茶山守廣・隠岐三味線ブログ

名残尽きぬに 銅鑼が鳴る今宵

西郷港は 小雨も降らぬに 袖しぼる

        (隠岐民謡・しげさ節)

お土産

2009年02月18日 | 気まぐれ日記
今回の3泊4日の旅では沢山の「お土産」と「義理チョコ?」を頂きました。
男ばかりの6人旅であり全くもって色気なしの旅でもあった(いつもそうですがね(笑))))

出発が14日であり世の中は?バレンタインデー、多くの方々からチョコレートを頂いたが、どういう訳かもらった数は私がダントツの1位、いくら義理とはいうものの悪い気はしない(笑)

以前からこれは絶対にチョコレート業界の陰謀?だと思っていたが、いざ貰ってみるとそんなにも悪しき慣習ではないかな?と感じる、全くもって優柔不断な自分でした???

隠岐民謡と隠岐三味線PRの旅?

2009年02月17日 | 気まぐれ日記
本日の午後3時過ぎに3泊4日の旅から帰って参りました!
ブログの更新もなんだか久しぶり?といった感覚です(笑)
今日は簡単にご報告まで・・・個々の細かな内容につきましてはまたの機会にでも・・・

14日(土)毎年この時期に開催する恒例の「隠岐民謡講習会」(会場:北田辺「味道館」)も会を重ねること今回で第13回目、定着とともに年々盛り上がりをみせて今回が最も多い参加者であったと思われる。
思い起こせば自分は第1回目から参加しております。
年々狭さを感じる会場ではあるが、皆が押し合いへし合いの状態のほうが却って親近感を覚えるのでは?と勝手な解釈をしているのだが?如何なものであろうか?

15日(日)「紀州路民謡全国大会」に向け午前6時起床のハードスケジュール、天王寺駅から紀州路快速で一路和歌山へ・・・
どうしてそんなに急いで和歌山へ?と思われることでしょう、ましてや我々が出番の舞台は午後5時前後である。
これにはそれなりの深い訳があります(笑)我々出演者5名の外に観光協会職員が1名同行しており、「隠岐観光」と5月に開催される「しげさ節全国大会」のPR活動をしなくてはならないのだ・・・午前9時前に会場入りした。
第7回目を迎える大会も定着の兆しあり、県知事が舞台上で挨拶するのもその証であろう。

16日(月)日本民謡「ゆかり会」(湊由加里会主)本部教室を訪問、隠岐民謡並びに隠岐三味線と隠岐観光をPRする場を提供して頂きました。
終了後には会員の皆さんと一緒に会主宅に場所を移し、「民謡であそぼ」ではないけれど(笑)賑やかに交流会を開催、しかも料理は全て会主の手作りによるものである・・・ごちそうさまでした。
なんと!嬉しいことにここの会でも隠岐の民謡に興味を持っている会員さんがおられた。
会員さんが唄う「隠岐相撲取り節」の伴奏を会主と一緒にしました(写真)

と云うことで(笑)・・・今回の旅も多くの新たなる出逢いがあり、そしてネットを通じて知り合った方との初めての出逢いもあった。
日本人の心“民謡とは偉大なり!”またまたこのことを強く感じた旅でもあった。


2009年02月14日 | 気まぐれ日記
今日の隠岐発15:15分の伊丹行きの便にて出発、18:00より毎年恒例の北田辺での「隠岐民謡講習会」、翌早朝には和歌山に向け出発し和歌山県民文化会館での第7回「紀州路民謡全国大会」の舞台です。
現在時刻は午前1時、窓の外は雨嵐となり天候が気になるところです。
明け方の天候次第では何らかの方法で、本土?(本州)まで先に渡ることを考えなければ・・・島外に出掛けるときにいつも気になるのが天候だ、これも島国に住む者の宿命なのだろう、いつものことながらヤキモキさせるが、自分はそれでも島が大好きである。
勿論のこと自分が生まれ育ったところであるからと云うのが第一ではあるが・・・長い間ふる里の民謡に関わっている自分としては尚更のことそのように思う。
仮に何かと便利の良い松江市に住んだとしても、隠岐民謡の三味線にこだわり続ける以上、年数が経つとともに自分の三味線は隠岐の匂いが消えるであろう。

