茶山守廣・隠岐三味線ブログ

名残尽きぬに 銅鑼が鳴る今宵

西郷港は 小雨も降らぬに 袖しぼる

        (隠岐民謡・しげさ節)

男性陣

2009年01月31日 | 気まぐれ日記
1月もいよいよ今日で終わりとは全く早いものですよね。
2月の遠征予定?は14日(土)大阪は近鉄北田辺駅前商店街の中にある味道館2階での唄・三味線・踊りの「隠岐民謡講習会」、翌15日(日)は和歌山県民文化会館に移動して「紀州路民謡全国大会」のゲスト、今回は隠岐から仲間4~5名で駆けつけます。
今度は船と高速バスを乗り継いでの大阪入りではなく、隠岐~伊丹間を飛行機で結んでの往復となりますのでアッという間です(笑)

さて写真ですが、先日の「民謡であそぼ」を主催した梅若朝雲師からメールで届きました。
この度の出演者の中で男性陣はこのか弱い?3人のみでした。
向って右から寺さんこと尺八の寺崎さん・私・朝雲さんです。
どうですか!ピースサインも随分と板につき、垢抜けして都会人になったでしょう?(笑)

今回の催しに参加された唄・篠笛・三味線・お囃子そして会場から急遽飛び入りの形で参加頂いた由加里さん、皆さんすべて美人揃いでありました。
会場はさながら美人コンテスト状態・・・ごめんなさい少々言い過ぎました(笑)

終了後は主催者のおもてなしで会場近くの焼肉屋に直行、時間の都合のつく者だけでの打ち上げとなったが、大変賑やかで楽しい宴となったものの、このまま素直にさようならする人が少なく、カラオケがある場所を探して夜の駅前をウロウロするもあいにく日曜日で見当たらない、20~30分は歩いただろうか?やっとの思いでジャンカラ店を見つけ出した。

部屋に入るや否やオーダー開始となる、プロ歌手を目の前にしては私が前座を努めるしかないだろう・・・気持は真打ですが・・・(笑)
とは云うものの進藤聖子ちゃんが唄った自分のオリジナル曲「ひえつき父娘(おやこ)雲」は、宮崎県椎葉村の民謡ひえつき節入りの歌であるが、彼女の伸びのある声での唄はさすがであった。

「隠岐の海」フィーバー

2009年01月30日 | 気まぐれ日記
我が町隠岐の島町は現在「隠岐の海」フィーバーで湧き返っております。
ショッピングセンターに買い物に行ったら、入り口にデカデカとご覧のように張り紙がしてあった。
町内の各店には「祝 新十両 隠岐の海」の張り紙があり、至るところで目に付く。

地元での後援会設立準備会もてぐすねを引いており、間もなく正式に発足するであろう。
聞くところによると故郷に錦を飾るべく、明日(31日)には伊丹経由の飛行機便にて帰郷するとのことだ。
妻の友達でもある「隠岐の海」のお母さんに直接聞いたから、これほど確かな情報はないだろう(笑)

明日の空港ロビーや歓迎行事を行う場所では、人の波で溢れ返ることだと思います。
明日は何が何でも空港に駆けつけることにしよう。

日本一短い「手紙」

2009年01月29日 | 気まぐれ日記
今朝のテレビを見てご存知の方もあろうかと思いますが、福井県坂井市・(財)丸岡町文化振興財団が主催する、第6回日本一短い手紙の大賞及び各入賞作品が発表されました。

今回のテーマは「夢」でありましたが、日本各地はもとより遠く外国からも応募があり、その数は6283通であったそうです。
大賞は亡くした妻にささげた手紙・・・

妻へ・・・「時々お前の夢を見る。子供たちにも出てやってくれ」

なるほど!大賞に選ばれるだけあって素晴らしいできですね。


その他いくつかの入賞作品がありましたが、私的には下記の作品にハッと考えさせられ大変印象に残りました。
作者は11歳の女の子だそうですが、世の中の大人に宛てた手紙・・・

