茶山守廣・隠岐三味線ブログ

名残尽きぬに 銅鑼が鳴る今宵

西郷港は 小雨も降らぬに 袖しぼる

        (隠岐民謡・しげさ節)

ときには民謡酒場?

2007年10月31日 | 気まぐれ日記
しげさ節の忘れしゃんすな 西郷の港・・・で知られる西郷港のすぐ前にある「おき食堂」です。
食堂兼居酒屋で、昼は食堂・夜は居酒屋として営業しています。

実はこの店は私の妻が経営しております。
以前は妻の両親が食堂として経営しておりましたが、両親の隠居に伴い妻が引き継いで現在に
至っています。

店は特別そのように宣伝している訳ではありませんが、どう云う訳か隠岐の島を訪れ立ち寄る
方々の中には、よく民謡関係のお客さんが来られます。
お客さんと妻の会話のなかで民謡の話でもでれば、ここぞとばかりに?妻が説明をするせいで
あるかも知れませんが・・・

ときには店がそのまま民謡酒場に変身?する場合がある。
妻から連絡が入ると急遽自宅から三味線片手に駆けつけることもあり、今日までこのようにして
親しくなり、現在もお付き合いを頂いている方々が沢山おられます。
お名前を紹介したいところですが数十人ということで・・・

思うにお互いに民謡を趣味とする者どうしは、すぐに意気投合して親しくなるものだということを
身を持って体験し実感しております。
互いにお国自慢の唄や三味線を出し合うなかで、自分も勉強になることが多くありました。
約35年間続けてきた我が民謡人生は、飽きるどころか益々入り込むこととなった。

”いゃ~民謡ってほんとうにいいもんですねぇ~” (どこかで聞いた台詞?)


万年筆ブーム

2007年10月30日 | 気まぐれ日記
「万年筆が静かなブーム IT時代も女性のステータス」と題した記事を目にした。
デジタル一辺倒の時代に、万年筆が売り上げを伸ばしているらしい。
ある大手の関連会社によると、売り上げは5年前に比べ5割増しになっているという。

それも輸入品を含め高価なものが売れる傾向にあって、客層も今までのような主として40代以上の
男性客中心から、最近は若い20代の女性客が多いそうだ。
担当者の分析によると、若い人たちはPCや携帯のメールの画一性に飽きたのでは?もっと自分の個性
や気持ちを伝えたいと思った人たちが万年筆を「発見」したのでは?
また、よい万年筆を持つことに一種のステータスを感じ、ブランド品を買うように今の若い女性が高級品を
求める傾向にあるのでは?と分析している。

私は個人的にはよい傾向では?と思います。
PC全盛時代の今日は字を書く機会が極端に減っている、意味を理解したり学ぶ機会もしかりだと思う。
自分もそうかも知れないが、確かにPCでの文書やメールなど誤字が多いように感じることがある。

もうすぐ年賀状を準備する時期になりましたが、年を追う毎に枚数も増えており自分の意に反して手書き
では対応しきれなくなっている。
最近では表も裏も印刷となるが、必ず空欄に自筆で何らかのコメントを書くように心掛けてはいる。
それは自分がもらった場合に印刷一辺倒よりも感じが違うからだ。

今は電話やFAXそしてメール等々急ぐときなどは確かに速くて便利だ。
しかし手軽さや速さのみを追求するあまり大切なものを忘れているような気がしてならない。
手紙や葉書の時候の挨拶にはじまり、結びの言葉などは日本の文化だ。
我々の代で無くしてはならないことであり、民謡においても同じようなことが云えるのではないだろうか?

写真は自分が愛用している万年筆です。
メーカーはウォーターマンで価格は?そんなに高いものではありませんが、もう10年来の付き合いです。
私はこう見えても(どう見える?)手紙や葉書を書くのは意外と苦にならない。
ただ、毛筆は自分から進んで?パスをすることに決めている。

毛筆といえば親友の群馬の天災(早速変換間違い? 天才です)○田さんだ!
今年も(来年も?)奇抜な年賀状を楽しみにしていますよ~。



我が家の「お祭り」?

