茶山守廣・隠岐三味線ブログ

名残尽きぬに 銅鑼が鳴る今宵

西郷港は 小雨も降らぬに 袖しぼる

        (隠岐民謡・しげさ節)

マスコミデビュー!?

2007年03月31日 | 気まぐれ日記
皆さんお馴染みの民謡誌「みんよう春秋」2001年7月15日発行・第140号
グラビア欄に写真入で紹介して頂きました。
自分にとっては勿論生まれて初めての経験でした。
この号では「とって隠岐の島・しげさ節取材記」と題し、しげさ節全国大会の模様
なども掲載されました。
みんよう春秋社から電話で”今度当社のグラビアにて紹介しますので写真を送って
下さいませんか”とのこと、エーッ!と最初は我が耳を疑いましたが、これはどうやら本当らしい?
写真を探していたらこの写真がパッと目にとまりました。
実はこれは以前に国村千鳥さんが撮ってくれたものです。
自分で書くのも全くもっておこがましい限りですが・・・
以下原文のまま紹介文を書きますが、町村合併前でしたので西郷町を隠岐の島町と
読み換えて下さい。

昭和22年島根県隠岐郡西郷町生まれ。幼少時から身辺には民謡と民舞がある環境で成長した。
大阪の水産会社に6年勤務した後、昭和47年にUターン帰郷し西郷町役場に奉職
郷里の民謡に強い関心を抱いて、48年から本格的に三味線に取り組んだ。
60年、隠岐民謡三味線師範として認められ、62年隠岐民謡選手権大会「三味線
師範の部」の優勝者として一躍注目された。
隠岐民謡との取組みで、その独特のリズムと旋律を活かし、情感ただよう「隠岐三味線」の技法確立
に意欲を燃やしている。
津軽の津軽三味線、秋田に秋田三味線の技法があるように。
NHKテレビ「どんとこい民謡」、ラジオ「民謡をたずねて」に出演。
地元の民謡関係者からも、高い実力を評価されている人である。

隠岐民謡 「どっさり節」のルーツ

2007年03月31日 | 気まぐれ日記
 数ある隠岐民謡の中で唄・三味線ともに最も難解な曲と言われている「どっさり節」
発祥の地は知夫里島(知夫村)です。
その知夫里島は渡津の入江にある小島、島津島にあるお松の碑(写真)は磯馴れの
松に囲まれてひっそりと建っている。
知夫里のお松の名は隠岐の代表的な民謡である「どっさり節」にまつわる悲恋物語
とともに今もなを語り継がれている。

 昔、知夫村の漁師の家にお松という娘がいた。
あるとき、この島に寄港した越後の船乗りと恋仲になった、その若者はいつも北国
の追分節を歌って聞かせていた。
夢のような数日間が過ぎ、やがて船出の時がきて若者は去り、再会の固い約束をして
いたにも関わらず再びお松の元へは帰って来なかった。
哀しみに暮れるお松は聞き覚えた追分節を口ずさみながら、若者を偲ぶのが唯一の
慰めとなっていた。
その節回しは若者のそれとは随分違っており、島の人々がそのことを指摘するとお松は
”どっさりくっさり似ています”と言って寂しそうに笑みを浮かべた。
どっさりくっさりとは隠岐の方言で、どうにかこうにかという意味である。

 どっさり節の歌詞は恋歌に近いものであるが、節回しにはどこか悲しげな、今にも
消え入りそうな哀感がある。
お松の碑のそばには・・・
「忘れられよか 知夫里の港 遠いどっさり 二日月 明日が別れの 洗い髪」

  西条八十の詩碑も建っている。

武良祭風流(むらまつりふりゅう)

2007年03月29日 | 気まぐれ日記
 隠岐の三大祭りと云われている玉若酢神社の御霊会風流と水若酢神社の祭礼風流
は以前にこのブログにて紹介しましたが、今日はその三大祭りの一つでもある武良
祭り風流を紹介します。

