓口で、日時と行き先を書いたメモを見せると「没有、オールソルドアウト」と言う。三日も先の切符が全て売り切れと言うのもおかしい。それではその前の「7時発」のと聞くとまた「没有」と言う。そして隣の窓口に行けとの仕草をする。隣の窓口は案内の窓口だ。そこで同じくメモを見せると先ほどの窓口の女性となにやら言葉を交わして英語で「切符は売り切れなので、新南門汽車站に行ってそこ出発の切符を買いなさい。55路のバスに乗っていきなさい。乗り場は道路の反対側です。」と言う。納得いかないがそこまで言われては仕方が無い。
しかし諦めきれず、城北汽車站の目的の方向へのホームを見てみようと待合室に入ってみる。何番かと見ると、一番端の17番がそうだ。辺りを見回すと、待合室の中にも切符売り場がある。窓口が三つ有り何れも二三人しか並んでいない。空いた窓口の所で先程のメモを見せる。窓口の女性がパソコンのキーをパタパタと打ち、メモに121と書いてよこす。200元を窓口の中に入れると、79元のおつりと切符をよこした。

おい、如何なっているんですか?しかも、座席番号が1番ではないですか。一番早く予約したと言うことなんですよ。如何いう仕組みか理解できないし、最初の窓口と案内窓口の対応はどお言う意味なんでしょう。理解不能だ。それが中国と言えばそれまでだ。
結局、当初求めていた15日の切符が城北汽車站で買えたのだ。


2009年10月13日(火)

パンダその物にはあまり興味は無いが、成都市と今までお世話になったパンダカードの義理でパンダ繁殖基地の見学に行く。

何頭のパンダが居るのだろうか。10cm位の大きさの赤ちゃんパンダや、手の上に乗りそうな大きさや、丁度小脇に抱えて歩けるような大きさや、5~60kgの成獣までそろっている。数十頭のパンダが、広い敷地のあちらこちらのパンダ舎に飼われている。パンダファンだったら一日中見ているだろう。
人間がぬいぐるみを被って、観光客を楽しませる為に滑稽な仕草をしながら動いているのではないだろうかと思わせる。その仕草、その動作はそれ位面白い。いや、やっぱり優秀なコメデアンが中に入って動いているに違いない。そんな動作をしていたのではこの弱肉強食の自然淘汰の世界で生き残れるはずが無い。そんな気がしてならない。

国慶節も終わり、それぞれ目的の方向へ旅立っていった。日本人の中で滞在日数ベストスリーに入ったようだ。やっぱり移動しよう。
コメント
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