2007年10月29日 | 気まぐれ日記
我が家独自の「お祭り」の日がある、その日は毎年5月の第二日曜日です。
そうです!それは「しげさ節全国大会」が開催される日です。

以前は隠岐の各地区ごとに盛大に行われていた祭りも段々と縮小気味となりましが、我が家の祭りは
年を追う毎に賑やかになるような気がしております。
そうなると当然のことながら台所組?は忙しくなりますが、家内の親友達がこの日とばかりに手伝いに
掛け付け、勝手知ったる?我が家の台所で大活躍します。
実は昨夜も台所組夫妻と我々を含む夫婦3組は、我が家で食事会を開催しました。

実はこいつらは(間違いました!この方々は?)いつも私を応援してくれる、有り難い追っかけ組?でも
あると同時に手厳しい評論家?でもあります。・・・(少々うるさいですけど

このお祭り当日は毎年決められたパターンがあります。
それは朝から料理の準備に取り掛かり、しげさ節大会の唄・三味線の上級の部が始まる時間になると
家内を先頭に軍団が?大挙して会場に詰め掛けます。
さぁ~全員が評論家でもあり厳しい目と耳を持つ審査員でもあります。
舞台上から会場を見渡せば・・・いました!それも毎年同じ席に!私にとっては何よりも恐い存在だ。

大会終了後には我が家へと飛んで帰り何かと準備に取り掛かる。
一方の私は場所を変えての打ち上げ会場に直行する。
この打ち上げを楽しみに毎年のように大会に参加する者もいて、以前はいつ終わるの?と思うくらいに
延々と続いたものでしたが、最近では諸事情により時間を決めて早めに切り上げるようになった。

さてここが終わっても私の長い一日は終わらない、次はゲスト陣を含め友人知人を我が家へと連れ帰る
大切な任務?があるからだ。
実はこの打ち上げの最中にも我が家から携帯に引っ切り無しに連絡が入る。
かくして我が家でのお祭りは時間無制限の勝負へと突入するのであった。(めでたし!めでたし!?)

写真は今年の5月 我が家でのお祭りでエプロン姿も艶やかに?隠岐相撲取り節を踊る妻です。
足を悪くしてからは滅多に踊らないが、この日はよほど気分が良かったのか踊った。

(写真は民謡歌手の横川裕子ちゃんが撮ってくれました)



第11回「しげさ節東京コンクール」

2007年10月28日 | 気まぐれ日記
PCは大変便利なものであることは認めるが、嫌いな面もある?先ほどこの記事を書いていてほとんど
終了かといった時に指がどこかのキーに触れたらしく、アッという間に消えてしまいました。
なんでやね~ん!一体全体どないなってるんや~!(なぜか大阪弁?)
なんですか!?お前の指が太いから?ほっといてくれ~

それでは気を取り直して・・・
来月11/10(土)標記のコンクールが豊島公会堂(写真)にて開催されます。
昨年は諸事情により一度お休みしましたが、今回から企画・運営組織などを一新し新たに再スタートする
こととなりました。
我々隠岐の民謡に携わる者にとって遠く東京の地で、このようなコンクールが開催されることは大変有り
難く感謝しております。

自分も今までに何度となく参加してきましたが、今回も更にパワーアップして隠岐の島の潮の香りを会場
に届けるべく気合を入れて頑張るつもりです。

「ふるさとは 遠くにありて 想うもの」

民謡関係者は勿論のこと遠くふるさとを離れ関東方面に住まいする郷土の出身者が、当日は多数会場に
詰め掛けあちらこちらで懐かしい隠岐弁が飛び交います。
”あんたが茶山さんかぇ~?私は○○の姉だよ!そいなら○○ちゃん知ってる?私達は親戚になるね”
今までこのような場面に何度となく遭遇しました。

歳を重ねるに連れふるさとへの想いが募ると云われますが、自分の趣味でもある民謡でこのような人たち
とふるさとを結ぶ架け橋となれることに幸せを感じます。
私の兄の同級生で隠岐の歌姫こと千鳥さんに唄と三味線を習っている○○さん!今年も行きますよ~!

「民謡で語ろう ふるさとの自慢」

当日の豊島公会堂は朝から晩まで一日中、隠岐の島一色に染まることでしょう。

町の紹介 海士町(あまちょう)

2007年10月26日 | 気まぐれ日記
海士町は島根半島の沖合い約60kmの日本海に浮かぶ隠岐諸島のなかの一つである中ノ島にある。
隠岐諸島は大小180余りの島からなっており、そのうち人が住んでいる島はわずか4島です。
それぞれの島で1島一町村を形成し、4島のなかで一番大きい丸い島が私の住んでいる「隠岐の島町」です。

海士町は人口約2500人、1221年の承久の乱に敗れた後鳥羽上皇の配流(はいる)の地でもある。
隠岐民謡「新しげさ節」の歌詞・・・

後鳥羽御陵の松の風 池の蛙も忍びなく おぼろ月夜にふいごを吹いて

  京都(みやこ)恋しや御番鍛冶(ごばんかじ) 隠岐は歴史に 古い島

今もなお往時を忍ばせる後鳥羽上皇御火葬塚がこの地にある。

また海士町は隠岐民謡「キンニャモニャ」発祥の地としても知られ、毎年8月にはキンニャモニャ祭りを開催
しており、この日は海士町のみならず全島挙げての賑やかな祭りとなる。
最近では特産の隠岐牛や岩ガキの東京進出、そして女優の西川峰子が嫁入りした島として話題になった。

