うちの芝生が一番青い

Tokyoに暮らす、ごくごく平凡で標準的な【ナイスサーティーズ】の奮闘記。

書評  ~ 関係の空気・場の空気

2009年10月01日 | 書評
本日は書評です。




今回読んだのは 「関係の空気・場の空気」 冷泉彰彦著


日本語という言語はそのコミュニケーションにおいて、言葉以上に「空気」が大きな要素となっている。

「空気読めない~KY」の、あの「空気」である。


その「空気」が生み出してしまっている、現代の様々な「問題点」をとりあげている。


なかなか興味深いアプローチの本だ。


本書では

「関係の空気」~ 1対1のコミュニケーションにおける「空気」

「場の空気」~ 3人以上のコミュニケーションにおける「空気」 と定義付けている。


日本語というのはストレートに表現しないことがとても多い・・・。

「省略」「婉曲」「隠語」などなど。


それらのことをお互いが理解し、共有していることがコミュニケーションの「ベース」となってきた。

これは本来「日本のよき文化」であったのだ。


しかし現代社会では(特にバブル以後)、「価値観」「常識」といったものが多様化し、

この「ベース」があやしくなってきた。


お互いの「利害関係」や、「自尊心」を認め合うことが複雑で難しくなり、

このことに日本語の機能が追い付かなくなったというのである。


そして各個人のコミュニケーション能力も、確実に低下してきているらしい。



すなわち「空気」が読みにくくなってきたのだ・・・。

なんだかわかるなぁ。


少子化問題、いじめ、自殺者の増加・・・などの諸問題は、この「空気」が起因していると説いている。



ちょっと面白いと思ったのが「コードスイッチ話法」というもの。

「です・ます」調と「だ・である」調がコロコロ入れ替わる(本来おかしな)話法である。


これで有名なのが「小泉さん」「みのもんた」「金八先生」

例をあげると・・・


「皆さんは、構造改革というと痛みを伴うものだと思ってらっしゃるかもしれません。

だが、本当にそうだろうか。確かにそうかもしれません。


でも変革を先送りする痛みもあるんだ。抵抗勢力はその痛みがわからないんだ。

いや、変革の痛みを口実に既得権を守るのが、あの人たちのホンネなんですよ・・・。」


といった具合だ。

リズムやテンポがいいので耳にスルスル入ってくる。


でも、この話法で迫られると、なんだか威圧的で「反論の余地」がない。


これは「空気」を考える上では、ちょっと問題のある話し方だとしている。




こんな問題だらけの現代の日本語だが、著者は「処方箋」も最後に記してくれている。



・省略しないで「ちゃんと」語ることで、ちゃんと伝える。


・「です」「ます」を日本語の「フォーマット」にする。

 このことでお互いが対等になれる。タメ口なんかよりずっと対等な関係になれる。

 このことを学校教育で教えていくべき。


・大切なのは会話に参加する人間の「対等性」をキープすることである。

 敬語は「対等性」「公共性」を確保するためのフォーマットである。





敬語は「日本を救う」か・・・。