茶山守廣・隠岐三味線ブログ

名残尽きぬに 銅鑼が鳴る今宵

西郷港は 小雨も降らぬに 袖しぼる

        (隠岐民謡・しげさ節)

朝青龍よ何処へ行く?・・・

2007年08月30日 | 気まぐれ日記
ここのところ朝青龍問題がマスコミを賑わせているが、解決の糸口さえ見出せないまさに泥沼状態だ。
今後どうなっていくことだろうか?

なんだか朝青龍だけが悪者になっている感は否めませんが、ここ数年の相撲界なかでも横綱の重責
をたった一人で背負ってきた彼の功績は大である。
横綱にその品格を求めるならば、確かに彼の行動や言動には問題があったかも知れない。
しかし協会や親方もそれを黙認してきたのでは?巡業にしてもしかり、その大切さを外国人である彼に
誰かが責任を持って教えただろうか?

管理と言えば語弊があるかも知れないが、それをしなかった協会そしてできなかった親方の責任は?
これこそ問題と言えるのではないだろうか?
しかも謹慎と病気の治療とは全く別の問題であるにも関わらず、何もかも一緒に論じて批判している
マスコミの姿勢もおかしいのでは?

決して朝青龍の弁護のみに終始している訳ではないが、何だか今の情勢では彼だけが悪者になって
いるような気がしてならない。
朝青龍よ病気であるならば治療に専念し、謹慎明けの場所に堂々と出場して好成績を収め男としての
意地を発揮すべく頑張ってくれ!

皆既月食

2007年08月29日 | 気まぐれ日記
皆さんは昨夜の「皆既月食」を見られましたか?
私は残念ながら隠岐地方は曇り空で、時折小雨がぱらつく最悪の天候のため楽しみ
にしていたのに見られませんでした。
二階のベランダから見ようと望遠鏡まで準備していたのに・・・残念!

完璧な?皆既月食を次に見ることができるのは、2010年12月21日とのことらしい。
どうしてそんなことが解るのか?凡人にはさっぱり理解できませんが・・・
ともあれ三年後には必ず今回の敵?をとるべく見ようと思っています。

以前に親友のお世話で(もうお解りですか?そうです!我が天敵?群馬の天災(才)
と言われている下田さんです)伊香保温泉のホテルに宿泊したときのこと、彼の話では
”ここは流れ星で有名なところだ、今夜あたり絶好の流星群が見られるかも?”との話
に乗せられて?同室の者が寝静まったあとも窓辺に張り付いていた。
一向に現れない流星群、時間は既に午前3時になりとうとうダウンした・・・

皆既月食に流れ星・・・私にはどうやら無縁のものらしい。

「国村千鳥ふるさと隠岐を唄う」コンサートと「キンニャモニャ祭り」

2007年08月27日 | 気まぐれ日記
8/24・8/25の両日、嵐のような?二日間がアッ!という間に過ぎ去りました。
「国村千鳥ふるさと隠岐を唄う」は豪華なゲスト陣、そして各地より隠岐に集結した大応援団は約130名
会場は満席で立ち見まででる盛況であった。
我らが期待の星!隠岐の歌姫!国村千鳥はふるさとの声援を身体一杯に受け最後まで唄い切りました。
最後の緞帳が下りた瞬間は我が胸にも熱いものが込み上げてきました。
いつもどんなときにも互いに励まし合いながら頑張ってきた彼女です、まさに我が民謡人生は彼女と共に
歩んできたといっても過言ではありません。
国村千鳥はここぞとばかり一世一代の唄を、私も一世一代の伴奏を・・・したつもりですが果たして???

感動と感激の一夜が明け、一行は朝の船便にて彼女の出身地海士町での「キンニャモニャ祭り」に向け
出発しました。
勿論のこと私も一員として同行しました。
会場に着くとあちらこちらにテントが張り巡らされ祭り一色に・・・それにしても暑いなぁ~!
午後2時になると会場に今回より新設なった常設舞台での「芸能交流」が始まった。
云わば今回がこけら落としである、初めて海士の地に渡った日本一の舞踊団の民族芸能文化連盟(民
文連)にはピッタリのステージだと思った。
東京組?の出番は午後4時からの予定、会場の客席にてゆっくりと見物しようとの私の思いは、千鳥さん
の一言で脆くも崩れ去った?・・・
”舞踊団若竹の岸団長がどっさり節のソバ打ち踊りをしますので伴奏を、それから隠岐磯節も頼むよ!”
エッ!聞いてないよ~・・・道具も衣装も準備して無いし・・・急遽三味線を借り衣装は祭り用の法被を準備
してその場を何とかクリアした。
我が親友で遠く群馬県前橋市より会員を従えて参加の下田さんも例の如く?打合せ無しの司会に抜擢?
されることとなったが、彼は天災?(変換間違い!天才)でもあり難なくクリア。