また隠岐の歌姫こと民謡歌手の国村千鳥のふるさとでもあります。
故郷を大切にする彼女はこのキンニャモニャ祭りは言うに及ばず、年に何度となく帰省し我々民謡関係者は
もとより、親戚や同級生達との交流を図っています。

写真は島の玄関口でもある菱浦港(ひしうらこう)にあって完成なった、今では町のシンボルとなった感のある
承久海道(じょうきゅうかいどう)キンニャモニャセンターです。

三ツ拍子

2007年10月25日 | 気まぐれ日記
民謡に手拍子は不可欠なものですが、隠岐には独特な手拍子の「三ツ拍子」なるものが古くからある。

数ある隠岐民謡の中でも特に「隠岐追分」と「どっさり節」にはこの三ツ拍子がピタリとはまる。
言葉で説明しても解りにくいかも知れませんが・・・

一・二と手を打ち 三・四と休み 五で手を打ち 六・七・八と休む
  (ポンポン)              (ポン)

ここで大事なことは、一・二と手を打つときに・・・一は弱く、二は強く打つ

この繰り返しで手を打ち唄に合わせますが、二の手拍子から唄を出すのが特徴です。

おそらく先人の知恵の結晶であると思われますが、まだ三味線などが普及されてない時代に車座になり
皆がこの手拍子を打ちながら唄ったのではなかろうか?
これといった娯楽のない時代に一日の仕事を終え、夕食後に近隣の人たちが一軒の家に集いこの手拍子
を打ちながら老若男女が賑やかに唄いそして踊ったのではないだろうか?
古き良き時代に想いを馳せるとき限りないロマンを感じます。

実はこの三ツ拍子が自分の三味線奏法に大きな影響を与えました。
初めの頃はそんなに気にも留めてはいませんでしたが、どっさり節・隠岐追分を演奏する際この三ツ拍子
を頭に思い浮かべながら演奏するとしないのでは雲泥の差があることに気付きました。
これを頭に叩き込んで演奏すれば自ずと「撥付け」や「間」の取り方も変わってきます。

先日のブログに自分なりの考え方ではあるがと前置きし、隠岐民謡の三味線はどっさり節のリズムが根幹
をなしているのでは?との説を唱えました。
勿論のことこの考え方は変わっていませんが。

この三ツ拍子を考案された先輩方は素晴らしい!と思う。
古老の人はこの三ツ拍子の手を打ちながら唄うことが出来るが、若い人たちには殆んどと云ってもよいくらい
出来る人がいないのが実状である。
言い換えれば唄も三味線もそれだけ複雑で難しい曲であることは間違いない。

隠岐民謡そして先人達は偉大なり!・・・


歌詞

2007年10月24日 | 気まぐれ日記
忘れしゃんすな 西郷の港 港の灯影(ほかげ)が

       主さん恋しと 泣いている

隠岐の代表的な民謡「しげさ節」の歌詞です。

殆んどの人はしげさ節といえばこの歌詞を思い浮かべることと思います。
民謡に限らず歌手は歌詞の意味をよく理解して唄うことが大切であると云われております。
しかしながら人によって解釈の違いがある、ましてや作詞をされた方がもうおられないという場合は
確かめることも出来ないから、色々な解釈が出てくることも事実である。


橋の向うで チョイト出逢(でお)うてはなせ はなせよはなせよ

       心にあること みな話せ

これもしげさ節の歌詞ですが、皆さんはこの「はなせ」をどのように解釈されますか?
殆んどの人は「話せ」と解釈されると思います。
実は私も初めはそのように解釈しておりましたが、あるとき先輩から説明を聞いてなるほど!と思った。
その先輩は「離せよ」と解釈していたのです。

これは先輩から聞いた説明に私の主観も入っていますが・・・
・・・橋の向うで(橋の袂?)以前から想いを寄せていた恋しい女(ひと)に出逢ったものの、その女は
何事もなかったように冷たく通り過ぎようとした。
男はその人の着物の袖を掴み引き止めようとしたが、嫌がって離せよ!離せよ!と云うものの離して
はくれない、男は自分はこんなにも想いを寄せているのにどうしてか?貴女の胸の内を聞かせて下さい
お願いだから話してくださいと哀願した。
思うにこの二人は以前は恋人同士だったのでは?
いきなり袖を掴むのは現代版セクハラだよなぁ~・・・

「話せよ」の解釈では歌詞を見る限りあまりにもくどいと思うが?
皆さんの解釈は如何でしょうか?

それともこの「離せよ」の解釈にも無理があるのかな?