大人へ・・・「子供にばかり夢を聞かないで下さい。夢を語る大人はステキだよ」

どうですか!すごく考えさせられませんか?
子供から大人になってもそして自分が何歳になろうとも「夢」は持ち続けていたいものです。

自分に置き換えてみた、昭和22年4月13日生まれで現在61歳、今でも自分の「夢」は持ち続けているのか?ところがドッコイ?自分の「夢」は持っています。
その「夢」とは???何かの機会に折をみて発表したいと思っています(笑)
“人生わずか50年”といわれていた昔と比べ、今は急激に平均寿命が延びている。
長生きは大いに結構なことではあるが、自分の理想としては何歳になっても「夢」を持ち続けて長生きしたいものだ。

新十両「隠岐の海」誕生!

2009年01月28日 | 気まぐれ日記
本日両国国技館で行われた大相撲春場所の番付編成会議において、初場所で幕下全勝優勝した「福岡」(隠岐の島町出身・八角部屋)の十両昇進が決定しました

しこ名も「福岡」から「隠岐の海」に、古典相撲の伝統が息づく隠岐の地名にちなんだ素晴らしいものとなり、隠岐からは1958年の「隠岐の島」以来実に51年ぶりの関取誕生となった。(島根県では35年ぶり)

地元の隠岐の島町では午前11時から「隠岐の海」の母校の隠岐水産高等学校で祝賀セレモニーが行われ、新しい関取の誕生を祝いました。
因みに私の母校も隠岐水産高等学校であり、素晴らしい後輩の出現に大きな拍手を送りたい気持ちです。

帰郷

2009年01月27日 | 気まぐれ日記
いつもであれば大阪行きともなれば隠岐~伊丹間を飛行機で結び、アッという間に往復できるのだが、今回は敢えて船と高速バスを乗り継いで往復した。
これには色々と事情もある、いつもは仲間4~5人での移動が多いのだが、今回はたった1人での移動であったことが大きな要因です。

写真は今まさに西郷港岸壁にフェリーが接岸しようとするところである。
ご存知の方もあろうかと思いますが、民謡の島隠岐はそれぞれの港に着く前に、船内のスピーカーから民謡が聞こえてくる。
知夫里島の来居港は「どっさり節」海士町の菱浦港では「キンニャモニャ」そして西ノ島町の別府港と隠岐の島町の西郷港は「しげさ節」である。

♪忘れしゃんすな 西郷の港 港の灯影が 主さん恋しと 泣いている

今宵もフェリーがイカ釣り船の漁火がきらめく中を走り抜け、西郷港が近づくと「しげさ節」がながれてきた。
目の前には漁火そして遠くには西郷の町の灯りが見える、雰囲気は最高!これ以上の情景はないであろう、そのとき1人で甲板に出ていた私は周りを気にすることもなく大きな声で「しげさ節」を唄った。
大きな声も半分は波の音に消される情況ではあったが・・・その場の雰囲気の良さに酔い知れて、自分の実力以上の?唄であったかも知れない(笑)

コンビニは無くてもいい!(笑)自分が生まれ育ったふる里は最高である。
隠岐の民謡しか弾けない三味線弾きでもいい!(笑)あくまでもふる里の民謡にこだわり、隠岐の民謡をそして「隠岐三味線」を必ずやメジャーにするぞ!!!

第1回 梅若朝雲の「民謡であそぼ」

2009年01月26日 | 気まぐれ日記
標記の催しがJR茨木駅西口正面のビル地下1階のJスタジオにて開催された。
以前は喫茶店であったというスペースは真新しいフロアと壁は鏡張り、付属のものは殆ど何もないという空間である。
当然のことながら?音響設備も無しである、むしろ生の声と生の音はより新鮮に感じられ、客席?といっても少々の椅子と座布団であったが、双方の一体感という面ではこれ以上の環境はなく、これぞまさに民謡の原点ではないだろうか?