 武良祭りの起源は建久4年(1204年)佐々木定綱が幕府より隠岐地頭を拝命したことに始まる。
定綱が訪れたときの隠岐は気候は不順、五穀も不熟で人畜ともに病災に苦しむと云う有り様だったという。
このような困窮の実情を救済することこそ地頭の責務であると考えた定綱は、本国
近江の国より日・月その他の神々を勧請し、そして日神・月神の両神をそれぞれ近くの神社に奉斎した。
すると人畜は無病息災五穀は豊穣になったと云われ、以来今日まで祭りは継承されている。

民謡いろは歌留多(かるた)

2007年03月28日 | 気まぐれ日記
  隠岐の人情を その撥さきに 込めて茶山の 糸は鳴る

 尊敬する小沢千月先生から頂いた色紙です。
我が愛するふるさと隠岐の三味線に拘り続けて30余年、自分の想いを三味線の
撥さきに込めろ!との意味であると解釈しております。
その小沢先生がこの度、自分の民謡生活50周年にあたって「民謡いろは歌留多」
を作りました。
3月号のみんよう春秋でも紹介されており、すでにご存知の方もおられることと
思いますが、いろは48文字からなるユニークな歌留多です。
その一端を紹介しますと・・・

(ち)調子3年 バチ一生  三味線は糸の調律とバチの扱いに苦労します。
                  そこに価値があります。
          う た
(お)お国訛りで民謡が映え この時ばかりはふるさとの有り難さを感じますね。

(ふ)ふるさとの民謡忘れまじ ふるさとに帰るのは鮭ばかりではありません。

 以上のように全てに一言注釈がついています。
末尾に書かれた後書きにも私は感動しました、以下原文そのまま掲載します。

 自分は何処へ行くんだろう 霧の中を彷徨い歩くような日々を重ね

昭和31年の秋 熊谷きみこ先生の門を叩いた時 私の人生に民謡と云う世界が

パーッと両手を拡げて待っていてくれたように思った

その懐に飛び込んで掴みたい放題の幸せ感を、今日迄授って来た、民謡人生50年

感謝と云う言葉だけでは表しきれませんが、只々感謝です。


                   平成19年1月吉日        
                                   千月



蒔絵 浜千鳥

2007年03月27日 | 気まぐれ日記
 私の三味線です。

約10年前に長年の取引先でもある赤穂市の目坂和楽器店製作です。
注文にあたり店主が”茶山さん蒔絵を入れましょうか?”とのこと、最初はそんな
のは見たことも聞いたことも無く断りましたが、話を聞くうちにそれも特徴があり
いいかも知れないと思うようになりました。
聞けばサービスしますからとのこと、一旦石川県金沢市の蒔絵師の手にかかるので
何点か図柄をFAXして貰いました。
図柄は浜千鳥・雲形・龍・瓢箪・片波車・雲湖(少々匂い?あり、ウソです!)等
色々ありましたが、隠岐の島のイメージにピッタリなのが「浜千鳥」かな?
それに隠岐の歌姫こと国村千鳥さんの伴奏をする機会が多いので決めました。
因みに蒔絵は天神の表と裏それと棹の付け根の部分の三箇所に入れました。

 各地の会場等に伺った折には皆から”珍しいねぇ~何処の三味線屋さんで作られ
ましたか?”とよく質問されます。
その度に店の名前を口にしますのでPR効果は抜群?です。
”蒔絵を入れましょう”の訳も、なるほど!と思いました。
でも世の中お互いに持ちつ持たれつだ、まぁいいか!!


隠岐の風物詩 「百手的神事」(ももてまとしんじ)

2007年03月26日 | 気まぐれ日記
 隠岐に春を告げる百手的神事の紹介です。
隠岐の島町津戸地区に西暦1640年代中期から伝わる神事が今も残っている。
花生(はないけ)神社の例祭で毎年3月28日に行われる。
この神事の主役は役主と呼ばれる20歳~40歳の2名の男子であり、氏子の
中から選ばれる。
役主は祭日の10日前から弓引きの練習を行い、3日前になると参籠所から神社
下の広場に的を移し袴を着けて練習を行うが、この袴を着けている間はどんな事
があっても他の人と言葉を交わしてはいけないという厳しい仕来りがある。
この行事は悪魔祓いの神事でもあり、氏子全員の厄を背負って立った役主が弓を
引き、矢を放って悪魔退散を祈る意味を持つという。
役主二人のうち年長者を大前、他方を小前と呼んでいます。
これもまた隠岐の島に春を告げる神事の一つです。