スピーチ

2007年10月23日 | 気まぐれ日記
昨夜はぐっすりとよく寝ました!ピッタリ7時間の睡眠でしたが・・・

さて、昨日のブログにて「あがり症」について少しだけ触れましたが、子供の頃の極度のあがり症が
直ったのは本当なんですよ。
長年の民謡活動で何度となく舞台に上がっているうちに直ったのかな?
実はほかに思い当たる節もなくこれしか考えられません。

直ったどころか?歳を重ねるにつけ最近では逆にスピーチ大好き人間になったのでは?と自分でも
思うようになりました。
(なに!単なるおしゃべり人間だとほっといてくれ~)

よく、○○民謡会○○周年記念発表会の中間あたりで式典があります。
まれに政治家の先生がいの一番に登場し挨拶する場面に遭遇することがありますが、なんの為の
挨拶なのかよくわからないことがあります。
確かに流暢な喋りではあるが得てして本題と離れている場合が多い、先生この場は国会報告会では
ありませんよ!・・・と言いたい気持ちになることがある。

勿論のこと時と場合があるが、入れ替わり立ち代り挨拶する人が美辞麗句を並べ立て褒めるよりも
むしろ会主との出逢いや日頃の悪行?などをユーモアを交えながらの話のほうが聞いていて飽きず
むしろそのほうが民謡関係の式典には相応しい?と私は思うのだが。
とは言うものの威厳を大切にされる会主さんがおられることもあるので・・・

一口にユーモアと云ってもこれが大変に難しいことだ、私の友人の中でこれの使い手は群馬の天才
(災?)○田さんがピカイチだと思う。
彼はよく○○だ!バカ!馬鹿野郎!と口走るが、云われたほうも全然気にならない。
むしろ余計に親しみを覚えるくらいの気持ちになる。
当然のことながら彼の人間性もあるがフォローも完璧であるからだ。

彼に質問したことがある。
どうしてそんなに喋りが上手くて人の気を引くことができるの?・・・と
彼曰く”いやぁ~そんなことはありません!他の人より頭がいいだけですから”

それを聞いた俺は思った・・・まだまだ修行が必要だ!・・・


梅若会創立45周年「民謡まつり」

2007年10月22日 | 気まぐれ日記
行って来ました大阪へ!隠岐からは私一人だけの参加でしたが、上本町にある○ホテルでの記念行事
とパーティーがありました。
(写真はパーティー会場にて二代目梅若梅朝(孝子)先生と・・・)

後半の家元コーナー、秋田宗家ご一行の唄や踊り、会主の娘で副会主の梅若晶子さんと彼女の津軽三味線
の師匠でもある竹田傑さんとの曲弾きを交えた三味線合奏、最後は山本謙司さんの津軽民謡へと続く流れは
聞き応え見応え十分であった。

暫しの休憩の後パーティーが始まったが、今宵の参加者は会員はじめ来賓を含め350~360名とのこと。
ホテル4Fの大広間はほぼ満員状態、「竹」のテーブルへと案内されると隣は山本謙司さんだった。

宴会でのスピーチをと会主から云われていたがそのときがきた、司会の方が皆さん恐れ入りますがスピーチ
は1分以内でお願いしますとのこと・・・えぇ~1分以内で20分間くらい話すつもりだったのに(ウソです
壇上のマイクの前に立つとさすがにこれだけの人数!圧巻である、誰に話しても信じてもらえないが子供の頃
には極度のあがり症であった、それがいつの間にか大勢の人の前に立っても平気でいられるようになった。
それを克服できたのは長年続けてきた民謡のなせる業?であろうか・・・

パーティー終了後にホテルの21Fに案内され行ってみるとそこはラウンジであった。
会主をはじめ会の幹部やゲストを交えての二次会会場である。
そこが終了したのが11時半頃か?その後私を含め有志?3名で約束していた会員の○崎のおっちゃん宅へ
都合の良いことに?この方はマンションに悠々自適の一人住まいである。
なんだかんだと話に花が咲きタクシーでホテルに帰り時計を見たらピッタリ午前3時だった。
そのままバタンキューとベッドに横になり朝を迎えました。

今こうしていても半ば睡眠状態だ、おやすみなさい!(誤字脱字ないかな?)





やって来ました「一風堂」

2007年10月21日 | 気まぐれ日記
今夜は携帯からの投稿です。
今日の出雲空港経由便にて大阪に来ています。明日の梅若会45周年記念行事とパーティー出席のため上阪しました。

宿泊はいつもの梅田の新○急ホテルです。
いつもですと連れがいますが今回は自分一人だけ、さて夕食はどうしようか?と考えましたが一人でもやっぱり来ました「一風堂」に…
若者に混って並んで順番待ち、約10分くらい待ったら店内に入ることができました。
注文はいつものあっさり味の白丸と明太子ご飯だ、〆て970円の夕食となりました。