茶山守廣・隠岐三味線ブログ

名残尽きぬに 銅鑼が鳴る今宵

西郷港は 小雨も降らぬに 袖しぼる

        (隠岐民謡・しげさ節)

国村千鳥ふるさとコンサート

2009年02月12日 | 気まぐれ日記
“民謡歌手はいつも自分の背中に「ふるさと」を背負ってなければならない”これは隠岐の歌姫こと国村千鳥の師匠でもある小沢千月師の持論である。
なるほど!・・・と考えさせられる深い意味を持つ言葉でもあります。
裏を返せば“ふるさとの人たちから支持されないような歌手ではいけないよ”という意味も含んでいるのか?
国村千鳥はそれを忠実に守りながら、ふるさと隠岐の人たちの力強い応援を背に民謡歌手として成長した。

写真のポスターは2000年(平成12年)3月、昭和54年に民謡歌手としてレコードデビュー以来苦節20年余、ふるさと隠岐は勿論のこと周りの人たちの熱い応援を受け、満を持して初めて開催した「国村千鳥ふるさと隠岐を唄う」コンサートの記念すべきポスターです。
このときは関東方面は勿論のこと、広島や遠く長崎からも彼女の支援者が続々と応援に駆けつけた。
このポスターは彼女が初めて「ふるさとに錦を飾った」想いの詰まったものでもあり、私は今でも大切にして我が家の稽古場に貼っております。

そして第2回目を7年後の2007年8月に開催、折りしもこの年は彼女の民謡歌手生活30周年の年でもありました。
このとき来賓として出席していた彼女の生まれ故郷でもある海士町の山下道夫町長が、“しまった!島後(隠岐の島町)の人たちに先を越された”と悔やんだという話しを後日に聞いた。
因みにこのときは彼女の中学校時代の同級生が中心となって開催したコンサートでもあった。

そして今回は海士町町制40周年の年でもあり、海士町長はじめ彼女の地元の人たちの大変な盛り上がりにより、今年の6月7日(日)海士町での開催が決定した。
前回に続き今回も彼女が日頃お世話になり可愛がって頂いている、日本一の舞踊団と呼び声の高い民族芸能文化連盟(民文連)の新倉武理事長はじめ舞踊団「若竹」の皆様が、大挙して応援に駆けつけ華麗な踊りで舞台に華を添えてくださいます。
かく申す私も?彼女とはもう20年以上の付き合い、お互いにいつも励ましあって隠岐民謡の普及に頑張ってきた仲間、いわゆる「同志」でもあり何はさておいてもここは一番!応援に駆けつけなければ男がすたる。
伴奏の機会を与えられたら精魂込めて必ずや“一世一代”の三味線を弾いてみせる!!!