話が横道にそれてしまいました(笑)さて写真はもうかれこれ30年近く使用している「袴」です。
アイロンがけを済ませ準備OKだ!袴の紐は常にピシッとなっていなければ絶対に許せない?自分のこだわりでもある。
そしてもう一つのこだわりは、紐をこれでもかと云うほどキツク締めることだ。
自分はそうしないと舞台に上がったときに気合いが入らない。
元横綱の千代の富士が土俵に上がるときは、まわしに水を含ませながらガチガチに締めたそうだが、自分には充分過ぎるくらい?よくわかる。

明日の穏やかな天候を祈りつつ寝るとしよう・・・それではおやすみなさい・・・

一夜が明けました!(笑)
昨夜の春の嵐がまるで嘘のようにおさまり、春を思わせるような晴天となりました。
やっぱりこれも日頃の品行方正?良い行いのせいでしょうね~、それしか思い当たりません(笑)))))

プロフィール&芸名の由来

2009年02月13日 | 気まぐれ日記
昨日の日記で国村千鳥のプロフィール並びに芸名の由来等につき紹介しようと思っていましたが、ついつい親友の音羽の仙人ばりの長文になってしまいました(笑)
本文の文字数は1000文字までですが、危うくそれを越えそうになったので今日紹介します。
まずその前に?彼女の生まれ育った海士町にある「後鳥羽上皇御火葬塚」(写真)の紹介です。

承久の乱により隠岐に配流になられた後鳥羽天皇は、在島19年後の延応元年(1240年)2月、60歳で崩御されました。
遺骨の大部分は今の御火葬塚に納められましたが、明治6年、明治天皇の思し召しにより、大阪の水無瀬神宮に合祀されました。
上皇は隠岐での19年間の生活のなかで多くの歌を詠んでおります。

「国村千鳥プロフィール」
島根県隠岐郡海士町出身
幼少より母の宇野ツギに隠岐民謡を習う
上京して小沢千月師の門を叩き指導を受け、昭和54年東芝EMIから
「隠岐おわら節・飯能臼ひき唄」でデビュー
そのスリムな容姿と明るい性格、隠岐の香りに満ちた艶のある歌声で
多くのファンを得て、今やテレビ・ラジオ・舞台に活躍中

尚、「千鳥」の芸名は隠岐ゆかりの後鳥羽上皇の御詠歌

“隠岐の海を 一人や来つる さよ千鳥 啼く音にまかふ 磯の松風”より小沢千月師が命名した

因みに島根県松江城も別名「千鳥城」と呼ばれている

国村千鳥ふるさとコンサート

2009年02月12日 | 気まぐれ日記
“民謡歌手はいつも自分の背中に「ふるさと」を背負ってなければならない”これは隠岐の歌姫こと国村千鳥の師匠でもある小沢千月師の持論である。
なるほど!・・・と考えさせられる深い意味を持つ言葉でもあります。
裏を返せば“ふるさとの人たちから支持されないような歌手ではいけないよ”という意味も含んでいるのか?
国村千鳥はそれを忠実に守りながら、ふるさと隠岐の人たちの力強い応援を背に民謡歌手として成長した。

写真のポスターは2000年(平成12年)3月、昭和54年に民謡歌手としてレコードデビュー以来苦節20年余、ふるさと隠岐は勿論のこと周りの人たちの熱い応援を受け、満を持して初めて開催した「国村千鳥ふるさと隠岐を唄う」コンサートの記念すべきポスターです。
このときは関東方面は勿論のこと、広島や遠く長崎からも彼女の支援者が続々と応援に駆けつけた。
このポスターは彼女が初めて「ふるさとに錦を飾った」想いの詰まったものでもあり、私は今でも大切にして我が家の稽古場に貼っております。

そして第2回目を7年後の2007年8月に開催、折りしもこの年は彼女の民謡歌手生活30周年の年でもありました。
このとき来賓として出席していた彼女の生まれ故郷でもある海士町の山下道夫町長が、“しまった!島後(隠岐の島町)の人たちに先を越された”と悔やんだという話しを後日に聞いた。
因みにこのときは彼女の中学校時代の同級生が中心となって開催したコンサートでもあった。

