茶山守廣・隠岐三味線ブログ

名残尽きぬに 銅鑼が鳴る今宵

西郷港は 小雨も降らぬに 袖しぼる

        (隠岐民謡・しげさ節)

プロフィール&芸名の由来

2009年02月13日 | 気まぐれ日記
昨日の日記で国村千鳥のプロフィール並びに芸名の由来等につき紹介しようと思っていましたが、ついつい親友の音羽の仙人ばりの長文になってしまいました(笑)
本文の文字数は1000文字までですが、危うくそれを越えそうになったので今日紹介します。
まずその前に?彼女の生まれ育った海士町にある「後鳥羽上皇御火葬塚」(写真)の紹介です。

承久の乱により隠岐に配流になられた後鳥羽天皇は、在島19年後の延応元年(1240年)2月、60歳で崩御されました。
遺骨の大部分は今の御火葬塚に納められましたが、明治6年、明治天皇の思し召しにより、大阪の水無瀬神宮に合祀されました。
上皇は隠岐での19年間の生活のなかで多くの歌を詠んでおります。

「国村千鳥プロフィール」
島根県隠岐郡海士町出身
幼少より母の宇野ツギに隠岐民謡を習う
上京して小沢千月師の門を叩き指導を受け、昭和54年東芝EMIから
「隠岐おわら節・飯能臼ひき唄」でデビュー
そのスリムな容姿と明るい性格、隠岐の香りに満ちた艶のある歌声で
多くのファンを得て、今やテレビ・ラジオ・舞台に活躍中

尚、「千鳥」の芸名は隠岐ゆかりの後鳥羽上皇の御詠歌

“隠岐の海を 一人や来つる さよ千鳥 啼く音にまかふ 磯の松風”より小沢千月師が命名した

因みに島根県松江城も別名「千鳥城」と呼ばれている