茶山守廣・隠岐三味線ブログ

名残尽きぬに 銅鑼が鳴る今宵

西郷港は 小雨も降らぬに 袖しぼる

        (隠岐民謡・しげさ節)

ソロバン

2009年02月23日 | 気まぐれ日記
写真は何の変哲もない普通の「ソロバン」です。
どうして今頃ソロバンなの?とお思いでしょうが、実はこれには色々と深い訳があります(笑)
昭和40年代の良き思い出と言いたいところですが、良き思い出どころか!大変苦労した思い出がこのソロバンを見るたびに蘇ります。

昭和41年の春に地元の高校(隠岐水産高等学校)を卒業しました。
就職は大阪市中央卸売市場の中にあって、全国各地からの鮮魚や乾物等々を取り扱う荷受会社の㈱大水(だいすい)という会社でありました。
3月3日に卒業式が済み、さぁ~就職の日まで友達とゆっくり遊ぼうか!と思ったのも束の間、会社からその月の10日までに来て下さいとのこと・・・がっかりしました(笑)

いよいよ寮生活が始まるので布団他の荷物は前もって送り、ボストンバッグ一つで大阪に向け出発、船と汽車を乗り継いで大阪駅に着いたのはいいが、田舎者としては初めての大阪で早速迷った。
駅の出口がわからなかった(笑)・・・

社員寮に落ち着き、その翌日からは4月初旬の入社式までの間に新入社員の研修が始まった。
そんなある日のこと“明日からはソロバン研修ですので準備してきて下さい”それを聞いた途端にめまいが?(笑)イヤな予感がしたことは言うまでもない。
翌日の研修の席では検定と称して個々のソロバンの実力をみることが始まった。
実力も何も自慢じゃないが生まれて此の方ソロバンなんか触ったこともない。
同期入社のなかには商業高校卒も多く、彼らの見事なまでの手さばきに圧倒された。
結果は・・・当然のことながら?極少数組の居残り組に晴れて?仲間入りとなる。

人差し指のみでの足し算・引き算をする俺達少数組(笑)指導者は愛想をつかせたような顔をしていた?まるで珍しいものを見るように???チクショウ!今に見ておれ!!!
当時は今のようにまだまだ電卓が普及されていなかった時代、ほとんど毎日のように居残り組の特訓は続くのでありました(笑)
そんな俺達に指導者の厳しい言葉が追い討ちをかける“ソロバンの出来ない者はウチの会社は要らない!”
しかし人間やる気になれば何とかなるもの、入社式までには掛け算や割り算も出来るようになりなんとか格好がついた。

そんな苦労をした思い出の品は捨てる気にならず、決して使うことはないが今も大切に残しています。