そして今回は海士町町制40周年の年でもあり、海士町長はじめ彼女の地元の人たちの大変な盛り上がりにより、今年の6月7日(日)海士町での開催が決定した。
前回に続き今回も彼女が日頃お世話になり可愛がって頂いている、日本一の舞踊団と呼び声の高い民族芸能文化連盟(民文連)の新倉武理事長はじめ舞踊団「若竹」の皆様が、大挙して応援に駆けつけ華麗な踊りで舞台に華を添えてくださいます。
かく申す私も?彼女とはもう20年以上の付き合い、お互いにいつも励ましあって隠岐民謡の普及に頑張ってきた仲間、いわゆる「同志」でもあり何はさておいてもここは一番!応援に駆けつけなければ男がすたる。
伴奏の機会を与えられたら精魂込めて必ずや“一世一代”の三味線を弾いてみせる!!!

それいけ!民謡うた祭り

2009年02月11日 | 気まぐれ日記
昨年の出雲市民会館での11月28日(金)収録・12月13日(土)放送、NHKの音楽・伝統芸能番組部 民謡番組班のHP「民謡なんでも広場」に本番での様子が写真入で紹介されました。
バックには島前・島後の隠岐諸島の模型地図がデカデカと掲げられています。
(写真はゆかりさんが唄った「しげさ節」のワンシーンです)

このHP上では「それいけ!民謡うた祭り」「民謡をたずねて」「日本の民謡」が、その都度更新紹介されますが、今回の「それいけ!民謡うた祭り」では運良く?放送時期が昨年の12月13日(土)であったため、年賀状には“テレビ見ましたよ~!”とのコメントを添えたものがたくさんありました。
“さすがに全国ネットだ!テレビの力は凄いものだ”と実感した。
(隣りで本條秀太郎師匠と本條秀五郎師が、じっと耳を傾けておりさすがに緊張した(笑))

何よりも大々的に隠岐をそして隠岐の民謡を全国に紹介することが出来たことに満足している。

再会

2009年02月10日 | 気まぐれ日記
昨日の午後携帯に着信音が“もしもし!茶山さんですか?NHK広島放送局の松○です、いま仕事で隠岐に来ています”
元気の良すぎる?声が耳に飛び込んできた(笑)
彼とは一昨年に三朝町で収録があった「民謡をたずねて」そして昨年の11月県内の出雲市で収録の「それいけ!民謡うた祭り」のときにお世話になりましたが、三度目の出逢いがまさか隠岐で逢えるとは・・・
早速逢うことになったが、二人の話のなかで思い出した“まだ時期は未定だが来年は仕事で隠岐に行くよ!”と聞いたような記憶はあるが?期待しないでいた(笑)

夕方に仕事が一段落した彼をホテルまで迎えに行き妻の店に案内した。
身体も声もでかい?彼は頼もしくそして酒豪でもある、話も大いに盛り上がりアルコールに弱い私はチューハイを飲んでいたが、いつの間にか顔は真っ赤になりました(笑)
頼もしい野武士?を感じさせる彼は食べ物も気持ちが良いほど食べてくれた、嬉しい限りである。
ホテルへの帰り道で知り合いのスナックに立ち寄った。
互いにカラオケとなったのだが、彼から聞いた通りマイクは不要だと実感した(笑)
さすがの彼も今朝は4時半起きだったようでお疲れモード、ホテルまで送り届け?またの再会を約束して別れたが、今朝は元気な声で“今から帰ります”との連絡があり安心した。

仕事で西ノ島町には来たことはあるが、隠岐の島町は今回が初めてとのこと、印象はどうであったのか?次回逢ったときに正直な?感想を聞くことにしよう(笑)

ライオン岩

2009年02月09日 | シリーズ「隠岐の景勝地」
久々の隠岐の景勝地シリーズです!隠岐は四つの住民島からなり、西ノ島町・海士町・知夫村の3島を総称して「島前」(どうぜん)、私たちが住む隠岐の島町を「島後」(どうご)と呼びます。