芸能交流終了後午後6時より号砲と共にメインの「キンニャモニャパレード」がスタートした。
関係者の話では今年が過去最高の参加者であるとのことだった。
道理でパレードの輪はギッシリで隙間が無く押すな押すな状態だ・・・
終了後は恒例の水上大花火大会の始まり、夜空に大輪の花が咲き行く夏を惜しんだ。
その夜はマリンポート海士にて一泊となったが、客室は既に超満員のためぎゅうぎゅう詰めの添乗員部屋
に何とか押し入って一夜を明かし、翌朝の高速船にて西郷に戻った。

嵐のような二日間、ブログを書く暇が無く読者の方にはご迷惑をかけました。
例によって?写真はこの一枚のみ・・・華やかな踊りでパレードに参加した民文連若竹の方々です。
東京より新倉理事長はじめ民文連「若竹」の先生方、感動と歓喜の素晴らしい踊りを拝見させて頂きまして
ありがとうございました。




いよいよ明日に!

2007年08月23日 | 気まぐれ日記
「国村千鳥ふるさと隠岐に唄う」コンサートがいよいよ明日に迫りました。
今から約7年前(2000年3月)に開催して以来今回が二度目になります。

隠岐観光の広告塔として地元に大きく貢献し、親友でもある彼女が故郷に錦を飾る明日の
コンサート、何が何でも成功させなければとの思いです。

東京からの本体は明日の昼に到着しますが、打合せ等の所要のため彼女は今日前乗りします。
昨日彼女からよろしくとの電話がありましたが、声の調子も良く大変張り切っておりました。

コンサートの翌日には出身地でもある海士町での「キンニャモニャ祭り」も控えておりハードな
行程になるかと思いますが頑張って欲しいものです。
自分もここは一番!気合を入れての伴奏で盛り上げます!

JR境線

2007年08月22日 | 気まぐれ日記
ゲゲゲの鬼太郎列車でお馴染みのJR境線をご存知ですか?
米子駅~境港駅間を約40分かけて、のどかに走る一両編成の列車です。
古くは1902(明治35)年11月1日開通で104年の歴史を誇ります。
米子~境港間の距離17.9kmを表定速度23.4km/hにて走行、駅数は全16駅を数えます。
乗り物といえば何でもスピードアップを図る昨今、たまにはこのように田園地帯をのどかに且つ
ゆったりと走る列車があってもいいかなぁ~と思う。

今では隠岐の人はJRや長距離バスを利用するときは、松江駅を基点として各地に出掛けますが
私達の若い頃は殆んどの人が米子駅を基点にしていたので、この境線を見るたび今でも大変に
懐かしく当時のことを思い出します。

全国各地には変わったそして珍しい駅名が数多くありますが(なかには読めないものも)この境線
にもそこそこ?珍しい駅名があります。

米子一博労町(ばくろうちょう)一富士見町一後藤一三本松口一河崎口一弓ヶ浜一和田浜一

御崎口一大篠津(おおしのづ)一中浜一高松町一余子(あまりこ)一上道(あがりみち)一

馬場崎町一境港

改めてこうして見るとあまり珍しくないですね~、失礼しました!




民謡が縁で知り合った友達

2007年08月21日 | 気まぐれ日記
今日のつい先ほどのジェット便にて大阪のMさん一行4名が来島しました。
午後の高速船にて島前に渡り、遊覧船にて国賀観光をし今夜は島前泊りです。
明日はこちらの島の観光をしたのち西郷泊りですので、夜は顔馴染みの者4~5名で
ホテルまで押しかけ?民謡交流をします。

彼は私よりも人生の先輩ですが知り合ったのは約10年くらい前、大阪藤本会所属の会主
Y先生のお弟子さんで会の大番頭的な存在の人です。
性格は豪快な反面その実すごく繊細な部分も持ち合わせている。

5~6年前に奥さんを亡くしましたが、その僅か前に車椅子に奥さんを乗せ隠岐旅行に。
そのとき彼は”茶山さん妻もこれが最後の旅行になるかも知れないが、俺の好きな隠岐を
案内してあげたいから無理をして連れてきた”とのことだった。
間もなく奥様は亡くなりその後は彼も何年間は元気を無くしていたが、歳月の経過とともに
最近では電話の声も以前のようなMさんに戻り、”今度なぁ~友達を連れて隠岐に行くから
よろしゅう頼んまっせ!”と電話があり今回の隠岐旅行となった。

彼にすれば今度で4~5回目の隠岐の島だと思う。
互いが趣味とする民謡が取り持つ縁で知り合い、歳と共にお互いの気心も知れて親しくなる
改めて民謡で結ばれた絆の深さを実感している昨今である。