今回は記念すべき第1回ということもあり、関西民謡界若手の進藤聖子ちゃんを誘って応援に駆けつけたのだが、主催者でもある朝雲師の所属する梅若会有力メンバーの参加もあって、さしずめ民謡ショーの様相を呈しましたので、主催者の意図する趣旨とは少々のズレがあったかも知れないが、まずは杮落とし?ということで勘弁してもらいたいものだ。

客席からの飛び入りという形で湊由加里さんにも登場して頂いた。
「淡海節」そしてアンコール曲の「祖谷甚句」、彼女の練れた歌声と「華」を感じさせるステージはさすがであり、きっちりと自分の世界を持っている人だと感じた。
ん?由加里さんといえば??ごめんなさい?貴女のブログからこの写真をパクリました(笑)

今日は梅田を午後3時発の高速バスに乗り6時30分に米子駅に着いた。
出迎えに来ていた娘や孫達と米子で夕食を済ませ帰ってきた、今夜はここで1泊して明日の午後の船便にて5日ぶりに我が家へと帰る。

米子駅

2009年01月24日 | 気まぐれ日記
昨夜からの雪で今朝は積雪となりました。
昨夜は娘夫婦の家に泊まり、現在は米子駅前のバスターミナルにいます。
これから高速バスにて大阪に向かいます。

波予測

2009年01月23日 | 気まぐれ日記
冬の日本海は厳しいです!船と高速バスを乗り継いでの大阪行きは、明日の朝の船便で十分間に合うものと思っていたのだが、波予測によると当日は波高が5メートルとのこと、そうなればおそらく船は欠航であろう。
大事をとって予定を変更し、今朝の船便にて出発することにした。
境港市の娘夫婦と孫の家に1泊して、あとは予定どうりに上阪します。
明日も午後からは海上時化の予報である。

ということで・・・何かと支度に手間取りこの時間となった(午前2時)
明朝は7時起きである・・・おやすみなさい・・・

放送日決定しました!

2009年01月22日 | 気まぐれ日記
写真は昨年結婚されたお弟子さんの安部大助君です。
毎週水曜日に隠岐の島町は那久(なぐ)という遠い地区から通ってきます。

その彼がこの度テレビに出演します。
番組は・・・1億人の大質問!?所さんの笑ってコラえて!「日本列島・結婚式の旅」です。
放送は・・・今月の28日(水)午後7時~ですので見て下さい。

実は彼の結婚披露宴での三味線を依頼され行った折に、番組取材のスタッフ5~6名がおり、隠岐に昔から伝わる風習の「孫抱き」を執拗にカメラが追っていましたので、そのときの模様も放送されることと思います。
因みにそのときの曲は決まり事があり「隠岐祝い音頭」と「関の五本松」です。

歓迎ムード一色

2009年01月21日 | 気まぐれ日記
今日の陽気に誘われて大根の収穫を兼ねて、久し振りに実家の近くにある畑を覗いた。
都万目(つばめ)集落に入ると写真の張り紙が目に飛び込んできた。

落語二人会のポスターの横に「歓迎 古里落語会 三遊亭楽太郎」とあった。
楽太郎師匠のお父さんの実家は今では空き家となっている、二人会の折には必ずや墓参りに訪れることでしょうが、ここを通らなければ墓には行けないので特に目につく場所でもある(笑)
帰りに気付いたのだが集落入り口のバスの停留所にも同じものがありました。

この地区も高齢化により次第に過疎化が進み、現在では27軒ですが内6軒は空き家である。
しかしながらいくら辺鄙なところであろうとも、自分が生まれ育ったところほど良いものはないのでは?訪れるたびに思うことだが気持ちが落ち着きほっとする自分がある。

東京生まれで東京育ちの楽太郎師匠でもあるが、父の生まれ育ったこの地区を訪れたならば、おそらく同じような気持ちになるであろう。