写真は島後の北端にある白島(しらしま)海岸の「ライオン岩」です。
お腹いっぱいになったライオンが、ゆったりと寝そべり前方を見つめているように見えませんか?
ここ白島海岸は浄土ヶ浦海岸と並び、島後の代表的な景勝地でもあります。
海の色はあくまでも蒼く、白い岩肌に松の緑が一際映えて、何とも云えないコントラストを醸し出していますが、島前の景勝地でもある国賀海岸の勇壮さに比べると、非常に優雅な印象を与え、女性的な美しさであると形容されております。
隠岐は各地の海岸のあちらこちらで奇岩奇勝が見られますが、このライオン岩にしても日本海の荒波が、何百年何千年もの永い年月をかけて造りだした造形美ではないだろうか。

春の訪れとともに観光シーズンともなれば、遊覧船のスピーカーから新民謡「白島音頭」が聞こえてきます。

♪いきな白島エー いなせな姿 ハ、スッチョイスッチョイスッチョイナー

 いつも絵になる サー唄になる ハ、ドッコイコラサノドッコイショ


♪ここは天国エー 夢みる心地 白島巡りは サー船の旅

茶山駅?

2009年02月08日 | 気まぐれ日記
「苗字館」というサイトがあるのをご存知ですか?
それによると、佐藤・鈴木・高橋・田中・渡辺・伊藤・山本・中村・小林・加藤というのが、日本で最も多い苗字のベスト10だそうです。
当然のことながら?「茶山」は入っていません(笑)自分でも珍しい苗字だと思っています。
その証拠に?簡単な認印を求める際に「チ」の欄をいくら探しても茶木・茶川・茶谷などはあるが茶山はありません。(日本の苗字の7割が入っています・・・と書いてあるのにね(笑))

ところがネットで検索していたら2件の「茶山駅」を発見しました。
福岡市の地下鉄七隈線の「茶山駅」(写真)京都は叡山電鉄の叡山本線に「茶山駅」がありました。
更に検索していくと飲食関係で、埼玉県所沢市にうどんの店「めん厨房茶山」、北海道中標津町に和食居酒屋の「和風ダイニング茶山」、茨城県取手市に「牛タンダイニング茶山」残念ながら?ここは「茶山」を「さざん」と読むそうです。
飲食関係ではありませんが、岡山県に「茶山農園」というのがありました。

まだ外にもご存知の方がおられましたら教えて下さい。
そのお礼としての品はありませんが?、私から“ありがとう!”のメッセージを差し上げます(笑)

ホテル

2009年02月07日 | 気まぐれ日記
民謡関係で出掛けた折には殆んどビジネスホテルを利用する。
どこの大会・発表会・記念行事などにお邪魔しても、隠岐からだと必ず2泊を要することになる、ましてやただ寝るだけのことだから、グレードの高いホテルは必要ない。
勿論のこと予算的なことが第一ではありますが・・・(笑)
今までに数限りなく各地のホテルに泊まったが、いずれも料金設定はどこも似たり寄ったりである。
ごく稀に招待的なことでお世話になることがあり、先方がグレードの高いホテルを設定することがあるが、いつも狭いシングルの部屋に慣れているので、妙に落ち着かないことがある(笑)
先日お世話になった茨木のホテルは豪華であったが、なぜか?落ち着いてぐっすりと寝た(笑)

今回の大阪と和歌山行きで、私は大阪に2泊することになる、このような場合は何処へ出掛けるのにも利便性の高いホテルを選ぶことになる。
この度はア○ホテル天王寺駅前に宿泊することにした。
ここは皆さんよくご存知だと思いますが、社長は帽子がトレードマークの女社長である。
全国どこの何の業界でも同じであろうが、特にこのホテル業界は熾烈な競争だそうです。
因みにこのホテルは過去に何度か泊まったことがある。

ネットで他に調べることがあったので、ついでに?このホテルのHPを覗いてみたら・・・
花ごころあふれるおもてなし いつもお客様のそばにホテル20,000室の安心を 信頼を目指すア○ホテルグループとあった。
北海道から沖縄まで全国67ホテルを展開しているそうだ。

JRを中心として地下鉄や私鉄などが集結する大阪有数の繁華街「天王寺ターミナル」のすぐそばにあり、天王寺はもちろん市内のどこへ行くにも至便なロケーションですので、ビジネスや観光の拠点としてどうぞご活用ください。
ここで断っておきますが、私は決してこのア○ホテルの回し者?ではありませんので(笑)