有り難いことに私には彼だけではなく、このようにして知り合った数多くの友達が各地にいる
絶対にお金では買うことのできない私の誇れる「宝物」です。

我が三味線教室の期待の星

2007年08月20日 | 気まぐれ日記
私が現在自宅にて細々と?開いている三味線教室の期待の星「磯貝祉鶴」(いそがいちづる)
さんの紹介です。
そもそもの切っ掛けは彼女のお母さんから”うちの娘が三味線をしたいと言ってますが教えて
くれますか?”とのことでした。
私も軽い気持ちで”こちらの都合で週に一度間違いなく教えることが出来ないかも知れませんが
それでも良かったらどうぞ”と受け入れました。

平成13年の1月から始めましたが、三味線は全くの未経験者で構え方・撥の持ち方からの稽古
が始まりました。
基本的に稽古は週に一度、一対一の向かい合っての稽古です。
今まで何人かは彼女のような三味線未経験の人に教えたことはありますが、ところがどっこい?
彼女の場合は他の人と少々違っていた。
第一に目つきが違っていたし、向かい合っての稽古でも大抵の人は知らず知らずのうちに自然と
後ろに下がることが多いが、彼女の場合は逆に夢中になると前進してきました。

これはもしかしたら「もの」になるかも知れない・・・との私の思いどうり一年・二年と経つうちには
メキメキ上達してきた。
忘れもしない平成17年の5月、毎年開催している第19回「しげさ節全国大会」三味線上級の部
での優勝という名誉に輝いてしまった?(正直私としてはまだまだとの思いでおりましたが)

今でも初心を忘れることなく熱心に稽古を重ねており、私の期待も今では更に大きく膨らむことと
なりましたが今後も頑張って欲しいと思っています。
何事も経験が大事であり、これからも更に舞台経験を積む機会を与えてあげようと思っています
ので、各地の民謡関係の方々お見知りおきのほど、どうかよろしくお願いします。

最後に独身の男性諸氏に申し上げます・・・残念ながら?彼女はすでに結婚しています。
できれば?他の女性をお探し下さいますようお願いします。


安来節全国優勝大会

2007年08月17日 | 気まぐれ日記
昨日は娘婿の車を借りて一人で境港市から安来市民会館に行き「安来節全国優勝大会」の二日目
を見学しました。(8/15~8/17の三日間開催)
会場に着いたら馴染みの顔が・・・毎年5月に隠岐で開催している「しげさ節大会」の常連組にも多数
逢うことが出来ました。
出来るだけ皆さんに逢えたらいいなとの思いで、会場内をウロウロしておりました。(まるで不審者?)
皆さんには悪いけど朝から晩まで安来節は少々キツイ?ので、途中で退席して最近新しくオープン
した安来節演芸館へと向いました。
行ってみたら知り合いが夫婦で出演しており公演を見学、折角ここまで来たのだからと以前二度ほど
隠岐民謡の公演でお邪魔したことがある「夢ランドしらさぎ」に行って、お世話になった二人の知人に
面会した。突然の訪問に二人ともビックリしていたが、来年の2月にはイベントを計画しており是非とも
出演をよろしく頼むと言われた。
陽も傾き夕暮れ時になり境港へと車を走らせ7時前に戻った。

一日を振り返れば何だか充実した一日であったように思う。

櫓の上での「盆口説き」

2007年08月17日 | 気まぐれ日記
前回のブログ、家族で盆踊りの記事には写真がありませんでしたが、娘婿が
携帯で撮っていてくれましたのでUPします。
ハッキリとは写っていませんが雰囲気はわかりますか?

「米屋の弥一」口説きは長いのでカンニングしています。
来年までに覚えるように努力します。
(またやる気かいな!???)

家族で盆踊り

2007年08月15日 | 気まぐれ日記
昨夜は我が岬町地区の盆踊りでした。
夕食後に自宅の目の前にある集会所に妻や娘夫婦と孫の全員で出掛けた。
どうやら孫も好きらしく自分から踊りの輪の中に入り踊っていた。

踊り手も徐々に人数が増え盛況となってきたが、口説きのほうが少々バテ気味?なのか
それとも・・・???
自分は盆口説きは子供の頃よりさんざん聞いており、唄えることは唄えるが何といっても
大勢の前では歌ったことがない。
踊りで汗もかいたことだしここらで一丁やるか!と思い切って櫓の上に登りマイクを手に取った。
記念すべき盆口説き初デビューの瞬間である。

櫓を降りて家族の元に戻ると、評価はそこそこ?好評であった。
暫く休憩し踊りを見ていたが、ものはついでだ!たった一節の口説きでは物足りない・・・と
いつもの目立ちたがりの性格が?・・・
再び櫓の上に上り折角やるなら少しばかり長い口説きを・・・と思い次なる一節は「米屋の弥一」
これがまた思っていた以上に長い口説き、歌詞カードを見ながら悪戦苦闘であったが無事終了
肝心な家族の評価は???”長かったなぁ~”・・・

娘婿も孫も上機嫌である、隠岐の島に昔より伝わる盆の行事に触れ何かを感じてもらうことが
できたら嬉しいことだ。