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田舎暮し万歳!

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嫁の泣き石/麻績の歴史を学ぶ会

2008-06-19 09:27:56 | 旅、歴史、文化

18.june.2008
麻績村の下井堀地籍に、高さ80cm位の「嫁の泣き石」と「化粧井戸の址」があります。
『昔、善光寺街道を歩いて来た嫁入り行列が、この石の前を通り過ぎようとした時、突然嫁がこの石にしがみつき、嫁に行くのが嫌だと泣き崩れた。そしてしっかりと石に抱きつき、泣き続けてこの世を去ったという、悲しい伝説の石である。
それからの嫁入り行列は、この石の前は通らずに南側に迂回し、細い作場道(=農作業道)を300mほど歩くようになった。
迂回して街道に合流する地点には井戸があり、その水面に顔を映し乱れた化粧を直してから行列は進んだ。』・・・
長老渡辺先生の現地講義は、街道、伝説、神社・仏閣、古墳など幅広い内容で、善光寺街道筋で生きてきた人々の暮らしが目に浮かぶようでした。



さて、この「嫁の泣き石」伝説、現代の農村にも通じるような気がします。
“農村へは嫁ぎたくない”=“農村の嫁不足”、それは当時の「農村の過酷な労働」よりも深刻な原因があると思います。
“嫁不足”と共に、なぜ“若者不足”なのか。各家庭が、そして地域が、自治体が、国が、今、最優先に考えるべきだと思います。原因が自分たちにあることも含めて。
山を守り、水を守り、農地を守り、食糧を生産し、人々が支えあい地域文化を守る、かつてはできた農村の当り前の生活が、今なぜ難しくなっているのでしょうか・・・。
農村には都会にない魅力が沢山あります。“若者が住みたくなる村、嫁の来たがる村”、実現に向けみんなで農村の魅力を掘り興そうではありませんか。

日本の滝100選「米子大瀑布」

2008-05-23 19:07:51 | 旅、歴史、文化

22.may.2008
 上信越自動車道須坂長野東インターを降り東方の米子川へ向かう。人里を過ぎる付近で5~6頭の猿の群れに遭遇、車は米子川上流へ向かう。落石注意の看板の通り道路には沢山の小石が転がっている。道幅は狭くカーブが多く、ガードレールも十分でない危険な道を進むと最終地点の無料駐車場に到着する。インターから約45分、渓流の音と小鳥のさえずりが新緑の中で響く別天地だ。



 いよいよ米子大瀑布を目指し登山開始。米子川源流沿いの遊歩道を登ると、あちこちに二輪草の群生が山の急斜面を埋めている。中には三輪、四輪の花を付けているものがある。ジロボウエンゴサク、エンレイソウ、スミレなども競って咲いている。







 渓流の流れが歩道に近づき、怖いくらいの場所もある。
 途中の休憩ベンチを過ぎると、右手に不動滝が突如現れる。高さ85mの大きな滝が落ち、大量の水が足元を流れて行く。更に、急な歩道をしばらく登ると奥の院に到着する。右手を200mほど登ると不動滝の近くまで行けるとのことであるが、そちらへは行かず左側の滝、権現滝の下へと進む。高さ75mの滝から落ちた水は、残雪の横を大きな音を立てて流れて行く。
 そして、二つの滝のビューポイントへと急ぐ。
 すご~い! すご~い! 壮観! 
二つの滝の対面にある米子鉱山跡地に近づくと、不動滝と権現滝が手に取るように見ることができる。正に絶景のビューポイントである。



 昔は硫黄の掘削鉱山があり、その労働者用宿舎や、精錬工場、分校などの跡地が点在している。
 分校跡地近くのあづまやで米子大瀑布の見納めをして、駐車場への遊歩道を降る。登りとは異なり熊笹の多い殺風景な林の中を、足元に注意しながら降り駐車場に無事帰還する。
 約1時間30分のコース、天候にも恵まれ爽やかな汗を流すことができた。日本の滝100選「米子大瀑布」は、秋の紅葉の時期には駐車場待ちが1~2時間になるとのことであるが、是が非でもその時期に訪れたい。


信濃札所第11番 仏智山明真寺(清瀧観音堂)

2008-05-23 04:39:42 | 旅、歴史、文化

21.may.2008  松代豊栄小学校S先生にご案内を頂き、奇妙山の裾の清瀧観音堂へ。本尊は私の護尊千手観世音、身体健康を祈る。



そしてイラクサ(刺草)の繁茂する森をしばらく登り阿弥陀堂へ、感激したのはその奥の清滝、水量は多くはないが絶壁から降り注ぐ渋きと周囲の岸壁に圧倒され、身も心も洗われる気持ちになる。秋の紅葉時には絶景となるだろう。



新たな発見!