しげさ節の収録

2007年03月25日 | 気まぐれ日記
 収録当日の朝を迎えました。
ホテルを午前9時にレンタカーにて出発しスタジオへ、思っていたよりも随分近く
約15分で到着、当然ながら未だ誰もいなかった。
何処の会の発表会等にお邪魔しても、早めに会場入りする習性?は健在なり。
三味線の糸を全て新品と交換し、糸伸ばしと軽い手慣らしを終え準備OK!
一服していると今回の依頼主(神戸市在住)のお二人が到着、全員が初対面でも
あり挨拶を交わして打ち合わせを済ませスタジオへ。
前夜ブログにて緊張感無しと言ったものの、いざ本番となるとやっぱり普段とは
違い、やや?緊張気味ではあったがほぼ一発でOKとなった。
誰しもそうだと思いますが収録となれば、CD・テープ等はいつまでも残るもの
であり、唄とか三味線や太鼓はその数分間に全神経を集中させる。
思うに時には緊張感は自分から好んで味わうべきかも知れない。
いずれにしても何かと勉強になった一日でした。

(写真は中央が今回の依頼主のお二人です)

松江市に来ています

2007年03月24日 | 気まぐれ日記
松江駅裏のビジネスホテルにいます。
だから今夜は携帯からの投稿です。
何故松江市に来てるかですって?
実は明日はある人からの依頼で、テクノアークしまねという所のスタジオでの「しげさ節」の収録です。
唄の古賀速水・太鼓の尾崎和男・三味線の茶山の3人で来ました。明日収録があるスタジオは以前にも2~3回行った事があります。それにしても舞台を翌日に控えたような緊張感がないのはどうしてかな?
今夜の食事はホテル近くの焼肉屋、「食道楽」でした。(写真)
まぁ~今夜はゆっくり寝て、またあした頑張ろう。
因みに今回はレンタカーを借りました。
運転は3人の中では?一番若い私が担当しています。


隠岐の風物詩 「松直し」

2007年03月23日 | 気まぐれ日記
♭♪波の谷間に命の花が 二つ並んで咲いている 兄弟船は 親父の形見

    型は古いがシケには強い 俺と兄貴のヨ~ 夢のゆりかごサ~

海の町に新春を告げる行事「松直し」の紹介です。
毎年新春の1月2日に各漁港で今年1年の豊漁と航海の安全を祈願する行事です。
午前8時頃朝日を受けながら出航した船は、西郷湾周辺にある恵比寿さんや竜宮
さん不動明王など合わせて7箇所の海神さんを、海上からお神酒と塩・洗米を奉献
して参拝します。

 大漁旗で鮮やかに飾られた船が一斉に航行するさまは勇壮で、海の町の新年の
幕開けを告げます。
はるか昔の北前船が行き交う頃より行われているというこの「松直し」行事ですが
、海に生きる人達にとって欠かすことのできない大切な行事です。

隠岐の風物詩 「いぐり凧」

2007年03月22日 | 気まぐれ日記
 古くから隠岐の島に伝わるいぐり凧揚げは、毎年3月の春一番が吹く頃より5月
の節句頃まで続きます。
小さなもので畳2~3枚分、大きなものになると7~8枚分、なかには15枚以上
にもなる超特大凧もあります。
いぐり凧の特徴は揚げたときにブーン!と鳴る大きなうなり音ですが、これは凧の
裏側に取り付けた籐が空中で風に煽られて鳴る音です。

 元来は魔よけのため鬼の絵を描き揚げたものだと言われておりますが、現在では
家の新築や船の新造そして子供の誕生などを祝って揚げられます。
起源については定かではありませんが、一説によると天保年間(1830年頃)に
その年の吉凶を占うために揚げたとも言われています。

 毎年4月には隠岐いぐり凧保存会の人達が中心となり隠岐いぐり凧まつりが開催
され、今では隠岐に春を告げる風物詩となっている。
因みに今年は4月8日が第15回「隠岐いぐり凧まつり」です。